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藪椿

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昼間、布団の上に横になったら、うっかり眠ってしまった。
仕方なく、今日の予定を明日に延ばし、夕方は近所を散歩。

藪椿が神社境内に散っていた。
椿は地に散らしても美しい花だと思う。
写真家入江泰吉の作品であったと思うが、奈良の古寺に咲く椿を写した一枚がある。
地に落ちた椿が地に落ちて、雨に濡れ輝いている描写だったように記憶する。

春の盛りに咲く椿ではなく、地に落ちても鮮やかな姿を写し撮った、その眼差しが素晴らしい。


その後、入江と同様の構図を真似した作品が幾多散見される。(プロ・アマ問わず椿を写す定番になってしまった)

だが、同じ構図、テーマ、主題をなぞっても写真は似て非なるものにしかならない。

それを知った上で、先達等が描写した作品世界を追い求めて真似る事も、また写真の性質なのだ。

今日の任務

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今日の任務。橋掛かりの幕を張ってみた。少し慣れてきたような…でも、素人仕事で今一つ張り具合が緩い。玄人のようにはゆかないな…。

さようなら…また来年。

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心待ちにしていた桜。
ようやく桜に間に合った。肌寒く風が吹くなか、雨に桜が散ってゆく。

桜の楽しみ方は人様々で良い。
以前、雨が降る上野公園不忍池で、一人桜の下に弁当を使いながら花見をしている女性をいた。
彼女の横顔が、雨に散りゆく花を見ながら、とても楽しそうに見えた。


そして、桜には人を狂気に誘う力がある。散りゆく花びらに、人は心の中で何かを啓発されたりする。

桜が咲くのは、来年の花芽が幹のなかに準備された事を告げる、植物としての生命活動の証明なのだそうだ。
物言わぬ彼らだが、将来に備えて生きているのだ。

それは散りゆく寂しさより、次が育ちゆく喜びこそが、花を散らす真意なのかも知れない。
散りながら、高らかに笑っているのだろうか。

私は、桜並木や公園に好きな桜の木を見つけて、その木の下へ季節ごとに通う。毎年、通う事で自分の無事を桜の花へ報告し、また来年の再会を約束する。

私は、これが桜の楽しみ方。
また来年まで…さようなら。