独裁者って誰なのよ
独裁者って何だろう…と、ふと頭に浮かんだ。ロシアのプーチン氏、北の将軍様金正恩…古典的にアドルフ・ヒトラー。
『独裁者概論』なんて文があったら読みたいが、冷徹で酷薄、組織暴力の肯定、パワーポリテックス…など、そんな印象が付きまとう。
日本で歴史的な独裁者と言えば誰か。
ここで一つ定義したいのは、日本の独裁者とは『天皇』を権力の外に置いて国内統一に成功した政治家と考えたい。そうすると、たぶん一人しか浮かんで来ないのだ。
『徳川家康』…である。彼こそが、最も世界的にも成功を納めた独裁者ではないかと私は思う。
『独裁者とは、優しくなけれは生きてはいけない。』…対抗勢力を根絶やしにして抹殺。徹底的に攻撃して容赦なく血祭りに上げるのは、実は独裁者ではない。
それでは、単に殺戮と自己権益に溺れている権力者に過ぎない。
時に敵方を暖かく迎え、さらに赦しを下し保護する。あるいは貧しき階層にも手を差しのべる。生活が成り立つように制度を立てる。優れた行政官を選び統治させる。
そうした体制を組み上げて、初めて『独裁者』は統治者となる。
『家康』の独裁者たる面目とは『優しさ』にある。それゆえに極めて恐ろしいのだ。人は優しさを目にすると、怒りや恨みを押さえざるを得ない。
類例を上げると枚挙の暇もないが、信長の命により実子信康を殺していながら、その死を人目も憚らずに家康は嘆いている。『ここぞ!』という瞬間に嘆くのだ。心底、真意で嘆く事で部下の家臣達は主君への反論の余地を失う。
これら逸話が真実かは不明だが、能『隅田川』を見ては家臣の前で『あの母の気持ちがお前にわかるか?』と泣き、関ヶ原では『あいつが(信康)…おればなぁ』と愚痴を言う。自らが死なせた信康を引き合いして、部下の意識を牽引するわけだ。
独裁者の示す『優しさ』とは軟弱ではない。真綿で首を絞める道具であり、法律や制度に隙間なく『優しさ』を網羅して統括する。そういう底知れぬ恐怖政治でもある。
ゆえに『家康』を独裁者と私は見る。江戸から明治において優れた政治家や藩主はいるが、彼らは行政官であって『独裁者』ではない。
たぶん…続く
『独裁者概論』なんて文があったら読みたいが、冷徹で酷薄、組織暴力の肯定、パワーポリテックス…など、そんな印象が付きまとう。
日本で歴史的な独裁者と言えば誰か。
ここで一つ定義したいのは、日本の独裁者とは『天皇』を権力の外に置いて国内統一に成功した政治家と考えたい。そうすると、たぶん一人しか浮かんで来ないのだ。
『徳川家康』…である。彼こそが、最も世界的にも成功を納めた独裁者ではないかと私は思う。
『独裁者とは、優しくなけれは生きてはいけない。』…対抗勢力を根絶やしにして抹殺。徹底的に攻撃して容赦なく血祭りに上げるのは、実は独裁者ではない。
それでは、単に殺戮と自己権益に溺れている権力者に過ぎない。
時に敵方を暖かく迎え、さらに赦しを下し保護する。あるいは貧しき階層にも手を差しのべる。生活が成り立つように制度を立てる。優れた行政官を選び統治させる。
そうした体制を組み上げて、初めて『独裁者』は統治者となる。
『家康』の独裁者たる面目とは『優しさ』にある。それゆえに極めて恐ろしいのだ。人は優しさを目にすると、怒りや恨みを押さえざるを得ない。
類例を上げると枚挙の暇もないが、信長の命により実子信康を殺していながら、その死を人目も憚らずに家康は嘆いている。『ここぞ!』という瞬間に嘆くのだ。心底、真意で嘆く事で部下の家臣達は主君への反論の余地を失う。
これら逸話が真実かは不明だが、能『隅田川』を見ては家臣の前で『あの母の気持ちがお前にわかるか?』と泣き、関ヶ原では『あいつが(信康)…おればなぁ』と愚痴を言う。自らが死なせた信康を引き合いして、部下の意識を牽引するわけだ。
独裁者の示す『優しさ』とは軟弱ではない。真綿で首を絞める道具であり、法律や制度に隙間なく『優しさ』を網羅して統括する。そういう底知れぬ恐怖政治でもある。
ゆえに『家康』を独裁者と私は見る。江戸から明治において優れた政治家や藩主はいるが、彼らは行政官であって『独裁者』ではない。
たぶん…続く
痩身法…2
八月・夏服を着た女性
今回の一件。先週の土曜日に発症。原因は幾つかの病気が重なってしまい、心身が破綻したのだと思う。ある時点から抵抗力を失っていたようだ。
特に問題を感じたのは、療養中の『下の世話』だ。昼夜、止まらずに漏れだしてくる状態では、睡眠も満足に出来ない。うっかりすれば…悲惨な事になるのでトイレに幾度も足を運ぶ。自分で可能だから良いが、不自由だったら…と思うと暗然となる。
漏らして汚れたタオルをバスに放り込み熱湯をシャワーして洗う。絶望的な気分に襲われるが、溜め込めば深刻な事態を招くのでやるしかない。そういう作業も、自分の始末だから我慢出来るが、他人が相手だとストレスの塊だと思われる。
今回、介護職問題に適正はないと改め理解した。。あるとすれば家族間だが、それが一番の問題になっているのだから、結局は『我慢料金と良心への代価』として介護職従事者へ高給を支払う環境を整備するしかない。それが一番だと実感する。
自分の不始末が出来なくなった時点で、ある意味において人は人でなくなる。
そういう慚愧を抱えて生きるしかないならば、衰えて孤独な老後とは残酷なものだ。
痩身法
正月・どんと焼きの櫓。子供達が楽しみにしている正月のイベント。
深夜、腹痛と病室の往復に疲れはて病院のトイレ前の廊下で自棄になって毛布を被り寝ていたら、治療処置として個室に移動。自分で自らを介護するような状態に疲労困憊。他人だったら見捨てて逃げるし、肉親だと本当に大変な事態と認識した。
医師『ほとんど食事もしてないようだし、体力持たないな。君の仕事も困るよね…』と、緊急避難的に強力な処方薬を出してもらった。ようやく迷宮から脱出可能か。
医師『納品仕事終わったら、必ず戻って下さいね。全く治ってないから。』
こうやって無理して働いている人、世の中に大勢いると思う。それは病気が完治してはいないから社会的に無責任でもある。
だが、誰もが仕事上での責任が上位なんだろうね。その責任が共有されている場合を『社会的常識』と呼ぶのか。
もし、それが『常識』ならば正直…世の中は、馬鹿と阿呆の集合体だと私は思う。
雲一つもない冷涼な青空は寂しく、また初冬の日差しが暖かくもある。

