保津峡新線開業後の馬堀~嵯峨駅間

(主に平成元年3月ダイヤ改正後)

<保津峡新線開業後の馬堀~嵯峨駅 普通客車列車(平成元年)>

(山陰本線京都口最後の普通客車列車5)

【投稿日 令和4年1月9日】

【追記・差し替え等 令和4年6月4日等】

 

 

1 はじめに

(1)昭和63年10月~平成2年3月 山陰本線京都口普通客車列車

 昭和63年(1988年)10月1日のダイヤ修正により、山陰本線京都口普通客車列車が大幅に削減されました。

 昭和63年10月ダイヤ修正から平成元年3月ダイヤ改正前までの時期については、京都~園部間で50系普通客車列車が3往復運転されました。

 平成元年(1989年)3月ダイヤ改正から平成2年3月園部電化前までの時期については、京都~園部間で12系普通客車列車が2往復運転されました。(平成2年3月については、少しややこしいので、詳細について記載省略。平成2年3月の園部電化等についても記載省略。)

 これらについては、次のブログにて記載しています。

 

 

 

 

 

(2)保津峡新線開業(R4.5.19修正)

 平成元年3月5日(日)、いわゆる保津峡新線が開業し、山陰本線馬堀~嵯峨間が複線化されました。詳細については、次のブログをご参照ください。

 

 

 

 

(3)今回のブログでは(R4.5.19修正)

 上記(1)に関して、令和4年1月になってから新たに使用許可を得ることのできた写真がありますので、これを活用し、保津峡新線開業直後の時期を中心に馬堀~嵯峨間等についてブログを作成しようと思います。

 

 

 

 

 

2 保津峡新線開業直後の新保津峡駅及び嵯峨駅(R4.5.19修正)

(1)保津峡駅(R4.5.19修正)

①開業直後の新保津峡駅

 保津峡新線開業日である平成元年(1989年)3月5日の新保津峡駅については、次の#234のブログに掲載しておりますので、そちらをご参照ください。

 

※平成元年(1989年)3月5日の新保津峡駅及びその時期の嵯峨駅についても記載

 

<参考 Pick1>

 

 

 

②参考 その他新保津峡に関するツイート(R4.5.19追記)

 新保津峡駅開業直後の状況がよく分かるツイートがありますので、参考までに引用します。(開業直後の新保津峡の状況を伝えるため引用)

<引用>

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

 

<引用>

※ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

 

 

(2)嵯峨駅(R4.5.19修正)

 平成元年3月の嵯峨駅については、次の引用資料の通りです。(上記#234のブログにても記載)

<引用>

※ハム。B.R.A氏がTwitterに投稿された写真。使用については了承を得ています。

※平成元年3月5日(保津峡新線開業日)の嵯峨駅、とのこと。

※#234のブログにも掲載(URLは上記の通り)

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

 嵯峨駅は、平成6年(1994年) 9月に嵯峨嵐山駅に改称

 

※次のブログについてもご参照ください。

 

 

 

 

 

 

3 保津峡新線開業と同時期の新馬堀駅

 保津峡新線開業は平成元年3月5日ですが、ダイヤ改正は平成元年3月11日でした。このダイヤ改正により、JR嵯峨野線(山陰本線京都~園部間)の普通客車列車は12系2往復体制になりました(編成は9両編成、DD51牽引)。

 平成元年3月(平成元年3月11以降)の新馬堀駅の資料がありますので、参考までに掲載します。

<引用>

※引用元:全て旅一郎氏のYouTube動画「保津峡新線を行く、最後の客車鈍行 1989年3月」 

※参考までに、URLは次の通り

 

<ソロ鉄ブログ管理者補足説明1>

・上記資料の列車は、1989年3月にいわゆる保津峡新線を走行する園部発京都行き12系普通客車列車で、編成は12系客車9両編成、機関車はDD51。

 

 

 

 

 

4 嵯峨駅(現嵯峨嵐山駅)及びコミュニティ嵯峨野(R4.2.14一部追記)

(1)平成元年嵯峨駅及びコミュニティ嵯峨野(保津峡新線開業後)

<引用>(R4.2.20差し替え)(R4.6.4簡略化)

※Twitterをされているハム。B.R.A氏よりいただいた写真。使用についても了承を得ています。

※嵯峨駅に停車中の園部行き12系普通客車列車、とのこと。(1989年)

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※この12系普通客車列車は、編成から、1989年3月から1990年3月の時期の園部行き12系普通客車列車で、嵯峨駅に停車中の普通客車列車。青一色の12系客車は、いわゆる12系1000番台

※この日は、青帯仕様のDD51が牽引。(青帯仕様ではない普通のDD51が牽引する日が圧倒的に多かった)

※奥に見える建物は、いわゆるコミュニティ嵯峨野。

※嵯峨駅は、平成6年(1994年) 9月に嵯峨嵐山駅に改称。

※その他詳細については次の#216のブログにも記載したため、今回は省略します。

 

 

 

 

(2)令和3年嵯峨嵐山駅及びいわゆるコミュニティ嵯峨野

 

※令和3年5月11日嵯峨嵐山駅にて自分で撮影。

※右側に見える建物はいわゆるコミュニティ嵯峨野。コミュニティ嵯峨野は、現在、ホテルビナリオ嵯峨嵐山になっている、とのこと。

 

<参考 Pick2>

※「社会福祉法人全国手話研修センター「コミュニティ嵯峨野」内の宿泊・研修

 

施設が「ホテルビナリオ嵯峨嵐山」として新たに誕生!!」、とのこと。

※嵯峨嵐山駅から徒歩1分、とのこと。

 

 

 

 

 

5 参考 令和3年嵯峨嵐山駅

※令和3年12月28日に嵯峨嵐山駅にて自分で撮影。

 

 

※令和3年12月29日に嵯峨嵐山駅にて自分で撮影。下りの221系電車。

 

 

<参考 Pick3>

 

 

 

 

<参考 Pick4>

 

 

 

 

 

※誤字脱字等があれば、その都度訂正します。

※引用箇所について転載等禁止

※カバー写真については引用写真を使用

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。