春浅し…と人は云う。
写メは樹齢四百年の大欅。
もはや幽閉生活にも飽きた。仕事をせず寝ているので、正直に言えば…苛つく。
こういう状況には、慣れているので気晴らしは得意だが、あまり人には会いたくない。家族さえ、実際の会話は煩わしいものだ。
この状態が治ったら、とりあえず…飲みだな。
撮影仕事先で、刺激を受けている時が一番楽である…と改めて実感する。
歳時記を眺めていた、こんな俳句があった。
『春浅し、相見て癒えし同病者』石田波郷
石田波郷は1913~1969 松山生まれ 明治大学中退 『人間探求の俳句』として多くの作品を残した昭和の大俳人。
ちょっとだけ、句に引かれてメモった。
春浅し…と季から入り、相見て…で客位の描写。癒えし同病者…の痛ましさが、情景の背後に字幕として刺さる。
私は、俳句や短歌が読み手による自己完結された閉ざされた嫌らしさ…時に鼻持ちならない花鳥風月と嘘臭い侘び寂び、その増長した感覚が苦手なのだが…。
春という舞台に立って、あえて諮意を加えない感覚が(春は人を饒舌にするからね)…意識的な表現を外した視点が良い。
『春浅し相見て…』ただ純粋に、冬を越えて春に佇む、その皮膚感覚は幾度となく経験したはずだが、言葉には難しい。
こうして句を眺めるのは、生活に飽きた脳内を言葉で掃除する作業にはなる。
