春浅し…と人は云う。
写メは樹齢四百年の大欅。
もはや幽閉生活にも飽きた。仕事をせず寝ているので、正直に言えば…苛つく。
こういう状況には、慣れているので気晴らしは得意だが、あまり人には会いたくない。家族さえ、実際の会話は煩わしいものだ。
この状態が治ったら、とりあえず…飲みだな。
撮影仕事先で、刺激を受けている時が一番楽である…と改めて実感する。
歳時記を眺めていた、こんな俳句があった。
『春浅し、相見て癒えし同病者』石田波郷
石田波郷は1913~1969 松山生まれ 明治大学中退 『人間探求の俳句』として多くの作品を残した昭和の大俳人。
ちょっとだけ、句に引かれてメモった。
春浅し…と季から入り、相見て…で客位の描写。癒えし同病者…の痛ましさが、情景の背後に字幕として刺さる。
私は、俳句や短歌が読み手による自己完結された閉ざされた嫌らしさ…時に鼻持ちならない花鳥風月と嘘臭い侘び寂び、その増長した感覚が苦手なのだが…。
春という舞台に立って、あえて諮意を加えない感覚が(春は人を饒舌にするからね)…意識的な表現を外した視点が良い。
『春浅し相見て…』ただ純粋に、冬を越えて春に佇む、その皮膚感覚は幾度となく経験したはずだが、言葉には難しい。
こうして句を眺めるのは、生活に飽きた脳内を言葉で掃除する作業にはなる。
どうせ矛盾しているんだからさ。
『エデン』リリー・フランキー演じる怪マスターの一言一句が秀逸。
マスターに、何も知らない(無垢なアイドル三人…マジにそうか…みぃちゃん、どうなんだ?)が、乗せられて吹き出す怪しい言葉。
これは、昭和四十年代後半のラジオ深夜放送の雰囲気だと思った。
当時のパーソナリティは、そういう言葉で遊ぶ空気感覚があった。
この『エデン』…ゲストの怪演もあり、深夜帯の番組としては成功作だろう。
日曜深夜に不定期というのが良いのだ。
時に放送禁止用語まで踏み込みそうな危うさも、見方を変えれば人の本質に関わるテーゼだったりするわけだし…ね。
『エデン』が始まる少し前、『日本人は何を考えてきたか…西田哲学』も見ていた。
戦時下、西田の弟子とも言える京都学派の若い学者達が、大東亜共栄圏を後付けする作業を老舗料亭に集い行っていた…その茶番の果て、我が身を日米戦略戦争の最中に身を置いている『自覚』は喪失してしまったのだろう。
原子爆弾の登場によって、政治や哲学、彼らが学んだ近代思想は、子供が庭の蟻巣を踏みつけるように消滅する。
西田哲学が戦争協力をしたとは思わないが、彼らが『言葉(テーゼ)』と『自らの肉体や精神』と同一に思考した結果、白紙に真円を描いた姿…円の内外を俯瞰する態度を忘れてしまった。いつしか、西田自身が、思考の真円の内外から弾き出されてしまったのではないか。
そういう怖さが、全体主義を背景にする社会では必然の風景だ。
タレントやアイドルが戯れに口にした言葉…悪趣味だったり、悪ふざけにも見える。
しかし、言葉とは無邪気で露悪な毒も含んでいるから、我々は脳内で活用できている…アリスのコピーバンド(ア○○…か)そういう言葉遊びは、大切なんだよね。


