鮎釣り
朝方から涼しい風が吹いていた。
きっと川面はさらに涼しいだろう…と、私は川が見たくて、ボロチャリに乗って近所の河原へ行ってみた。
数人の人等が釣りをしている。この川は、魚権がないので一般人も釣れるのだと聞いた事がある。
ちょうど季節的にも鮎釣りのシーズン。一人の老人が竿を三度くらい引く割合で一匹ずつ見事に釣りあげてゆく。
『お見事ですね』
…いや、入れ喰いとはゆかなくてね…。
『鮎はどこから?』
…東京湾だね。天然物の江戸前だよ…
『食べられるのですか』
…いや、魚自体が油臭いし食べられないよ…。
帰り支度の親子連れが、それまで釣ってボックスに入れた鮎達を子供等が川に再放流していた。
…ほら、魚が川に還ってゆくよ…放しちゃうと、すぐに見えなくなっちゃうね…。
小鮎せばしる、せぜらぎに、かだみて魚は世もつきじ…。
謡曲『鵜飼』より。
能には鵜飼や国栖、放生川に鮎がでてくる。鮎は古来から神聖で大切な魚とされた。
初夏の川に普通に鮎が泳ぐ風景…そういう情感を貴重と思う心さえ、今は時代遅れで知恵の足りないノスタルジアだと勘違いする。
こうやって身近に自然の生物がいて、どうにか都会の生活も僅かながら保っているに過ぎないだろうに。
虫干し
発熱と風邪のふらつきを押さえながら、何とか納品先へ搬入。
そこは都内の某能楽堂。ちょうど時期的に(虫干し)の最中。
舞台に吊り下げられた能衣装。一つ一つに創意があり、能専用の着物でありながら、一つの服飾デザインの思想を具現している点がおもしろいと感じる。
ひっそりと静まり返った舞台に一人。
能舞台を覆い尽くす衣装群の隙間から天井の灯りが舞台床を照らす。
舞台に立っていると、足の下から得体の知れない力に似たものが伝わってくる。
これはパワースポットか…いや、いや。
そんな神秘主義は、存在しない。
舞台特有の緊迫感が私を刺激するのだろう。目の前に観客が詰める見所があり、舞台と衣装が空間を埋め尽くしているのだ。
人がいようが、いまいが…舞台とは常に緊迫感を湛えているものだ。
この圧倒される空気に耐えられないと、本当の意味での舞台は勤まらない。
足の指先に軽く熱気が伝わってくる。
久しく味わっていなかった感触を、少し懐かしく思った。



