言葉を織る
寒空に皆既月食を見上げていた。
満月の光が、次第に赤く鈍い輝きに変化してゆく。
昨夜のように見事に観測出来る機会は、記録的にも多くないらしい。
だが、街行く人で空を見上げる人は少なかった。
夢見がちに空を見上げている行為自体、実は現実逃避の現れか…。
言葉(言語感覚)というものは、味覚と同様に個人差が大きい。その上で、主語述語、時制など整理して述べなくてはならない。かならず、適した文法論理というものがある。
それを認識した上で、発信者の感覚描写という問題…個体表現がでてくるのだ。
その辺りを会話に持ち込むか、否か。
同様に五感による表現や受容の反応も、正しく整理された表現の言葉は、他人が見聞した際に合理的であり、違和感はなかろう。
逆に、感覚の赴くままに表現される言葉や会話表現がある。
大方は破綻寸前に陥るのだが、天才の文章は一気呵成に書き上げたり、機知に富んだ会話となる。
かの『源氏物語』作者紫式部の執筆活動で、彼女が一編を仕上げる時間は知る由もない。
私は、彼女が意外と早めに書き上げているのではないか、と思っている。
時制の一致という見方では、一つの文章の単元に二つの時間が並列に描かれている場面も多い。
そこは現代の女の子会話とあまり大差はない。彼女が用いていた会話や話し方が、現在とは異なるとしても『源氏物語』を読む事が女性においては、さほど苦ではない…とされる理由でもある。
初雪
今朝、雨音で目覚めた。
強い雨足だな…と思っていたが、急に雨垂れが消えたので不審に感じ外を見ると『雪』に変わっていた。関東で12月初旬に初雪とは珍しい。
まだ紅葉も残る景色に降る雪が混じりあう。
ふと、思うのだが。
知人や家族に言わせると、雪を見て何やら期待するのは女子供の発想という事らしい。
良い年を経た大人は…分別ある男は、雪などで浮かれはしない。雪などどうでも良い…と言う。私には、それが構えて空意地を張るようにも見える。
雨が降ると露骨に、雨天への愚痴を言う輩は意外と多い。確かに私も撮影機材が濡れるので、雨は歓迎はしない。
だが雨でも良いではないか。雨天を咎めても仕方ない。
それは、男に生まれてイチモツが邪魔だと言うに等しい。
雪玉を作って、誰かの顔に『ホイッ』と投げたくなった。
どうやら雨は上がった。まだ真冬の雪には遠い。
君は嘘の糸張り巡らし…
先日、軽めの手術をした。手術は今までに3回経験があるが、翌日には退院して仕事復帰が可能になった。
縫い糸つけてままでも、ほとんど痛みはない。
幼いとき、盲腸炎から腹膜炎併発で激痛の日々を過ごしたが(未だに後遺症が残る)
で、まずは禁酒していたわけだ。
一昨日、ちょっとだけ解禁した。(縫い糸はまだついたまま)
某金メダリストが逮捕。そんなニュースがある。
武道系だけに、一昔ならば、彼の上司などは責任を感じて腹を切る騒ぎにまでなりそうだ。
だが…世間一般は彼も被害者の女子学生もお互い様で、体育会の打ち上げなんて、そんなもんだろう…という空気が濃い。
社会一般が、他者への倫理とか良識に期待していないのだ。期待が不可能な時代なのだから、各『自己責任』が第一義となる。
それは社会が、他者を支えあう相互責任を放棄した結果なのか、とも思う。
単純に考えれば、未成年に酒を飲ませる行為からして過ちであるし、彼女も断る事は可能であった。
裁判となれば、そこから始まるだろう。
だが…個人の裁判云々はともかく。
どうして、この手の『ショボィ』事件が教員や管理職に多発するのか。
そちらが重大な問題なのだ。
人生を生きる上で、捨てられない意地というものが皆無なのか、全く欠如しているように思えてならない。


