春一番
もーすぐ、春ですね。恋をしてみませんか♪
最近、随所に峯岸みなみ卒業フラグが立っている。
いや、あの一期組三人が揃って卒業する可能性すら高い。
私的には『峯岸みなみ』がいて、その他大勢のメンバーという解釈でグループを見てきた。
彼女がいなくなれば、グループへの興味は薄くなるだろう。
シングルを買うこともないし、カラオケで歌う機会も減る。
密かに振り付けを覚えよう…それも、今後は終わる。
しかし…そうだ。その前に、ファンとして、やるべきことがあるだろう。
タネだ。
いますぐにでもタネに、タネに行きたい。
これは、私の知人というべきか、仲間というのか…いや身内かも知れない。
ミスチルを至上の存在として好きな女性がいて(既婚、一児の母だ)…は、旦那のツテを利用して知り得た情報を元に、某所にあるミスチルの桜井邸付近を意味もなく彷徨いたらしい。
『それはヤバイ…彼女、やっちまったな。』と私は思ったが、タネに行くのも小差はない。
妄想でファンは生きているようなものだ。
六月あたりに深夜、スナック『エデン』の営業が始まれば、間違いなく三人は…あれか。
妄想も現実の一部
これは妄想なんだけど、ふと…子供の頃に暮らした街に行ってみたくなる。
そこで、子供の姿をした自分を探すのだ。
当時の私は、学校で疲れきってしまい勉強どころではなかった。下校中の、疲労してぼんやり歩く自分の姿を再確認して、今さらどうしようもないが、そんなに悲観したものでは無かったよ…と言ってあげたい気もある。
バカはバカなりに人生は用意されてある。
帰宅した両親とご飯を食べて、お風呂に入って…また明日がくる。そういう暮らしをしていた街。つまりは思い出さえも、現実と経験が混濁した記憶になってしまって、今は言葉しても妄想に近い。
あるいは、死んだ私が、自分の生きていた時代に戻ってみる。そこで死は全く自覚されないんだけど、死に至るまでの自分に納得できれば良しとする。
納得できなければ、やり直す。あるいは修正してみる。
その妄想から覚めると、やはり新しい朝が来ている。何か変わるのかと言えば、なにも変わらない。
道端で拾った本を私は公園のベンチに座って読み、読み終えたら夜になってしまい、辺りは真っ暗だ。私は本をベンチに置いて立ち去る。
やがて誰かに、また朝がやってくる。
ジャンクカメラ…2
これぞ正真正銘のジャンクカメラ。動きません、完全に壊れてます。
コニカ・ビックミニシリーズの後期に属するタイプ。
もちろん買った時から見事に『不動ジャンク』
以前、私も前期型を愛用していて、一眼レフを必要としないくらいレンズ描写は魅力的だった。しかし、電装関係やプラスチックの材質に難が多いかった。例えば、カメラ裏蓋のヒンジ部分に操作データを一括しているフレキが配置されているが、これではフィルムを出し入れする度に劣化損傷は免れない。
あるいは裏蓋自体に割れやすい性質とか、なんだか残念なカメラでもあった。
どうして、こんな説計にしちゃたんだろう。
そういうお前は、動かないジャンクカメラばかり集めていたのか…と疑問を持つ方もあろう。
確かに、壊れて魂の抜けた機械を修理する面白さはある。
でも、修理不能の場合が圧倒的だ。でも、そこが機械との対話や興味なのかも知れない。
飛躍した例えではあるが、かって太平洋戦争にて、戦線に取り残されたラバウル海軍基地では、故障や破損した零戦を寄せ集めて修理、組み立てて偵察などに使用したと聞く。
あるいは、ノルマンディ上陸作戦で絶対的優位の下押し寄せる米英連合軍機に対して、僅か二機の使い古した戦闘機で空戦を挑んだドイツ空軍のパイロットとか…そういう戦いと機械との組み合わせに、人間の本領がある…と思ったりするからだ。
カメラとは趣は違うけどさ。




