時過ぎれば。
忘れた頃にやってきた。
私の右肩には持病があって、突然に暴れだす時がある。
猛烈な激痛と麻痺に数日は苦しめられる。
全く手は動かず、あまりの痛みに寝たきり状態。
昨日は丸一日、布団の中にいた。こんな時に限って食料の備蓄もなく…。
外を歩きようもないので我慢の一日。
そうやって幼い頃は、よく入退院を繰り返して病院のベットで本を読んでいた。
以来、病床で一人で過ごすのは慣れてしまったから、もはや諦めの境地だ。
ただ、綺麗な看護師さんがいないのは悔しい。
先日、チベットの鳥葬を扱った写真記事を見た。
文字通り鳥に遺体を食べさせて、自然に還す古来伝統の思想だ。
葬儀が始まると、ハゲ鷹の仲間が集まってくる。彼らは真ん丸な目を見開いて遺体を凝視している。
坊さんが読経を上げるのを聞きながら、心待にしている。
その表情が、何か崇高にも思えた。鳥達に、肉は食べられて骨は地に帰る。
平安時代以前には、鳥辺野付近で似たような状態だったと伝わるが、いかんせん日本はカラスで食うのが遅い。しかも、湿度も多い地域なので、数日で腐ってしまう。
山の頂きを眺めながら鳥葬は良いな…と思った。山には不思議な力を感じたりする。比叡山や三輪山を見た時もそうだった。
何とか、ハゲ鷹達を保護しながら鳥葬も残して欲しいものだ。
もう世界文化遺産にはなったのかな?
マイルストーン
昭和の日本映画における巨匠としてマキノ雅博がいる。
この監督の下で育った俳優、女優は多いが、その一人が山田五十鈴だ。
若くして銀幕にデビュー、日本的な顔立ちと演技力で大スターなった。
だが、もとから名女優であったわけでもないらしい。
しかしながら、十代で若手スターとなり、彼女は天狗になったようだ。
そこへ次回作の監督がマキノ雅博。
山田の奔放振りに業を煮やし、ついに『あんな下品な娘は追放しろ!』と言い出した。彼女の才能に惚れ込んでいたから、出た怒りだったのだろう。しかし、巨匠の怒りは周囲を震撼畏怖させた。
代わりの監督を名乗り出る人物は誰もなく、企画は頓挫寸前に製作会社は困り果てた。
ついに山田自身がマキノに頭を下げて、詫びを入れた。ただ、山田五十鈴が偉いのは、ここから女優業に邁進した事だ。
後年、テレビ番組にて『あの時、本気でマキノ監督に叱られなかったら、たぶん私は消えていた』と山田五十鈴が述べているのを、私は見た記憶がある。
私にも似たような経験がある。その信頼に答えているかは不明だが、いくつになったから終わり…という事ではない。
私が死ぬまで答えを探そう、と思っている。
能面の視線、役者の視聴感覚。
能松風
シテ浅見慈一(手前)
ツレ馬野正基(後方)代々木果迢会
能楽堂の照明は明るいとは言い切れない。フィルム時代は感度800で1/60・絞り4くらいと目安にされた。いや、さらに一段以上に暗い舞台もある。
さて、そんな舞台を前にして、私が欲しいのは、能楽師が演技する視線である。能面の目線を狙う…という言い方が妥当かも知れない。
実際、能役者は能面の目穴を通じて外界を見てはいない。能面の視線が、見ているように身体を扱っているだけなのだ。
能面が何かを凝視し、その視線が対象を捉えた瞬間、それを見えていなくとも、演じてゆく役者の皮膚感覚に近いのかも知れない。
そういう演技上での視線を、私が撮影して残せたら、その能を一枚の写真で語る事も可能だろうか。
それが撮影者の思い上がりだとしても、瞬間に賭けたいとは思う。
写メの一枚は、全体をカットして二人の視線だけを生かしてみた。二人が見ている月は同じでも、月に対する思いは違う。
それは月を恋人に言い換えて、解釈すると分かりやすい。


