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スカイクロラ…死と期待された来世

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見たい映画はあっても、時間の都合が意外と見いだせない。
基本、私は自由人生活だが『自由と言われるほど自由ではない…』、話題の『シン・ゴジラ』もまだ未知未見のままだ。


そうやって劇場公開を逃した作品の一つに映画『スカイクロラ』がある。SFアニメ作品としては静謐な感触の強い作品であり、幾度も転生を繰り返しながら戦いを続ける若者達を描く。その心象風景には、戦前の特別攻撃隊隊員に似た『死の未来』に支配された空気が漂う。

『死』の境界が曖昧なまま戦場に送り出され戦死する若者達に、贈られた『期待された来世』…輪廻を断ち切る方法は自らの死以外にあるのだろうか。

その作品中、印象深いシーンがある。それは、主人公青年と生死の交錯に生きる女性士官が執務する部屋の描写。

モノトーンな室内、机の背後に窓。窓からは飛行場の風景が遠望できる。感情や情感を排除した二人の会話…その室内描写と、一昨日に訪れた筑波航空隊記念館の士官室が、デジャブのように重なった。
記念館公開は映画『スカイクロラ』上映より後年であるため、記念館が作品に与えた影響は見当たらないように思われる。
だが、見事なくらいに記念館館内の士官室を見た瞬間、自分はスカイクロラの作品世界に入り込んだような錯覚すら覚えた。『たぶん、誰も私の到着は待っていない。ただ、期待された死が用意されているはずだ…』

滑走路を望む士官室の窓を境界として、三角形に似た時間軸の存在があるようにも思えた。以前に読んだ吉本隆明著『言語にとって美とは何か』論中に、時間軸の演題として能『東北・清経』を取り上げていて、時間の矛盾を開拓する世界が能なのだ…と、私は勝手に解釈したのだが、時間を強く止める支配空間は、時に人を妄想から現実の深淵へと招き入れる。

そういう私個人の妄想や感想は別にしても、筑波海軍航空隊記念館は周辺の建物や雰囲気も含めて、心への問いかけとして味わって欲しい。記念館の方に伺うと、来年以降の公開は未定との事であり、多少なりとも人々の関心を得られればと望む。

歴史と鎮魂



ブログで述べているように筑波海軍航空隊記念館は『県立こころの医療センター』病院敷地内にある。
戦史・歴史資料館として戦時の面影を伝える貴重な建物であるが、観光地として永続するためには幾つかのハードルを有する。

病院である以上、静かに来訪出来るような環境整備が必要なのだ。そして可能ならば戦史資料と同様に精神治療の資料展示もあって欲しい。

なぜならば、隣接する病棟や建物に無言の治療史と人々の存在を自分は感じたからだ。我々は精神医学や治療に対する知識や理解が深いとは必ずしも言えない。むしろ、『無理解である』と言うべきものだ。

筑波航空隊へ予備学生で召集された隊員達は都内の私立大学生が多かったという。彼らが戦争を好む理由など皆無に等しく、平和な日本の姿を否定しないであろう。そのために叡知を尽くす事は我々の努めであるし、彼ら隊員達の望みに答える事と思われるのだ。

我が国の戦争史、精神医学史ともに困難な歴史の連続がある。ならばこそ、資料として維持共生する可能性を模索しても良いのであるまいか。

困難な歴史であるからこそ、正しい資料の集積を果たし、その魂を安らかにして伝える作業も、また鎮魂になると考える。

滑走路脇を走る






記念館には隊員等の遺品や写真、手紙などの個人資料。黎明期の航空機に使用された木製プロペラ。

実物としてラバウル方面から帰国した零戦21型尾翼。中島製アブロ504型複葉機の機体一部。さらには大戦前に使用された水上機のフロート(機体不詳)が二組。
小笠原沖合いから引き揚げられた海軍機のエンジンなどがある。

先のブログでも記したが、私は靖国神社で展示されている復元された人間魚雷『回天』よりも、中庭に配置されていた赤錆で輪切りになった回天の構造物に戦争の虚しさを見る。

同様に尾翼だけの零戦に、まだ癒やされぬ記憶を感じた。薄く軽量化された骨組み、アルミチューブのような機体外板など、この残骸に多くの若者が残した言葉が宿るようにも見えた。

少し気分が回復したのかで艦船・飛行機マニア的視点も手伝って寄付された模型群は素直に楽しんだ。


病院前にバスが来る時間が迫ってきた。受け付け窓口で先程の係員氏に礼を改めてご挨拶をした。維持に御苦労があると言う事だが、歴史・戦史資料保存のためにも行政の助けがあればと思われた。

そうして、記念館を出ると敷地内の病院に向かうバスが走り去る…まずい、バスに間に合わない…諦めるか。

と、その時…『走れ、走れ、走れ、あれに乗らないと君は帰れないぞ』突然、見えない力が私を押す。

妙に重たくなった体で全力で病院まで走る。

今、私が走っている場所…それは旧滑走路と平行した道だ。
たぶん、教練で多くの隊員や兵士が走った道に違いない。

バスは私を待っていてくれた。そりゃあ、構内を必死で走るオッサンは目立つ。

友部駅より往路徒歩30分以上費やした道中は、復路バスで十分あまりだった。


夕方に帰宅した私は疲労したのであろう。意味不明な発熱を伴い、こうして解熱剤使用してブログ更新。