能『石橋』打てや囃せや…壱。
安藤貴康独立披露能
『石橋』(しゃっきょう)大獅子
喜多六平太能楽堂
TEL03・3491・8813
13時半開場
14時開演
仕舞、舞囃子、能の順番にて上演。
観世流シテ方安藤貴康師主催。
目黒駅下車徒歩7分
正面5000
脇正4000
中正3500
前夜に番宣では申し訳ないのですが…赤獅子を安藤師、白獅子を鐵之丞師による公演。
以下、素人の解説です。
かって、獅子は二頭立てによる夫婦獅子であったが、江戸期に能として再生された際に、親子獅子に転じたと考えられている…。
厳密には、獅子舞を民間藝として見せる能『望月』(これは一人獅子である)と、天界の獅子そのものを見せる『石橋』とは趣向が異なるのだ。
そして『獅子』本来の形…とは戦国後期あたりで退転して、前述のように江戸期に祝言能として復曲され現在に至ったようだ。
仏教美術に詳しい方なら熟知の通り、獅子は文殊菩薩の座する動物であり、その獅子を描いた能が廃絶曲に残っている。
飼われていた獅子がから逃げ出して天界の牡丹園で遊んでいる所を、文殊の従者である『うでん王』が獅子を再び引き戻してゆく…そういう風流能であったらしい。
その様子が、現在の『石橋』に少なからず表現されている。
夫婦獅子を親子獅子に移し替えて、まさに武家的脚色というべきか。
私が虫に生まれたとして。
作家、評論家など、いわゆる物書きは『世間に品行方正』である必要はないが、自らの発言や言葉を用いて人の心を弄ぶ事は許されていない。
ましてや、確信犯的に発言して人心や社会を試すなど、傲岸不遜である。
作家や文藝批評とは、『正しい真円を考察する』をもって、その精神足りうる。
昨夜の作家上野玲氏がツイッターで行った発言に対し、私は単に傍観者の立場ではあるが、その卑劣な発言は『単に遊びだった…』と言い訳されても許す事は出来ない。
氏の発言と論拠は、社会に対する言葉の暴力行為に近い。。
自らの『鬱』体験を元に作家活動をし、精神医療ジャーナリストと名乗るようであるが、氏の行為は言葉を用いる表現者として、看過できる発言ではなかった。
氏による公式の陳謝を私は求めたい。
アメブロにも氏はブログを書かれているようだ。
興味のある方は、訪ねられたら良かろう。
この場で…私のブログ内では紹介などしない。
卑俗な見識で、読み手を誹謗し傷付けるものだからだ。
ネタとして扱うにも選ぶ権利と限界がある。
なを、もし不幸にして、氏が『鬱』が原因による発言であるならば、私は心から『お見舞い』の言葉を申し上げる。
立ち止まる
能班女 鈴木啓吾
約二日ほどブログ書いていません。
一応、能ブログとして書いていましたが、日曜日に能楽研究者表章教授の告別式を見送った後、能について話題を追求する意欲が抜けてしまったのも一つでした。
能と自分の関係を再考して、いったい私は能楽の世界で何を目標にしようとするのか…。
能楽写真は能に貢献できるのか、研究の範疇として写真は補完可能なのだろうか…。
で、しばらく更新が止まってしまいました。
能評や撮影記など、無責任な事後報告は書きたくない。
やはり、新しい観客層と素人弟子の再構築が、能楽の伝承に必ず寄与すると…それを実現したい、と思います。
土曜には、若手能楽師安藤貴康師の独立披露能『石橋・しゃっきょう』が喜多六平太記念能楽堂で主催されます。
その宣伝を更新しないと…それが、今の私がすべき役割だと思います。
では、明日。


