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分解

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だいぶ以前にジャンク屋から捨て値で入手した旧ミノルタのコンパクトカメラ。
分解して小型モーターを取り出すつもりで数年放置。
震災後、停電と余震騒ぎの渦中、日々気晴らしとして分解遊びをした。

この時代のズームコンパクトカメラは、おそらく家族写真向けに製造された製品であり、趣味的な撮影や仕事機材として用いられた場合は少ないだろう。

いや、仕事機材として使えない事はないのだが、実際は難しい。
例えば、森山大道などがコンパクトカメラで街スナップをした作品群があるが、あれは……かなり恣意的に製作された作品に感じている。
コンパクトカメラであろうが、中判使用でも作品との関連は薄い。あくまで作家性による写真なのだと思っている。

閑話休題…余震に怯えながら分解してみた。
お目当てのモーターは二個仕込まれており、フィルムの給装とズームの送り出し機能である。特にズーム用モーターはミニサイズで模型に仕込む(プロペラ飛行機に最適なのだ)

なるほど、この手のコンパクトカメラでも、廉価版一眼レフと同様に精密に組み上げられており、ボディに関してのコストに大差は見いだせない。
そして廉価品ゆえに、新製品としての溌剌さに欠ける姿漂うカメラでもあった。

もはや分解しちゃったけどね…合掌

趣味の人相占い

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夜半になって急に発熱しているのか辛くなってきた。
そういえば、小学校中期時代に数ヶ月くらい肺炎を起こして寝込んだ時期がある。
ほとんど学校にも行けないので、知識は本だけが頼り…。
そんな時、あまりに退屈な私の目に止まった…子供向けではなく『週刊現代 』…ヌードグラビアも当時から熱心な編集方針で…、しかし私の興味を誘ったのが『占い記事』なのだ。
人相占い記事があって、性格や仕事運など解るのだから、これは凄いや、と思ったのだ。
というのも、入院していた病室の隣は重篤な患者さんの部屋で、人が入れ替わる場所であって、何故人は死ぬ人と生きる人に分かれるのだろう…そんな子供心の単純さから、占いに興味を持った。

そうした過去から下って、例えば国会中継などを見ていると…この人は出世するかな、あぁ…この先生は駄目だ…とか。

見るところパランとした平凡な顔、真面目だけど風采のない会社員が相応なのに総理大臣までいった人もいた。
実は、その方は奥様の人相が凄い。奥様は人の上に立つ最強の竜顔相だった。
彼女の耳、目、鼻に唇…声…まぁ、羨ましい限りだ。
たぶん、まともな男性だったら誰が彼女と結婚しても、夫氏は総理大臣になれるのだろう。

当時は、まだニューリーダーとか呼ばれて総理候補の一人であったが、私は確信を持って『この人の旦那は総理になる』…って、両親に云った覚えがあるが、もちろん一笑に付されてしまった。

では、管総理は、どうか…?
総理は牛顔、もう少し唇に厚みがあって幅広ければリーダーとして震災対策にも能力を発揮したと思う。
だが、残念ながら目が小さく両目の鼻幅が狭い。利益や快楽にはきわめて賢いが、常に不満を抱えていて鼻と口に現れている。

補佐の枝野長官も牛顔。要職に牛二匹だから先に進むのが遅い…困った。

象眼相の補佐役がいれば良いのだが…自民党には数人いるのだが、どうにも野党では残念だな。

伊勢物語八十四段

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写メは祖母が幼い頃の私と拾った貝殻。死後に祖母の私物より出てきた。

この八十四段は、幾度か高校などの教科書に掲載されていたと記憶する。

思うに、歌とは限定された文字数と決まり事の中に詩劇を演出する文藝手法だが、初心には読み味わう手引きが必要だと思う。

その手引きが、中学や高校の古典授業だ。
それは英語でも同様であろうが、しかし残念ながら古典や英語にしても『訳しなさい』とは求められても『味わい方』は教えない。
心で体感する経験を養い、初めて理解できる世界だとおもうのだ。



『さらぬ別れ』より
宮仕えし帰らぬ息子へ、とある母親が読んだ歌。
…老いぬればさらぬわかれのありといへば いよいよ見まほしき君かな

かの子、いたううち泣きてよめる。

…世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため。

『さらぬ別れ』の離苦と『千代ともいのる…』と祝句性を重ねて、言葉の相反作用を利用して深く情愛を歌に込めている。
普段、我々は肉親、家族や恋人との別れを想定して生活はしていない。
まして『さらぬ別れ』は死別という事だ。
だが、平安時代は命は儚く消えるものであった。
健康に生きる事が難しく稀であった時代に、遠く離れて暮らす事で生ずる『今生の別れ』は、人生の中で切実であったろう。
さあらばこそ、現代人の我々も『さらぬ別れ』への心を大切にしたいと思うのだ。
言葉を安易に使いすぎる自らの戒めとして…。