ガーデニング
某名刹とされる神社の裏庭。囲った石は半分くらいまで埋め込まないと…いかにも素人臭い。
震災以来、実家の気落ちして両親は元気がない。
そこで暇を見て実家へ帰宅した時に、二人の気晴らしのために、狭い庭だけど作り直している。
今まで庭など全く興味はなかったが、何事にものめり込む体質であるためネットや図書館、書店で参考文献を漁っていた。
飛び石、庭砂利の敷き方、ソイルコンクリートによる下地作り、タマリュウ、ギボウシ、ツワブキなど下草。椿や沈丁花の植え換え…茶庭の歴史まで。
そして、ふと。
先日、新宿の甲州街道に面した交差点を渡っていたら中央分離帯にサツキやタマリュウが植えられているのが目に付いた。
『こんな排気ガス一杯の場所で根を下ろして生きているタマリュウもあるのか…』
ガーデニングをする方なら周知だろうが、タマリュウは扱いも容易で、主に庭のポイントやライン作りで使われる常緑の草だ。ホームセンターなどでカートに入って箱売りされている、ありきたりの植物だ。
しかし、立派な日本庭園に植えられたタマリュウもあれば、大都会の道路端に植え込まれたタマリュウもあるのだ。
環境は違うが、各々が頑張って根を張っているのだろう。
それは、どこか人間の運命とも似ている。
いや、人間だからこそ、自ら生きる場所を選べるのだ…その権利は死ぬまで維持されるはずだ、とも思ったり。
目前の境涯
明日から来月初旬まで、連日何やら予定が書き込まれて、全く気の抜けない撮影やら納品が続く。
先日、仕事を一つ失敗したあげく、やけ酒を飲み鮮血を吐いた。
自分の識域下では目標があったのにかかわらず、表の意識や建前は軽く考えて流していたようだ。
やけ酒とストレスと言えば、昔読んだ本の中に『大空のサムライ』零戦のエース搭乗員だった坂井三郎の戦記がある。
坂井は『下戸』で、まったく酒が飲めなかった。しかし、ストレスから酒に走る搭乗員は酒に体力を奪われて、ことごとく戦死したそうである。
こんな話もある。
昔、私の叔父が海釣りに仲間と船を仕立て出かけた。
沖に出て朝飯となり、おにぎりを各々が食べ始めた。しばらくして、一人の釣り客がおにぎりに入っていた『梅干しの種』を海に何気なしに捨てた。
それを見た老船長が、とたんに怒りだし『梅干しを捨てると何事か。酸の匂いで魚来なくなるんだょ!駄目だ、今日は帰る!』
船を港に戻されてしまったそうだ。
この話…本当に梅干しの種一個で、魚来ないのか?
私には長らく疑問であった。
数年前、とある漁港で引退した漁師の方と偶然に酒を飲む機会があった。
で、上記の疑問を問うてみた。
『そら、大切な職場の海に梅干し種捨てられて漁師が憤ったのでしょうな。漁師には神聖な海ですから…ま、でも、その老漁師も変人というか、相当な臍曲がりの爺様ですよ…』と。
以上、まるで取り留めないが、何を真実として相手と向き合うのか…?
自分の目の前にある対象は、私に真実を求めているのか…ちょっと自問自答。
好機一瞬
初めて自分のカメラてして購入したミノルタSR505。
レンズは標準50ミリ一本のみ…能楽サークルの舞台活動や日常スナップ、当時付き合っていた人など…全て、このカメラで撮影した。。
そんなある日。
能楽師になりたいと芸大へ編入した大学の後輩から、初シテの撮影を依頼された。
『まぁ…やってみるか』
一番前に座り、とにかくシテの動きを追いながら撮影。
能は『清経』…幾度となく知った曲である。
この時の撮影が、今に思えば能楽撮影の一歩であった…ように思う。
それは自分が作った何かが、他人の生活や人生の記録として受け入れられ、また正しい評価を得られる喜びでもあった。
実は、私は撮影カウントを今までしていない。しかし、人生の折り目にあたる撮影が必ずある…と信じている。
その折り目こそが、生涯の道を決定したりするものだ。
ある日、突然に現れる節目の一瞬、その好機に向き合う事が今は待ち遠しくもある。


