魅力
能『石橋』大淵みなみ・清門会2011
今年前半の撮影、自分のライフテーマとしている能『石橋(しゃっきょう)』がようやく終わった。
この能の見せ場は、華麗な獅子舞にある。
紅白の牡丹、重厚な存在感の白獅子と果敢に舞う赤獅子の対比。
その軽快な型と舞いは撮影者が狙って追いきれる舞台ではない。
私は『石橋』を撮影する度に、己の未熟さを自覚する。
狙いを外して失敗し、まさに獅子に突き落とされた気分になる時さえある。
撮影が終わった夜、ひたすら自己嫌悪だったりして寝付けない…で、仕方なく酒に逃げたりする訳だ。
だが、獅子舞が始まる『来序』の囃子を聞くと、能撮影をしている醍醐味、自分だけが見ている獅子の刹那が忘れられない。
石橋
明日は能『石橋』
代々木能舞台
開場午後17・30開演午後18・30分。チケット席僅少。
戦前の名残をあるタイトな能舞台、そこに紅白の獅子が舞う『石橋』の動と静の力学的行使を是非、堪能されたし。
さて、禁酒だ・減量だのと言葉にはする。
それなりに実行はしているが、一向に体重は減らない。
先週末に意味もなく目眩が酷くて、さらに風邪も引いてしまい、やむなく医師の診察を受けた。
体脂肪やら血糖値も計測…自分で思っていたよりは肥満ではなかった。ギリギリで普通値ボーダーを遵守。
確かに年始から禁酒を消極的に実施していて、酒量は大幅に減った。
たまに知人と飲むだけ…自分で居酒屋へ行き『孤独の嘆』の酒を満たすことは無くなった。
春先のギックリ腰の心理的影響も大きい。
一歩も歩けない恐怖というのは、サバンナで足を痛めた野生動物に等しいものだ。
明日は撮影。
機材確認をして寝よう。
今日の更新に落ちは皆無です。悪しからず。
廃物
身近にあった棄物群。
時間が経過すれば、物とは本来の姿から廃物へと変わる。
記憶の中にあった映像は次第に曖昧になって『そんな場所や形だった…かな』と思い出しても、わずかな郷愁を誘う事はあっても、往事のように使ってみる事に意義を何ら感じないものだ。
昨年の震災前まで、写真作品のシーンとして『廃墟写真』というジャンルがあった。地方の山野に埋もれる廃鉱山や工場、捨てられたホテルなど、経済成長の陰で捨てられた抜け殻みたいな風景を撮影したものだ。
かって活動する人々が残した気配や記憶を辿る事で、郷愁を文明批判に置き換えて記号化した写真作品群だった。
だが、東日本大震災は国土自体が放射線による被害に廃墟と化す危険を招き、また津波による被災地は文明と人々の生活を押し流して、『郷里』は文字通りの廃墟と化した。
運命に告知された真実の『廃墟』とは、人が眺める風景作品ではなかった。
『廃墟』とは、人類の生命が消滅した未来に眺める残骸であり、表現言語を喪失した神仏の残曵でしかない。その擬体験を震災により人々は知ってしまったのだ。
実生活が廃墟化しているような不安定さの中、こうして『廃墟写真』というジャンル自体が…棄景となりつつある。
そして写真は、未だ反省のないままに『廃墟写真』を生み出した想像力の貧困さを抜け出せず、大量に消費され消去されてゆく画像群にすがろうとしているように見える。





