性格判断
ラーメン屋の看板犬…お客さん来ないかなぁ。
先日、『廃墟写真』について述べた。
以前にもブログ内で書いているはずだ。私の意見は批判的な傾向の内容だ。
先年、二人の写真家が『廃墟写真』の著作を巡り司法判断を仰ぐ事態に至った。その後の推移は未見なのだが、実に無駄で愚かな事だと私は思う。
作家や画家、写真家たるもの作品の内容で競うもので、例え同様のモチーフや主題、モデルであったとしても同一にはならないはずなのだ。
同じ場所から対象を眺めて、それなりに学んだ者等が撮影者ならば同一な作品になるのは当たり前だと言える。
そこで、次回は違う構図を探す、あるいは再度撮影に臨み、定点観測として作品にする。
『廃墟』という時間過程における(波打ち際にある砂の城)を主題とするならば、まさに時間こそが命題だと考える。
しかし、法廷に著作権利を持ち込んだという事は少なからず二人が作家性を喪失したか、あるいは営業的に差別化を要求された結果なのだろうか。
作家とはある意味において反社会的な要素も持つ…社会風刺という表現が許され、また使える職業でもあると思っている。
法廷の場とは、(推定無罪)が原則であり、無罪の是非を争うのが司法である。人を有罪にして締め揚げる場と考えるならば、モンテスキュー以前の中世に逆戻りとなり、それは違うだろう。
いかに、その行為が無罪ではなく、厳しく有罪に等しいか…が焦点だ。
しかし、いやしくも常に表現世界の前衛であり先鋭である。あるいは歴史の知恵を集大成すべき作家自らが、作品性格を司法で争う場でない。
著作権利の是非と作品性の判断を混同して司法判断に委ねた悲劇というべきか。
真夏
先日の23日、発売された『真夏のsoundgoods』…買ってしまった。
実は、この記事はブログ予定稿として20日に書いている。
初めて予約して買うか…さて。
改めて更新したと言うことは、まぎれもなく。
『買った!』
この曲は配信中から耳障りが良く、もはや若くはない私の音感でも簡単に覚えられた。
それは、どことなく太田裕美が歌った『木綿のハンカチ』と似ているからだろう。
さらには選挙なのださうだ。
あまつさえ『総選挙』などという言葉を芸能行事に祭り上げた…まさに、ファンと関係者においては『祭りの御輿と奉納』なのだろう。そういうシステムに練り上げた企画は見事なものだ。
ともあれ…私。
推しメンは彼女をおいて他にはない。
酒題
思えば、ずっと『孤独の憂』というものがあって、仕事帰りに居酒屋のカウンターで飲むような習慣が身についていた。そうして、帰宅した際の寂しさを適度に誤魔化してきた。
満たそうとして酒を注いだ杯の隣に、底の無い闇を潜ませた杯が見えた。闇は私の酒を瞬時に奪う。
『酒なんか飲んでも楽しくはならないや…。』
飲み屋のカウンターで展開するネタ話に飽いたのも一つだろう。もしかすると、私がまだ意識的に子供なのかも知れない。
例えば、私はアイドルはアイドルの展開と方向性を楽しむ話題が好きだし(みぃちゃんが心配だなぁ…とか)、映画女優ならば演技や作品論を聞きたいと思う。
人は誰でも憎悪の装置を心に持っている(装置がない人もまれにはいるだろう)…装置が発動、反応する話題は人によって違う。
ゆえに多様だから、何人もヘイトな言葉や質問、疑念、嫉妬は、酒の席では口にはしない方が互いに幸せなのだ。
いわゆる(心の壁)という奴だ。
しかし、酒はそうした壁を取り払う効果もある。あるからこそ、酒は必要な楽しみであり、また難しいのだ。
酒は酔うために飲むのではない。少しだけ壁を外してみたい時に酒は必要となる。
昨夜、韓国の友人に深夜酔った勢いで電話をしてみた。
偶然、向こうも飲んでいたようで、久しく二年ぶりの会話が弾んだ。
酒の楽しさとは好機、千載一遇なのだと思う。



