どうせ矛盾しているんだからさ。
『エデン』リリー・フランキー演じる怪マスターの一言一句が秀逸。
マスターに、何も知らない(無垢なアイドル三人…マジにそうか…みぃちゃん、どうなんだ?)が、乗せられて吹き出す怪しい言葉。
これは、昭和四十年代後半のラジオ深夜放送の雰囲気だと思った。
当時のパーソナリティは、そういう言葉で遊ぶ空気感覚があった。
この『エデン』…ゲストの怪演もあり、深夜帯の番組としては成功作だろう。
日曜深夜に不定期というのが良いのだ。
時に放送禁止用語まで踏み込みそうな危うさも、見方を変えれば人の本質に関わるテーゼだったりするわけだし…ね。
『エデン』が始まる少し前、『日本人は何を考えてきたか…西田哲学』も見ていた。
戦時下、西田の弟子とも言える京都学派の若い学者達が、大東亜共栄圏を後付けする作業を老舗料亭に集い行っていた…その茶番の果て、我が身を日米戦略戦争の最中に身を置いている『自覚』は喪失してしまったのだろう。
原子爆弾の登場によって、政治や哲学、彼らが学んだ近代思想は、子供が庭の蟻巣を踏みつけるように消滅する。
西田哲学が戦争協力をしたとは思わないが、彼らが『言葉(テーゼ)』と『自らの肉体や精神』と同一に思考した結果、白紙に真円を描いた姿…円の内外を俯瞰する態度を忘れてしまった。いつしか、西田自身が、思考の真円の内外から弾き出されてしまったのではないか。
そういう怖さが、全体主義を背景にする社会では必然の風景だ。
タレントやアイドルが戯れに口にした言葉…悪趣味だったり、悪ふざけにも見える。
しかし、言葉とは無邪気で露悪な毒も含んでいるから、我々は脳内で活用できている…アリスのコピーバンド(ア○○…か)そういう言葉遊びは、大切なんだよね。
