HOODのブログ -138ページ目

きぼんぬ


全国的に『おはヨウ素!』

ネット記事にて。男性が使うと不人気、女性がドン引きする印象の悪い言葉用例として『○○だお・っていうかー・みたいな・ワロス…』が上げられていた。


例文その1『…もうすぐオレ、還暦だぉ。ってゆーかー、高齢者の仲間入りみたいな…数年後には要介護だなんて、もうウケるんですけど~ワロタ』…このうえもなく知性を微塵も残さないチョー軽い生活態度、さらに加わる老人臭。朝夕の通勤電車内で、スマホを弄りながらゲームやエロサイトを楽しみながら職場や目的地に向かい『ぁあ、かったるい…』と座り呟く。


実を言えば、これが中年を過ぎつつある私の生活実態に近い言語感覚だ。ただ、そういう薄っぺらい自分の言葉を別の力で押さえつけて制御している。そうして社会的に繕っているだけなのだ。では、その制御力が何であるのか…と考えてみると『若さゆえのプライド』もあると思う。『若さ=将来』という自分の未来に対して自ら負托する精神行為なのだろう。

その負托する精神が『老い』とともに喪失すると、いささか醜い老人になってしまう。ならばこそ『若さ』を失って『老い』に気づいた時に踏み留まる事で、人は本当の価値が出てくるはずだ…と信じたい。

2ちゃんねる用語で私が好きな言葉に『きぼんぬ』がある。今はあまり使われない『死語』状態らしい。しかし、どことなく…『きぼんぬ』という響きが良い。日常使う場面や文意が得られない事が悔やまれる。

再び減量日記


幾度となく挫折に近い形で終わるこのタイトル…減量。


学生時代に50キロ程度しかなかった体重は、今や70キロの大台に乗った。体脂肪は少ないのが救いとは言え、いささか重すぎる。


どうして中年過ぎると太るのか。不規則な生活、飲酒、過食と条件は揃っている。今日もチャーハン大盛り、ラーメン、餃子二皿、生ビール一杯と肥満道まっしぐら…だ。


来年まで強制的に体を使って痩せるしかない。

そう、稽古だ。可能な限り、部屋で舞の稽古をしよう。世捨て人的生活の私だ。どうせ時間だけは余っている。

春にイルカを待つ人々


子供の頃。春先の季節変化で体調不良。恒例のように病院通いが続いた。

当時、通っていた病院の隣には魚屋があって季節の魚などが売られていた。店頭で魚屋の主と地元の人々が交わす言葉が耳に入ってくる。

『そろそろ、イルカが捕れる季節だねぇ。楽しみだよ…』一人のお婆さんが期待した口調で店の主に話しかけた。
すると、主は『今日、イルカは入荷しましたよ!』と、店奥からトレイに入ったぶつ切りになった肉を出してきた。

それは皮が黒く、抜けるような白い脂肪と赤肉に獣特有の血が混じりあった状態で、普段に目にする食肉とは異質なものだ。鯨肉とも異なり、いったい調理方法は…どうなんだろ?



桜が散り、桃の花か咲く季節に私の地元であった茨城では一部の人々が季節を味わう料理の一つとしつ『イルカ料理』があった。農作物が主体の地方では、ちょうど『春窮』の時期である。作物の境であり食べるものが少ない。おそらく貴重なイルカが春の料理としてあったようにも思う。


昨日、茨城の海岸に十数頭のイルカ群が打ち上げられたらしい。先の東日本大震災と同様の符丁をするように再びの打ち上げ事件である。いたずらに不安になる気持ちは確かだが、イルカが海岸線に近接する季節であるのも確かだ。



イルカ肉は味噌煮にしてゴボウやコンニャクと合わせて煮込むと美味い…と聞く。
聞く…としたのは私の記憶に確証が持てないからだ。一度だけ食べたような、不味いという記憶はないのだ。私の母は魚屋(病院前の)で試食を進められたが、その血の臭いに耐えきれず悪寒を感じたという。だが、そういう印象が私にないのは、ある意味で困る。
『俺の記憶ではイルカ肉は美味いよ…』となりそうな気配すらある。国際的に不道徳であり環境テロリスト扱いすら受けそうな勢いもある。

しかし、人々が騒ぐ割りにはイルカ研究は進んでいない。地震とイルカ・クジラとの因果関係はあるのか。なぜ海岸に打ち上げられるのか…など。