HOODのブログ -512ページ目

頼れる男とは。

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今夜のブログをもって千回目更新。

更新は、何を書き込むか考えながら撮影機材を抱えて移動していると、突然の豪雨。
地面から降っているのか…と思うくらい激しい水量だった。

駅ビルのエレベーターを利用すべく向かうと、先客がドアを開放させて、私が乗り込むのを待ってくれた。
先客は、幾つかの鞄やケースをカートに載せた男性氏。私より二回りは体の大きな男性であった。
見るからに、今から仕事で海外へ…という姿である。
…この雨の中、しかし大荷物だな…彼は。

『どこか取材に行かれるのですか?』と思わず尋ねた私。

『いえ、単身赴任で戻るところで…』

私『この雨は大変でしょう』
氏『荷物がね…』
私『どうか道中お気を付けて』
氏『はい、ありがとう。』

これで、この会話は終わったのだが、沢山の荷物を抱えて赴任地へ帰る父親氏。

彼が抱えていた鞄やリュックにはブランド物はなかった。
余計な見栄など張らず、質実な夫なのだと見えた。
彼は、仕事と家族を両立させるために単身赴任を選択したのだろう…まだ三十代半ばと思うが、雨で濡れて早く行きたいと思うところを、他人に合わせたというのは、本当に偉い男だと思う。

頼れる奴というのは、こういう人間を言うのだ。

千回目の更新に相応しい…いや、自営&自由業の私には敬意すべき主人公である

花と呼ぶ

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昨日に続いて『源氏物語の植物』広川勝美著 笠間書店。

この本を改めて読み返すと(学生時代は使いこなせなかった)…。
紫式部が花を愛でる視点とした一つに、他より遅れて咲いた一輪の花…にあるらしい。
遅咲き、と言うべきか。他が枯れた後に一輪咲く花を描写する。あるいは枯れた花、萎れた花に描写の妙を感じたのか。

…時ならで今朝咲く花は夏の雨に しをれにけらし匂ふほどなく…賢木より…。

この風景からの余情を、一人の女性が感じ取り、彼女が主体となって文章に残したという作業に頭が下がる。

『花』という概念を演劇にもたらしたのは世阿彌であるが、その規範として裏打ちしたのが平安期の女性作家の作品群であったのだろう…。
紫式部が述べる『花』とは、早咲きもあれば遅咲きもある。また若木の花、老い木の花…そういう文学視点から止揚して、後代に演劇思想に高められたのだ、と。
それにしても、紫式部は凄い。
彼女は、我々の生活や恋愛まで、当時から見通していたように感じてならない。

朝顔の咲く景色

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常よりも、やがてまどろまず、明かし給へるあしたに、霧の籬より、花の色面白く見え渡る中に、『朝顔』の、はかなげにて交わりたるを、物より殊に、目とまる心地し給ふ。
『源氏物語、宿木』

書棚を整理していたところ『源氏物語の植物』広川勝美著 笠間選書…という本が出てきた。

朝顔…と引くと、例文があって、なかなかに表現は、艶やかな、というか…エロい。さすが、平安ベストセラーである。

…やがて、まどろまず明かし給へるあしたに…この一章節だけで、夏の逢瀬の朝が見えてくる。

夏の恋人同士の閨、そのシーンに朝顔を比喩して描写するとは…この本を活用出来なかった学生時代が、甚だ恨めしい。

このシーンの主人公は、薫か匂宮なのか…それくらいは調べてから書け!と言われそうだが、夏のけだるい朝の気配…その庭に露を残した朝顔が見えて…同じ視界に仄かな女の顔が見える…その擬人法が素敵である。
よく考えると、いくら女性経験を積み上げても、これは男性には感じない表現だ。
つまり…作者(紫式部)がみたのは、仄かに見えるのは男の横顔なのだろうか…と、思ったりする。
後に、能の小面が婉然としながら、視点が定まらない表情というのも、この源氏物語の女性達を表現するには、必須の演出だったのか…という思いもよぎる。