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能『通小町』

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ともかく二百余番を目指して、開始する事にします。

能『通小町』
山城国八瀬の里。
晩夏の日々を一夏の安居(※あんご)修行に明かす一人の僧がいた。この僧の庵へ、毎日欠かさずに木の実や爪木(つまぎ)を届けに来る一人の女があった。

『あの女性には何か仏道への思いがあるのだろうか、次は話しかけて名前などを問うてみよう』
僧が待つところへ、今日も女は庵へやって来た。
僧の問いかけに、女は『私の名前など、今更自ら言うのも恥ずかしい…私の名前は、おの…いいえ、市原野辺に住む姥…どうか、私の魂を弔って下さい…』と言い捨てて姿を消した。

僧は、女が小野小町の幽霊であったことを『市原野辺』という言葉から推察し、小町の跡を弔うべく市原野に赴いた。

後場
弔う僧の読経の中、やがて小町の霊が現れ、女は仏道に入るべく受戒を僧に求めた。
だが…その時であった。
ずっと小町の背後の陰より、僧と小町を見ていたように、小町の言葉を引き取る嫉妬に満ちた男の声が遮った。


『貴女一人だけの成仏なんか認めない…』
月照りもなく、深い漆黒の闇から一人の男が現れた。
『貴女の受戒を求める心が山鹿のように向かうところ止まらないものならば…私の煩悩は、追っても去らぬ犬のように貴女から離れるものか…』と、妄執の様相で小町の袖に付くのである。

僧は、この男が小町に恋慕の果てに悶死した四位少将と知り、その思いを語らせる事で、小町と少将を仏道へ導く事を計ることにした。


言われるままに、少将は百夜通いの様子を再現し、ついに百日目の夜に至る。

『さて、小町との二人の祝いの酒はどうしたものか…月を杯に見立てて契りとしようか…』と、少将は、いつしか空にかかる月を眺めた。

そうか、祝い酒も思えば戒律に反する。小町を思う煩悩も戒律から外れた行いだった。大切な心を私は忘れていた。

少将が、一念の果てに悟りを得た瞬間、多くの罪も小町への煩悩も消え去って、二人は成仏したのであった。

※一夏
(仏教で陰暦四月十五日から七月十五日までの三ヶ月、外出せずに室内修行をする安居期間を一夏と呼ぶ)

能面とアニマ

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写真は本文とは無関係です。


先日の事。
ある能役者の方が勤めた舞台を撮影した。その写真を役者本人へ謹呈した際、師は写真を眺めながら『僕はね…この小面が大好きなんだ』と、実に楽しそうに語られた。


役者が好む能面とは演じる曲趣に沿い、その選択は様々だ。
しかし、師の言葉にはその小面に対する愛情とか敬意に近いものがあるように感じられた。
能面という道具性を少し越えて、その面を身に付ける幸せ感を言外に示されているようにも見えた。

その面を愛するからこそ、舞台で使いこなす技術を磨く事なのだろうか。


男にはアニマという女性感覚があると云う。いわゆる理想的女性像であるばかりでなく、本人自身の女性感みたいなもの。

そのアニマの使い分けが、男性自体の行動を支配したりする…要するに純度100%の男性は存在しないという説だ。


能は地声で天女や源氏物語の女を男性が演じる演劇だ。
能面という助けを得て、美女への装いを完成させている。
だが…能面と装束の内側で起きている肉体内の変化や精神的変容を見逃すと、『能は単にコスプレと違わないぢゃないか?』と口にしたり、思わぬ半可通が現れたりする。


『僕はこの小面が好きでね…』
役者ならではの含蓄のある言葉だと思った。


蛇足と妄想
『推し面』…もし、私推しメン峯岸みなみの顔を、私の顔に付けたら…おそらく、私は何かを演じずにはいられないだろう。吹き荒れる妄想は果てしない。

ひまわり

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『ひまわり』


同名の映画がある。ソフィア・ローレン主演の哀切に満ちた作品だ。何が悪いのか…たぶん『戦争』だろう。戦争とは、いかなる大儀を立てても結果は暴力行為であることには変わりない。


昨日より腹に据えかねる一件があり、今日の夕方から次第に爆発的な怒りへ到達。

それはブログやツィッターに記す事ではない…ネットとは公な場であるし、感情的な文言は控えたい。
また、能で云うところの『離見の見』という箴言もある。
(怒り言葉なんて、発しても書いても、傍からはみっともないからね)


ゆえに極力、怒りというものを、昼間から押さえて活動していた。しかし、あからさまな侮辱を浴び、久しぶりの屈辱感を味わった。


『フッ、私もまだ甘いな…』


俗に相手を見くびる…という言葉があるが、私が見くびられたとは思わない。


いや…それよりも、『自分のしている行為の意味、その結果がどうなるか理解していますか?』


私は恨みよりも、さらに『報い』の方が怖い。まさに負に転じた場合は取り返しがつかないものだ。
未来や仕事、家族や恋人、家や財産も全部失うくらい『負に転じた報い』から逃げることが不可能だからだ。


まだ人に恨まれるくらいなら、幾度なりとも少しはマシだと思う。


…いやはや。