最後の一皿
自炊で難しいのは、料理に季節感を出すことだ。どうしても似たような食事になりがちで、季節感のある食材は高価な物が多い。
今ならば山菜ではウルイにタラの芽、蕗の薹。海ならばサヨリやサワラ、蛤にトリガイ…贅沢過ぎだな。
ふぅ…。
季節料理を求めて、店で一献。確かに楽しい、夢のある場所ではある。
一方で思うのだ。
食べたいと強く念じているうちは、人間は死なないな…元気な証拠だと。
しかし、実家の両親などは夏になると『産地で鮎が食べたい』と口にする。
だが、いざ食べようとすると今度は『原発事故』で鮎は禁猟であったり業者が撤退したり…。
春、東北の山野では山菜が籠に一杯採れる。けれど、今は春の山野を巡る人はいない。汚染で採集する喜びもない。
そういう冷酷な運命を穏やかな死として眺めさせられる実感もある。
純粋に食事の楽しみは、あの震災が来る三十分前に渋谷で食べた『鯨定食』を最後にして終わった。
あの時が、無邪気に食事の快楽を味わった最後の一皿だった。
しらす干し
しらす干しを買ってきた。
いつも選ぶのは、しらす以外にも、イカやタコ・海老・小魚が混じっている品である。箸で『妙な生き物』達を探す楽しみがある。まれに大きなイカの子供などが入っている。
暖かいご飯に、しらす干しを振りかけて刻み海苔を添えて醤油を軽く振る。
これが、すこぶるに美味いんだよね。
こういう飯を食べると日本人で良かったと感じる。たぶん、私は海苔としらす干しがあれば何とかなる。
都市近郊に暮らせば、お金を出す限りは美味しい物が手に入るだろう。お店で提供される事も客になれば、いくらでも叶う。
しかし…だ。
そんなに、私は裕福ではない。毎日が清貧と称した生活をしている。
そして料理とは日常である。毎日を支える食事作りの作業は、大切な健康継続の一部だ。
ゆえに、外食よりは自炊重視に傾く。
自炊していて、誰かに食べさせる訳ぢゃないけど、良い料理は結局は自分のため。入院して病院食を食べると、外食やインスタント食品は塩分はやたらに強いなぁ、という食感が先に立つ。
いや、けっして自炊賛辞ではないのだが
、商売として食べさせるために調理する外食と、生活として食べるための作る自炊の差かな。




