桃缶
季節的に冬の写メを上げてみた。
風邪によるリンパの腫れで寝込んでいた。熱は下がったが、腫れは残り目眩も残る。
とにかく、まっすぐに歩けないから面倒だ。
子供の頃、具合が悪くなり食欲が無くなっても、桃缶だけは不思議と食べられた。
ほんのり甘くて、ツルリと喉を通るからであろう。
この三日間も桃缶を主食にして過ごしていた。発熱に喘ぎ、這うような気分でコンビニに行き桃缶とポカリだけを買う。伸びた髭をマスクで隠し、髪はニット帽に押し込んでヨタヨタと歩く。
店のガラスに似たような姿の老人が歩いているな…と思ったら私自身の姿。
しかし…売っている桃缶は外国産ばかりだ。
国産って製造していないのか、あるいはスーパーコンビニには並ばない高級品なのか。
思えば、子供の時に買ってくれた桃缶は300円くらいだった記憶がある。
当時から国産の桃缶は安くはないんだな。
生まれる言葉
私の遠い先祖の一人に『仕込み杖』を日頃、愛用していた男がいたらしい。
その愛用した杖は、今でも某博物館に展示されている。(未見なのだが…)
また、戦場でも鍔のない刀を用いたりして、周囲に対する『ハッタリ』が好きな性格であったのだろう。
バトルマニアであったかも知れない。
たいていは、そういう先祖であれば子々孫々に伝わる箴言の一つくらいは残っていそうなものだ。
ところが…呟きすら、ほとんどない。
実は、自分についての記録は何も残さなかった…という点が彼の美意識であったのか。
言葉は消えるものではなくて、発した時に生命を持つ。
形あるものには魂があり、また形が滅びても魂は残る。
だから、私は他人の言葉を引用して論文を書いたり、ブログを書くのは苦手なのだ。
稚拙で下手であっても、自らの言葉を持って書いている。
先祖の頃と違うのは、発した言葉は明らかに他人へ受け継がれて行く…そういう時代に我々は生きている事だ。
熱い…
風邪を再発させてしまい、昨夜より寝込んでいる。
しかも、自分のブログは休んでいてツィッターで遊んでいた。
ツィッターの特性は、やはり即時性・一過性にあると思う。先日も『天空の城ラピュタ』のテレビ放映で『バルス』という台詞、その一言を呟くだけでサーバーが落ちかけた。
その同時刻に一つの言語を集中可能にするという能力は例えは悪いのだが、大空軍の絨毯爆撃に等しい。
破壊力は見事だが、実は一過性である。つぎの瞬間は何事もなかったように、日常のツィートに戻っている。
一方、ブログは極めてアナログ的で閉じられている。
自分の主張や意見を書き述べたり(意を得たコピペを貼るには適している)
しかし、言語を一カ所に集中して送り出すには時間が遅すぎるし、一度に見てもらう事が難しい。
政治的な発言や意見には、ツィッターの方が分がある。それだけに『返り血』の度合いは大きいだろう。
随筆に似た文章や短編が好きな私にはブログの方に軸足を置きたい。
だが、ツィッター以上に読んでいる相手が、全く見えないというのは厄介でもあるのだ。
昨夜から、かなりの発熱状態で幾分ヘイトスピーチ気味…。



