HOODのブログ -195ページ目

愛機


自分で分解修理した機材を使う。ジャンクカメラから外したプリズムで交換、巻き上げは分解して再組み上げして不良修正。

好きな機種だから、壊れるまで使うつもりでいる。状態の良い台の入手は望み薄いし、このカメラとの付き合いは一蓮托生に近い。



そう、フィルムも買ったよ。

不如意


記憶の隅っこに、拭い去れないトゲみたいなモノは誰しも、一つ二つはあるだろう。
そういうカサカサした感情というものは、年を重ねると消えるかな…と期待をしたが、どうにも無理だ。
ちょいと、そんなモノが顔を出している。


浅学で恥ずかしいのだが、『手元不如意で…』といえば下世話に『金がない』の意であったか。もし、言い換えが可能ならば、ここは『心元不如意』とでも言うのだろう。


ブログは書きたい事を書く。ジャーナリズムは書かなければならない事を書く…そこには必ず差はあるはずだ。いや、なければ困る。

だから、私が何かに戸惑った感情があって書いていたとしても、読み手に伝わらない場合もある。
ブログは、最初から読者を意識してはいないからだ。読ませようと書いていないのだから、ブログが面白いはずがない。そこには絶対の正当性がある。


ましてや、巧みな文章とは、いかなる文体や形態であるかは、私には説明出来ない。

しかし、書いた本人に問いかけがある文章、つまりは最初の読み手は本人自身であるべきだ…と思う。

やはり、ちょいとした迷いがあったのか。今晩の夕食は調理失敗した。

運足の稽古。


履き潰した足袋。穴の位置で私の運足癖が明解。舞台を支えてくれた足袋だけど、このあたりで私の足から解放してやろう。

『運足』とは能楽実技の用語の一つ。ハコビとも言うけど、舞台を舞う演技者の足の運び方を言う。

あの役者はハコビが美しい、この演者は足使いが汚い…と評価される一点でもある。

極端な表現を許されるならば、能は『運足が美しければ、他は何とかなる』と言っても良い。謂わば、まさに基本。玄人素人を問わず、運足には日頃の稽古や解釈が如実に現れてしまう『技術』なのだ。
ずっと稽古に使ってきたから捨てがたいけど、ボロボロになった足袋を休ませてあげるのも、また能における考え方だと思う。

穴が空いたから捨てるのではなくて、穴が空くまで稽古で使ったから休ませるのだ。

稽古とは、そういう世界が日常にあって成立するもので、単純に綺麗な足袋で着飾って得られるものではない。