本鬘…その霊性
写メは先週の能『杜若』で使用された本鬘。
実際の髪の毛で製作されているため(独特の風合いと存在感)があるものだ
指先で触れただけで、バスと呼ばれる馬の毛で作った鬘とは、全く異なる霊感みたいな感覚を覚える。
さすがに人の髪の毛だ。すでに髪の主は他界している鬘だそうで、想いが様々に偲ばれてくる。
一度ならず、二度触れてみたが…『何か囁かれた』ような不思議な印象。
こういう小道具の性格として、全体的な諸要素が全て整わないと、その効果が見えないのであろう。
もちろん舞台写真から、『あっ…これは本鬘だ、』と判明するものでもない。
しかし、確かに舞台の上で『強力に存在感』を増幅してゆく小道具だと言える。
そういう事も眺めながら能を見る、という楽しみもある。
ピアスをベット下に投げ込むと…
写メは知人が製作デザインしているペンダントの一つ。
たまにブログで能や古典の事に触れますが、特に古典については意訳ですので、悪しからず…。
昨日、朝の副都心線車内。文庫が読めるくらいにスペースがある混み方で、ふと少し離れた場所に立っていた若い女性が足下を探し始めた。
コンタクトでも落ちたのかな…と思ったが、どうやら左耳のピアスが床に落ちたようだ。周りにいる他の乗客も気にしてはくれたが、やはり見つからない。
そのうちに電車は駅に着き、周囲の客は入れ替わったが女性はまだ探していた。
悲しそうな表情で、通勤途中であるのに朝から所在なさげである。
そんな彼女の左手の薬指に結婚指輪が光っている。とするならば、夫から贈られたピアスか…、あるいは母親が買ってくれた大切なものだったのか…。
確かに、意外とピアスが駅ホームや電車内に落ちているのを見かける。
片方だけになったピアスに使い道があるのか、私は全く知らない。
また、落ちているピアスを拾う人も少ないだろう。
夏休みの昆虫採集のように、拾ったピアスなどを標本にしたら…などと意味のない空想を私はしていた。
能『杜若』
代々木果超会
能『杜若』観世鐵之丞(恋之舞・今回はクセ等の段も省かず上演)
・四月公演4月22日金・代々木能舞台・午後6時半~(開場5時半)前売4500・当日5000
旅僧が夢に出会った女性とは、業平が折り句に詠んだ杜若の精であるのか、あるいは伊勢物語に描かれた二条の后であったのか。
その二つの象徴が一体の女性に混交し、業平を追想する舞となり想い巡らされてゆく。
面影を花が慕い、恋の執心が后の心に開き、そして花に紛れて消えて往く。
あからさまに二条の后・藤原高子の存在は、能『杜若』の詞章に現れてはおらず、僅かに『別れこし後の恨みも唐ころも…』で、僅かにその偲ぶ心を示すにすぎない。
しかし、本曲が『伊勢物語』三段から九段を中心に典拠としているが、六段による悲恋の説話を組み込んだ展開を無視しては、能『杜若』を観賞するうえで大切な背景を失うはずだ。
六段…『白玉かなにぞと人の問ひし時、露と答えて消えなましものを』
あれは白玉なの…?
…いや、光る夜露だよ…と、私は答えてしまったけど、こんなに早く別れがくるなら『そうだよ、あれは白玉なんだ…』と言ってあげればよかったのに…。
この六段の歌は能『杜若』には使われていないのだが、露と消える…男…業平にとっては恋した女は、心の中では『彼女は鬼に取られてしまった』…露のように消えてしまった存在であったろう。その面影が杜若の彩りに投影されている。
初冠・唐ころも・恋・匂ひ・色・など艶めかしく妖艶とも見える詞章が用いられる能ではあるが、例え業平が『陰陽…男女結合の神であった』としても、シテが描く世界は爽やかに愛らしい。
可憐な花と恋を慕う后を主題として描いて、能による『伊勢物語』のファンタジーが『杜若』なのだろう。


