HOODのブログ -185ページ目

雨の新宿


突然の雨、昼下がりの休憩時間。店内清掃を終えた若い女性店員が、重そうなゴミ袋を下げて走りさる。
キヤノンデミ・1/30
f4…


このデジタル時代に、フィルムなんてね。まぁ、陳腐というか物好きだ。
デジカメも使うけど、相変わらず持ち歩くのは銀塩カメラばかり。

別に、写真哲学なんかがあってフィルムという訳ではないけど、デジタル画像で街スナップしても、全然面白くない。

特に人物スナップ、街で声かけして女性なんかを撮らせてもらうけど、『あの、フィルムカメラですけど、良いかな?』と聞くと、珍しそうな顔はするけど了解してもらえる。

現像したネガを見ると、フィルムの曖昧さが被写体になった女性の心理を描写しているように思う。
これがデジタル画像だと、確かにピントも含めて写し撮られてはいるけど、なにかが足りない。

ピントなんて、そこそこ合っていれば良い。

大切な事は口頭で二度言う。


最近、特に思うのだが、メールで重要な用件や内容、議題、提案などをやり取りするのは、非常に誤解やら感情の行き違いを招きやすい。

いくら名文家であっても、上手く伝わるとは限らない。メールを原因にして発生した齟齬は、必ず人間関係を破綻に導く。

そう考えると、大切な事は顔を合わせて論じた方が良い。
確かに電子メールは便利だけど、各自の連絡や作成した文章原案を送るツールなのだと思う。

少しでも互いの感情に触れたり、バイアスを含めた意図表現が入ると、たいていの結果は火に油を注ぐようなものになる。

という私的意見。


電子メールとは均一化した文章を作り上げる。だから、字癖や書き方という個性が消える。そこに落とし穴があり、自分の個性を本人自身が見失っていたりするわけだ。
デジタル表現というものが、総じて均一化を目的しているから、あやふやで曖昧な人間特性などデジタル世界には存在しないのだ。


確かに、悪筆な人は手書きよりはワープロや電子メールにした方が良い。汚い字と字面は、相手に怒鳴り声で説明するように最悪なものだ。
学内のゼミ発表、社内プレゼンなどは、もはや手書きの時代ではない。

それでも、人に対する言葉や文とは、不揃いで不器用であっても、肉体を用いてで書くなり、話すなりして伝えて、ようやく真意となる。

そんな気がしてならない。

愛機一台で世界を歩く

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物としての価値なんて、対応する人によって様々だ。この愛機ミノルタXEなんてジャンクでなくても、カメラとしての実用価値は皆無に等しい。

しかも、今や中古カメラ店でも、ジャンク棚でしか探せないくらい古くて、しかも常に故障を孕んでいる。『ファインダー×、シャッター×』なんて張り紙が付いて売られている。資産価値はゼロ…永遠にゼロである。

そんな機種なのに、まともに使えるようにするため、すでに二台以上のXEのジャンクカメラ(修理不可能)機を部品取りに投入。

ブログにも書いたネタだから繰り返しになるが、単に一台だけのカメラではない。分解されたカメラ達の運命も背負って手元にある愛機なのだ。この一台で旅の果てまで歩けたら、自分はサルガトの気分くらいにはなれるだろうか。夢は夢として、そういうロマンだけは抱いてみる。

それこそ、寄せ集めのジャンクを組み上げたポンコツ零戦で、グラマンやコルセアと戦う、その気分に少しだけ近い。

蛇足…えっ、その零戦が見たいって。
その零戦が日本にあるんだな。上野の科学博物館に展示されている。あの少しくたびれた複座零戦が、まさに…それ。
昭和五十年代だったと思うけど、ラバウル近くの浅瀬に不時着した機体が引き上げられて日本へ帰還。興味ある方は、是非。あれこそ、真実の『永遠の0』であり、男達が戦ったに証し違いない。