HOODのブログ -28ページ目

転売ヤー。


昼間、自宅にリサイクル業者を名乗る電話があった。曰く『フィルムカメラとオーディオを探しています…』よく耳にするのは『着物買取り』で自宅訪問のアポを取り、強引に貴金属などを安値で買い取る詐欺…たぶん、そういう類いなのだろうが、『フィルムカメラ』というのが新規だった。


当方、売るために修理して集める転売ヤーじゃないんでね。

でも、うっかりすると騙されそうだな。

稽古・私見


以下、私見であるので理解可能な人は皆無に近いと思われる。
先日、図書館で剣道雑誌を眺めていたら、上段構えより振り下ろす型を説明した記事があった。
振り出した柄を先に来るようにして、真っ直ぐに竹刀を下ろす。脇、特に左手、左肘を絞り込みが注意点…そんな内容であった。

『ん…能仕舞の差し込み開きと似ているな。いや、左右の肘使いか。』

通常は扇を持つ右手に使う際の意識が行き勝ちである。左手は結んでいるだけで、右と左の間にあるべき緊張感を演技として表現するのが難しい。極細かつ鋼のような糸で互いを引き合うような構えが、私的には理想だった。

剣道は竹刀の軸線があって、特に振り下ろした際に斜めなったり、蛇行しては刀の場合では相手を斬り落とせない。

扇や竹刀ともに振り出し起点から下ろした着点まで一つの動作意識であり、その繰り返しが一つの構えを生む。

言葉に書こうとすると難しいのだが、起点と着点は常に連続しており、着点が次の動作への起点へ転換する。いわば、所作はループ状態であり、そこに緊張感を演出する身体術がある。

もちろん頭で考えても、身体で体系化されていなければ意味もない。


たぶん…この話題が続く。

未熟な戦い


以前、靖国神社の境内には戦争資料の施設があった。今は立派なガラス張りの展示館だが、当時は戦前の面影を留めた古めかしい建物の中に、復元された人間魚雷『回天』や九七式戦車や彗星艦爆などが展示されていた。その建物の傍ら前庭に、赤錆た丸い輪切りになった鉄の構造物が展示してあり、それは展示物というよりも、何か置き忘れたような雰囲気の中にあった。

その錆びた構造物は人間魚雷『回天』の船体を一部切断して保存した物であり、ちょうど操縦部に相当する付近。床に小さなハッチがあり、それと理解出来た。私は館内にある復元された模型的な『回天』よりも、雨ざらしで輪切りされた赤錆た構造物に、人間魚雷の残酷な運命を見るような思いがした。

先日、北朝鮮の工場を米国の衛星による探査写真が公開されて、北朝鮮が建造中の潜水艦構造物とニュースでは報道していた。その写真を見て、そこで、あの『回天』の輪切りになった構造物を思い出した。

戦争とは空しいもので、映画や劇画のように物語・ロマンなどは存在しない。いかなる精神主義で美化しても、物語の介在する余地は微塵もない。人間同士が戦いながら、最も非人間的な技術と行動と意思が支配するもの、それが戦争だ。

昨日のブログでも、『回天』の操縦操作が困難であることに触れた。しかし、『回天』とは戦局打開を祈る精神的兵器に近い。単なる機械にシンボル性を求める点で歪んだ祭祀性質が伺える。この精神主義が、引いては我が国まで核を選択しようとする未熟な汎神論を産み、いまもって我々の脳裏から離れてはゆかないのだ。