即時性=時代性ではない
ブログ書き込み、先月の『アナログ』にて、少しだけオリンパス社のカメラについて触れた。
すでに、何やら工業製品を送り出してきた企業らしからぬニュースが流れ出した頃だった。
オリンパス社のカメラは、家庭用であっても精度の高い製品が多く、私にとっては初めて手にしたカメラもオリンパスであった。
しかし、アナログからデジタルカメラ時代に入り、新規システムの変更を繰り返すなど(自ら提案したフォーサイスシステム)、それは呪縛とも受け取れるほどに一貫したラインを喪失しているように見える。
カメラのシステムラインとは、文系で言えば哲学に似ている。その会社が設計した光学(レンズ)と機械工学(カメラ本体)の組み合わせによって構成された工業機械が、撮影作業によって表現系の作品(写真)を生み出す。
通常は、絶対に交わらない理系と文系の有理一体がカメラと写真の関係であった、と思う。
そこで、デジカメ開発に際し電気製品やパソコン周辺機器である…と考えて出発すると大いに路を誤る危険がある。
デジカメはカメラ本体の中に、文系的終着点(電子化された映像)を内包する。だが、内包すべき映像を納めるのは我々撮影者であることは言うまでもない。
つまり、カメラ本体の中に文系的情緒や描写力など『映像性=創造への神話』を求める。
確かにオリンパスのカメラは優秀であった。しかし、アナログ時代の話なのだ。
デジタルカメラ開発の中で、オリンパスのカメラに失敗があるとすれば、カメラには時代性がある事、写真が生活の中にある…と言うことを忘れたのであろう。
残念ながら、現生活の中にあるカメラとは…携帯電話の写メにある事は疑う余地もない。そこを見落とした事で存在意義を失った…と私は思う。


