閔妃は誰に殺されたのか 見えざる日露戦争の序曲(崔文衡、金成浩 訳、斉藤勇夫 訳)
英国海軍の済物浦入港は朝鮮政府にブラウン復職を強圧するためだけではなかった。これは副次的目的に過ぎなかった。英国の主な目的は、この港に根拠を置き、当時日本占領下にあった山東半島の威海衛と連結して、ロシアの満韓同時侵略をこのラインにより一気に牽制しようとした。
そして、日本が清に戻した旅順・大連をわずか二年余でロシア自身が横取りした事実は、清ももちろんのこと日本としても決して容認出来なかった。日本はブラウンの解任とアレクセーエフの任命に抗議し、自国海軍をロシアの南下に対抗させて第二戦の対馬海峡に配置した。
ここで日英は最初の実質的な合同作戦の態勢を整えることによって日英同盟のどだいを作った。今やロシアは再び守勢に追い込まれたのである。
・・・・日清・日露戦争も、つまるところ、朝鮮・満州問題だったと言えると思います!
済物浦とは、今の仁川!
朝鮮も、ロシアに支配されていた方が、”幸福”だったのでしょうか!?
もっと、トンでもない国家になっていたと思いますが。。。。
慶州ナザレ園 忘れられた日本人妻たち(上坂冬子)
「馬の目ほどの鹿児島におっても仕方ない。満州か朝鮮に飛び出せ」
と、むしろ積極的に息子の旅立ちを勧めたからだという。九州地方には特にこういう考えの父親が多かったようで、第二次世界大戦中、朝鮮半島に住んでいた日本人のうち三人に一人は九州出身者であったという数字も記録されている。
・・・・下関と釜山を結ぶ、関釜フェリーに乗ったことがありますが、九州からは韓国は近いですね!
三歳の娘を連れた三十一歳の母は、うつろな表情で放浪をつづけたらしい。文字通り無一文の身で食物は人々に乞い、道端に落ちているものをあさった。
中略
暖をとってようやく意識を取り戻したものの、正常ではない信子を診察しながら医者は、一時的な興奮からくる異常であり治療によって治るであろうと黄に告げた。鍼治療と投薬によって信子が正気に戻ったのは、一ヶ月ほどたってからのことだったという。
・・・・これは、鍼と、漢方かな!?
色々な事情で、韓国に残った、日本人妻の物語!
六・二五事件と呼ばれる、昭和25年(1950年)6月25日に勃発した、朝鮮動乱が無ければ、また別の運命だったヒトも多かったかと!
一読すると、解説で、曽野綾子氏が書いてあるように、韓国には、日本にはいないような大人物がいる!ということ!
本書では、「帰国者尞ナザレ園」の常務理事・禹博栄ですね!
今は、韓国ではどうなんでしょうか!?大人物がいるのか!?
調べてみたいと思います♪
韓国堕落の2000年史 日本に大差をつけられた理由(崔基鎬)
それに対して朝鮮は、正規軍を持っていなかった。つまり、まったく無防備状態にあった。というのは、李朝の太祖である李成桂が、高麗国の正規軍の司令官であった地位を悪用して、祖国を滅亡させたことから、その後は逆にクーデターを恐れて、正規軍を廃止してしまっていたからである。
・・・・李舜臣がいなければ、どうなっていたんでしょう!?ちなみに、日本の海軍兵学校でも、ネルソン提督と並んで軍神として崇められたそうな!
李朝初期までは華夷思想がまだ浸透していなかったので、日本に対する蔑視が存在しなかった。慕華思想が力を持つにつれて、日本を夷狄視するようになったので、李朝時代は通信使がしばしば日本を往復したのに、その後は、日本から学ぶことがまったくなかった。
・・・・500年におよぶ李朝(1392年-1910年)が元凶なのですね!
儒教の「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず」とは、社会秩序を重んずる教えであるが、儒家たちは宮廷にあってこの教えをよく守った。いかなる無道な暴君に対しても、忠義を尽くし、利己主義に徹した。民衆がいくら役人の苛斂誅求と搾取に悩み、両班に財物と美しい妻女を取られて泣いていても、関心を寄せることもなければ、同情することもなかった。儒家たちは一生を通じて、出世の夢にひたすら耽った。
・・・・李朝の歴代の王も、名君は世宗王ぐらいだったそう!彼の国と同様、権力者が交代するたびに、その意志によって政策が変わる人治社会だったそう!
ところで、朝鮮の歴史書を探してみると、ほとんど通史で良いものが無いんです。
本書を一読してみると、確かに、”誇れる”歴史ではないですね。。。。
著書が言うように、1)新羅の朝鮮統一によって、中国の属国になったこと、2)李氏朝鮮の成立が、”韓国病”の始まりかも知れません。。。。
朝鮮民族の、”不都合な真実”を知りたい方は、是非!




