言葉を織る
寒空に皆既月食を見上げていた。
満月の光が、次第に赤く鈍い輝きに変化してゆく。
昨夜のように見事に観測出来る機会は、記録的にも多くないらしい。
だが、街行く人で空を見上げる人は少なかった。
夢見がちに空を見上げている行為自体、実は現実逃避の現れか…。
言葉(言語感覚)というものは、味覚と同様に個人差が大きい。その上で、主語述語、時制など整理して述べなくてはならない。かならず、適した文法論理というものがある。
それを認識した上で、発信者の感覚描写という問題…個体表現がでてくるのだ。
その辺りを会話に持ち込むか、否か。
同様に五感による表現や受容の反応も、正しく整理された表現の言葉は、他人が見聞した際に合理的であり、違和感はなかろう。
逆に、感覚の赴くままに表現される言葉や会話表現がある。
大方は破綻寸前に陥るのだが、天才の文章は一気呵成に書き上げたり、機知に富んだ会話となる。
かの『源氏物語』作者紫式部の執筆活動で、彼女が一編を仕上げる時間は知る由もない。
私は、彼女が意外と早めに書き上げているのではないか、と思っている。
時制の一致という見方では、一つの文章の単元に二つの時間が並列に描かれている場面も多い。
そこは現代の女の子会話とあまり大差はない。彼女が用いていた会話や話し方が、現在とは異なるとしても『源氏物語』を読む事が女性においては、さほど苦ではない…とされる理由でもある。
