池野伝吉 続
曾祖父池野伝吉を、もう少しほど。
曾祖父は戦前の教員としては、いささか無鉄砲に英語教育に邁進した人だったようだ。
その行動力が、どれほどに各地で人々に貢献したかは私には判らない。
叔母の女学校時代。娘の授業参観日に来た池野伝吉。何を思ったか別室に学内の英語科教員を集めて英語授業を始めたとか…曾祖父にとっては、見るに見かねての結果だったのだろうか。
おそらく、一歩間違えば『迷惑な人』扱いであったろう。
そういう突出した能力やキャラクターは、間違いなく社会生活ではメリットよりデメリットが大きい。
当時としては、語学能力を遺憾なく発揮した人であったが、やがて戦争が激化すると周囲から遠ざけられてゆく。
何より『軍部の方針』に反対であったため、その発言によって当局から目を付けられ、自宅近くには特高が時折来ていたそうだ。
(それでも池野伝吉が連行されなかったのには理由がある)
しかし、社会的には戦争も末期となり池野伝吉の記した書簡を読むと、父親として手本となるべく、本土決戦の時は死を静かに覚悟していたようだ。
戦争に反対する事と国の為に戦う事は別である…と考えていた。その意味では伝吉も愛国者の一人と私は思う。誰もが死を思わざるを得ない時代であったのだ。
曾祖父池野伝吉
一昨日、父方に当たる老叔母に会ってきた。
叔母は戦前では珍しく恋愛結婚に近い形で結婚をしたのだが、その相手(叔父)を父親(私から見れば曾祖父)に紹介した時の話を聞いた。
私の曾祖父は、無名であったが一徹で博学な英文学者であった。
現在でも、大学を出て社会的にも知られた会社や役所に勤務しておれば(曾祖父は職業軍人は嫌いだった)娘を嫁がせて安心…と考える。
ましてや戦前の事だ。地位や学歴は、現在とは比較にならぬくらい優先されるが、しかし…曾祖父は少しだけ変わり者であった。
緊張する叔父を前に、曾祖父が曰く。
『君、そこの書棚から、あの本と、この本(原書だったそうだ)を取ってください…』と叔父に命じ、『その本、何ページを開いて、原文読んで訳しなさい』…と突然に口頭試験をした。
難しい原書を朗読し、汗を吹き出しながら必死に訳をする叔父。
静かに黙して聞いていた曾祖父は『宜しい、読み、訳ともに正しく合っている…もうわかったから、二人とも向こうへ行って良いよ…』と。
以後、めでたく交際を承認された叔母と叔父であったが、実は曾祖父の試験は別のところにあったらしい。
後日の談。
曾祖父『僕はね、彼の本に対する扱い方を見たくて英訳をさせたんだよ。外語専攻ならば訳は出来て当たり前だけど、本を丁寧に扱うかどうかが大切だった。彼は細心の注意を払いながら本のページを開いたので、これなら安心だと合格させたのだ…』
今時、こんな父親もいないだろうし、そんな話も聞かない。だが、娘をとても可愛がっていた父親が、娘のために考えた末の面接だったと思う。
物事は一つではない。
一つの事を完全に達するためには、幾多の答えを必要とする…それが見識という方法なのだ…と教えられたように思う。
実に70年以上も昔の話ではある。
春先
昨夜、ツィッターで尋ねた赤い木の実は『コブシ』の実であったようだ。この種を春先に蒔けば立派に大木となるか…。
地方の里山や農家の庭先に必ず一本はあり、春先に見事な白い花を咲かせる。
真っ白な和紙をちぎって盛りつけたような、静かな風情を持つ花である。
いつからだったかは記憶にないが、私は『こぶし』に憧れがあって庭に欲しい…と思った。しかし、とにかく大木であるため諦めていたのだ。
この赤い実は、春先に蒔けば発芽する丈夫な性質で、育って花が咲くのは5~7年先とか。
実家の庭に、鉢植えで育てるか。
ところで…今の時期、私は秋の季節が苦手である。
体力が一気に落ち込むのか大病を患う季節なのだ。
秋生まれの私は、たぶん秋口に他界するだろう…など極幼い頃から妄想するくらい『体の芯が抜ける』季節だ。
そのため、秋の紅葉より春を待つ冬木立の方が好きだ。
葉の落ちた冬木立が影絵のように抜けて、背後には寒風駆ける冬空があると良い。
冬木立は、何より余計なストーリーを持たない。
そういう冬を越えて、春の晴れ間に『こぶし』の白い花がポツンと咲きだしてくる。
この空気感覚は、他には代え難いものだ。



