河童と獺
実家に帰省した際、小川芋銭の作品群を見た。芋銭と言うと河童や獺が有名だ。
さほどに芋銭の経歴を知らなかったのだが、幸徳秋水の影響を受けて農民作家としての背景あった事など、いささか私自身が無知過ぎて恥ずかしくなった。
展示作品、芋銭『三味線堀の河童』という作品があった。
三味線堀近くに住む小唄の師匠の元へ、門前の堀に住む河童の子が三味線を習いに来ている様子を描いている。
楽しそうに教える師匠の笑顔と、懸命に演奏する河童の子。河童の子は後ろ姿しか見えない。しかし、三味線棹を持ち撥を操るひた向きさ、自分の子供に教えているような師匠の表情が良い。
ふと…この師匠には子供があったのだが夭逝してしまい、亡き子の面影を河童の子に見ているのかも知れないな…そういうストーリーが浮かび、何か切ないような気持ちになった。
慰めにもなりはしない
某所。泣き崩れる女…さながら慰めの言葉もない。さて…私は嘘を付く間もないまま四月を迎えた。
桜の季節、散り行くまでを楽しむ予定であった。
異変
先週の夜、何気に耳奥から蝉が鳴くような響き、微音が聞こえだした。絶え間なく寝ても覚めても鳴り響く。
いわゆる『耳鳴り』である。聴覚神経の異常、加齢など様々な原因は説明される。
しかし…死にたくなるくらい辛い。夜は眠れず、昼間は集中力を喪失。こういう状況が、自分に発生するとは想定外だった。言葉を失う、音を失う、光を失う…人生には境となる日がやってくるものらしい。
音楽製作者のつんく氏は声帯を失った。その状況に比べれば私の聴覚障害など大した事はない。まだ聴こえるのだ。
あまり人には知られたくないが…ブログに書いていちゃあ意味がない。
写メの女性はブツブツと山手線の駅名を呟いていた。
『ガタンゴトン…次は目白、目白…ガタンゴトン…次は池袋…』
私が声をかけても顔を上げない。反応すらなく、そして彼女には顔がない。
実は…これは『椅子』なのだ。現代作家による社会風刺を込めた作品のひとつ。
座ってみると微妙に彼女の声が体に伝わってくる。
『新宿、新宿…終点です。終点、新宿です。どなた様もお乗り換えです…。
桜…能『西行桜』作り物
久しぶりのブログ更新。今月は実家での両親の急病もあって多忙だった。多忙というより、単に家事に追われていた。
しかも一昨日の土曜日には都内靖国神社境内にある能舞台で母校の能楽サークル公演があった。
その参加に必要な稽古が全く進まず、自分自身に嫌気を抱えながらの毎日だった。しかし、ひとまず公演は終わったし、両親も回復して元気になったので更新をしている。
そう言えば、Twitterがニューアルされて愛用してきた携帯ガラケーより『呟き』が簡単に出来なくなった。Twitterは即時性が絶妙であって、瞬時の状況をネタ化して話が出来たのが楽しかった。
たが、それも終わった。馴染み深い旧アカは放置してある。一応は新アカも作成したのだが…『つまらない』とっても楽しくないんだよ。
生きていれば、いつかは終わる時が来るだろう。ツィート仲間との儚い別れだった。


