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ベルリン地下

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ちょうど、旧ナチスドイツがベルリンの地下に構築した地下施設の番組を見ている。

ベルリンの地下深く、分厚いコンクリートの四車線道路から防空壕、各施設まで地下都市を作成しているのだ。
合理的な建築技術で、もちろん連合軍の猛爆にも耐えた。
70年前は狂気の都市計画だったろうが…ドイツの防空塔の話など、あまりに堅固すぎて連合軍が築山に埋めた話など、日本的情緒の枠を越えている。


現在は、ベルリンの地下世界協会などの研究組織が発掘をしているらしい…確かに、東京にも戦前の地下鉄跡があると云うがコンクリートの規模が違うようだ。

ただ、ベルリンがかって沼だったというのは、東京と似ている。
当時のナチスが育てた建築学、その都市構築という考察と実現の点では、未来的だと感じる。

なにしろ…21世紀になった日本では、原発事故を参考にした建築学や都市計画、居住システムの再検討すら政府の対応は鈍い…電源が何となく必要だからの曖昧さで、再稼動するという。


人間は手間を嫌う生物だと私は思う。
人間だと認識すれば、その欠点を克服する…手間を嫌う弱みを、社会システムとして乗り越えて『文明の知恵』と言うのだろうか。
ありのまま、自然のままに生きるというのは、実は一番に難しいのだろう。

酒と友

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梅雨寒だ。

さすがに体の動きが鈍い。
少し前は必ずいずこかの飲み屋に立ち寄ってゆくのが癖であった。
小雨が降る夜は酒…そういう感覚が支配していた。


消極的な禁酒を始めてから、次第に酒席からは足がが遠くなり、ひっそりと部屋で過ごす夜が増えた。
酒が入らないからといって、特に健康的になったわけではない。

思えば、酒が恋しいというより雨夜の人恋しさであろう。

それでも、ふと思うのだ。年老いて酒が飲めなくなる、あるいは美味しく感じなくなる…というのは少しばかり耐えがたい。
友もなく、誰からも酒に誘われなくなるとしたら、それも悲しいものだ。


では、お前の言う酒や友とは何だ…と問われれば、それは『鼓をポンと打つようなもの』…と思っている。

そこに意味などない。ただ『ポン』と音か響き、再び静寂に沈む。その繰り返しであったり、一度限りの共鳴であったり。
しかし、意味は持たない。それが酒と、その友だと思う。

物言わぬ相手

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再び、深夜の更新。

そもそも深夜とは文章を書くには不向きな時間帯だ。
脳内が一部しか覚醒しておらず、所要な推敲と判断が抜け落ちてしまうのだそうだ。

しかも質が悪いのは、深夜に書いた文章が自分の本意を巧みに表現している…自惚れてしまう事に無自覚。

前述の『ファンサービス』文も後で読むと、たぶん削除したくなりそうな内容だが、まぁ…仕方がない。


ところで、今年は消極的禁酒生活が続いている。特に先月末からは今までになく、酒から遙かに遠ざかった生活である。(しかし、酒を遠ざけても健康になる訳ではないようで、そこを世間は甚だ誤解している)


たまに実家に帰省した時、ほとんど私は庭木や花の手入れだけに時間を使うようになった。ひたすら一日中没頭している。農業従事者と変わらないくらい植物の世話だ。

その草花や庭木と相性が悪いのが、どうも酒らしいのだ。
二日酔いでは、狭くとも庭仕事は意外と辛い、という事実もあるが、理由はそれだけではない。

庭で花の手入れをしながら、『…俺たち、酒飲みは苦手なんだよ…』という声を聞いたような感覚があったからだ。

花というのは不思議な相手で、こちらが手をかけた分だけ花を咲かせる性質がある。
ところが、酒の入った翌日は世話が手抜きになりがちで、ゆえに庭の花達は酒飲みを嫌う…。


いや。いや、私自身が植物のように物言わぬ相手が好ましいだけなのだろう。


そうに違いない。


ある意味で、人間失格だな。