HOODのブログ -355ページ目

解熱

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早朝より急な風邪の悪化だ。現在、北関東へ所用のため列車内で更新中。

正直、夜の移動は辛い。疲労もあるし、今日はこれまで…おしまい。


と…(ΦωΦ)

こういう時にブログ用予備稿を書いておくと連日更新も可能なのだろうな。

私は意地でもブログは自分で書きたい。引用やコピペなどを貼り付けて、他人のフンドシで更新するくらいならば、こういうものは一切潔く止める。

今まで相当に、いい加減な人生を過ごしてきたので、せめて自分の文章には最後まで責任を持ちたい。


さて…最近、AKB好きが講じてブログを書かれている人の元へ遊びにゆく事が増えた。
どの方もAKB愛が文章中に息づいていて読んでいて、とても楽しい。
芸能や娯楽の役割の一つが、そうした楽しさや明るい気分を共有するものだ。


それは能が忘れがちな『同時代性』…今、見ている人々の息吹なのだ。
古典芸能であっても能楽だって、楽しさが大切だ。しかし、学問的見地であったり伝統云々という世界観から、能を語れば教条的に二元論を行使しがちな場合がある。
そこには芸能への愛、期待感が希薄だ。

確かに商業娯楽と能は違うのだろうが…私はファンの存在という意味で学ぶ事は幾多あると思う。

麺類

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私はそれほどに熱烈なラーメン好きではない。

いかな有名店であろうが、店前の客行列に並ぶなんて愚行に等しいと思っている。
仕事や運動の後などに小腹が空いて食べるラーメンが一番美味い。

ましてや空腹時に並ぶなど…無駄に苛つくだけではないか。(私はお腹が空くと人格がダークサイドになりやすい…)

さて、昔から私の居住する場所は何故か有名ラーメン店が多い。
学生時代は都内荻窪界隈に住んでいたが、当時は駅前から各有名店が軒を連ねていた。
雑誌にも掲載されて、グルメライター絶賛の店が大繁盛していた時代だ。

私も荻窪を引き上げるときに数日をかけて梯子しながらラーメン三昧。しかし、どの店も妙に主が威張っていて甚だ悪印象しか残っていないのは残念である。


また北関東某所、実家近所にもガイドブックで紹介されて、県外から客が来店する繁盛店が一軒ならず二軒も並び競っている。

何故、人々はラーメンに群がるのか。
一方で閉店してゆくラーメン店の多い事実も確かだ。
私はラーメンみたいな食べ物は、日常的に昼間の営業周り、夕方の部活学生や帰宅途中の会社員などが気軽に立ち寄る店が本来の姿だと思う。

結局は『ラーメン』がイベント化して、並んで入る店が大繁盛…それはビジネスモデルの成功例の一つなのだろう、しかし、老舗として地域へ根を張って商売する気があるのか…?
その辺りが、どうも胡散臭い。

煩悩

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写メは能『井筒』山中一馬


『ステマ』…という用語が話題になっている。まだ飲み込めていない言葉ではある。それに関連するのかは疑問があるのだが、例えば私が撮影に入る能公演についてブログ内で紹介したり、あるいは撮影した公演の感想なり撮影所感を記したとする。


私の本意としては能楽振興の一助としてブログで触れたしても、人が読めば、やはり番宣の一つに他ならないのだろうか。

あるいは、あからさまに、これは宣伝です…と言い切った方が潔いだろうか。


だが、それでは公平に能を紹介している態度とは思われない…少なくとも、私自身はそういう記事の裏読みをする。

『要するに、この撮影者による記事は金銭の有無に関わらず、間違いなく主催者に媚びている…』と思うだろう。


一方で、舞台に関わるスタッフや関係者は能公演に対して積極的に発言しても良いのではないか…とも考えたりする。


今まで、撮影に入った場合でも不遜と思われようが能楽師を『先生』と呼んだ事はほとんどない。
私自身が師匠に付いて習っている関係もあり『先生』と呼ぶのは私の師匠だけで、他は『…さん』で通してきた。


撮影の後『今日の先生のお舞台は素晴らしいです…』と、上手い世辞の一つくらいブログで言えたらな…と思うが、どことなく仏頂面して挨拶もそこそこに帰るのが私。(そんな風に見えるはずだと自覚)…しかもブログでも滅多に触れず。

各流儀に対して、勉強の意味で役者の方々に質問する場合を除けば、私は一切演出に関しては鈍感である。


最近、少し気に病みすぎるのかな。
今は余計な意識は払拭して撮影に臨みたい。とかく雑念は迷いや妄執を生む。

人生の試みを能に求めて何が悪い…『今日一日の撮影を楽しもう』

でわ、また明日。


おやすみぃちゃん!