東海道まとめ
東海道完全踏破まとめのページです。
【2018.12.30更新】
31日目 東海道 御油宿→赤坂宿→藤川宿
32日目 東海道 藤川宿→岡崎宿
33日目・34日目 東海道 岡崎宿 →池鯉鮒宿
42日目 東海道 坂下宿 → 鈴鹿峠 → 土山宿
43日目 東海道 土山宿 → 水口宿
45日目 東海道 石部宿 → 草津宿
歩いた日:2018年5月19日(土)
天気: ![]()
くもり時々はれ
歩いた距離:11.0km
前日 水口宿 → 石部宿 の様子はこちら
いままでの全記録はこちら
⇒ 東海道まとめ
ゴールの京都三条大橋まで35km![]()
スイッチが入った感じです。![]()
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中山道完全踏破以来10年ぶりの草津宿に向け出発です。![]()
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石部宿の東海道碑からスタート。
ここで、東海道は下道と上道で分かれます。
もともとは下道だった東海道。野洲川のたびたびの氾濫で上道が整備され、
茶屋など引っ越ししたそうです。
上道が本道なので、五軒茶屋の看板のところで左折します。
登坂です。
最近、道が整備されたようで、綺麗ですが、非常にわかりにくいです。
どうやら、ここを右ではないかと・・・。
ありました。栗東20トンネル。(トンネルの左上に書いてあります。)
ここで名神高速道路をくぐります。くぐったらすぐ右折です。
名神高速道路沿いを歩くと、東海道ウオーカーで有名なカメラスポットです。
近江富士(三上山)です。 前の木が邪魔![]()
先に進むと、目の前に近江富士がドーンと見えてきました。
で、左折です。
まんまるな花。これ何でしたっけ?
このあたりは用水が各家庭の前を流れ、炊事洗濯?ができるように
整備されています。昨日の雨で濁ってました。
田んぼに映える、逆さ近江富士
街道歩きの醍醐味です。![]()
道標と常夜灯
新善光寺道と書いてあります。
信濃善光寺の分身の新善光寺というのがあるらしいです。
和中散本舗。江戸時代の薬で、特に胃腸に効く薬で東海道で
有名だったそうです。
”ぜさい”というのがお店の名前で、”和中散”が薬の名前です。
こちら、まだ当主が住んでいらして、たまに公開するのですが、
なんと!公開日にたまたま当たって、中を見学できました。
この大型機械。薬の製造装置で薬草を石うすでつぶすそうです。
写真右のように人が歩いて回すそうで、大量生産を可能にしたそうです。
当時の看板
この薬屋さん、本陣ではないですが、将軍様や天皇小休所として偉い人が
たくさん来たそうで、入口や庭が豪華です。本陣と同じですね。
中にはお宝がいっぱいです。
写真左は魯山人の自筆の書。
ふすまも鶴と松で縁起よく。これみんな江戸時代のままで、
有名な人が書いたらしいです。
こちら。明治9年9月21日 明治天皇が訪れたときに実際に履いていた
草鞋だそうです。すげぇ。
特大サイズです。
雰囲気良くてすっかり長居してしまいました。
先に進みましょう。
六地蔵の一里塚
日本橋から百十八里(472km)![]()
梅の木も有名で結構ににぎわっていたそうです。
京を出発したばかりの団体さんと遭遇です。
江戸までがんばってくださーい![]()
醤油も有名だったみたいです。
このへん、いろんな石碑があります。
東経136度 子午線の碑。北緯35度01分22秒です。
長らく街道歩いていますが、こういうの初めて見た気がします。
場所はここ(写真右)です。
だんだん京に近づいていることを実感する街並みです。
九代将軍 足利義尚公 ゆかりの地らしいです。
クネクネ。いいですね~。これぞ。旧街道![]()
草津川土手にぶつかりましたよ。
東海道やせうま坂 馬が痩せる様な坂はなさそうですが・・・。![]()
右が東海道。左は中郡街道というらしいです。
東海道目川の一里塚 江戸から百十九里(476km)歩きましたよ。
本日も飛田くん大活躍です。![]()
このへん田楽発祥の地だそうで。いやビックリです。
街道の旅人には大人気だったことでしょう。
いよいよ草津本陣の看板が![]()
・・・と、そのすぐそばに芭蕉の句碑がありました。
ここ、酒屋さんもあって、田楽と酒で芭蕉も癒されたみたいです。
新幹線のガードをくぐり、いよいよ草津市です。![]()
東海道は左へ。・・・・でも、なんかへん。![]()
あぎゃーっ。橋が・・・ない![]()
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どうすりゃ、いいんだ・・・![]()
しょうがなく迂回し、見つけた
旧東海道![]()
思い切り、工事中でした。
もう、道見ればこれは街道かがすぐわかります。![]()
・・・で、T字路が見えてきました。
いよいよか・・・。ドキドキ![]()
ついについにやってきました。
中山道と東海道の追分です。![]()
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2008年2月10日京都三条大橋から中山道でここを通過して江戸へ。![]()
そして、江戸から東海道で再びこの地へ。・・・![]()
10年ぶりに帰って来ました。![]()
当時の模様はこちら→ 2日目 中山道 大津宿→草津宿→守山宿
右:東海道いせみち。左:中山道美のじ。と書かれています。
そして、これを逃してはいけません。追分マンホール。![]()
慶長七年(1602)年 東海道中山道分岐点。
私は東海道いせみちから歩いてきました。
そして、ゴールの京へ行くわけです。
いや~。もう、うれしくて、うれしくて・・・。
10年前はここでガッツポーズでしたが、今回はピース![]()
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そして、10年ぶりの草津宿本陣へ。ゆっくり中をみました。
追分マンホールで写真を撮りまくっていたら、地元の方が声をかけてくださり
いままでの経緯を話したら、ここへ行きなさいと・・・・。
草津宿街道交流館です。
東海道五十三次 五十二番目草津宿 マンホールと同じカードを頂きました。
そして・・・。もう一つ。
申請して、草津宿を通過した証明書を草津市から頂きました。![]()
これ、2種類あって、中山道踏破証明書もあるんです。
中山道も踏破してるんで、両方ほしかったけど、今回は東海道なんで。
10年前はこの制度、無かったそうです。
さて、次回は京から10年前に歩いたルートを逆に京に向かって歩きます。
あと、ゴールまで25kmです。
今回はここまで。![]()
44日目 東海道 水口宿 → 石部宿
歩いた日:2018年4月30日(月・祝)
天気: ![]()
くもり時々はれ
歩いた距離:15.0km
前日 土山宿 → 水口宿 の様子はこちら
いままでの全記録はこちら
⇒ 東海道まとめ
スタート前に昨日寄ることができなかった水口宿の
甲賀市ひとまち街道交流館に立ち寄りました。
交流館の方が、閉まっていた格納庫を開けてくれました。
水口は曳山が有名で16基の曳山のうち、持ち回りで、毎年6基くらい、
祭りで巡行するそうです。
この曳山、180年くらい前のもので現役。
写真右は江戸時代の人が書いた注意書きだそう。
いい仕事しています~。
では、スタート。
昨日から感じていたのですが、この地域、とびたし注意のしとが
たくさんいるのです。![]()
甲賀忍者のとびたし注意。ニンニンでござる。![]()
忍碁
ここ囲碁の会館でした。へぇ~。
ちょんまげ とびたくん。 あたまにちょんまげが・・・![]()
この角には力石。浮世絵の題材にもなっている由緒ある力石だそう。
林口の一里塚
まさに街道らしいクネクネ。![]()
街道沿いの美富久酒造さんに寄りました。
このあたりは鈴鹿峠の伏流水でお酒が有名で酒蔵が何件があります。
一口頂きました。お酒のことは素人ですが、とてもまろやかで、THE日本酒![]()
という口当たりでした。![]()
このクネクネたまらな~い![]()
かなり古そうなお地蔵さん。
街道を歩く人を何百年も見守っていることでしょう。
滋賀県湖南市に入ります。
大津という看板をたくさん見るようになってきました。
美しい東海道。地元の方に感謝です。
古い道標達。ちょっと読めない・・・![]()
おぉ~。江戸時代のとびたくん。
これ素晴らしい~。![]()
三雲という地名を歩いていますが、ここ猿飛佐助のふるさとなんだそうです。
三雲城があったんですね。
なにやら、面白いトンネルが・・・。![]()
このトンネルとても珍しいもので、トンネルの上に大沙川という川が
流れていたそうです。奈良時代に大雨のたびに土砂が流れ、川底があがり
その下に穴を掘ってトンネルにしたそう。
このトンネルは明治17年開通で、壁は花崗岩。
地元では吉永のマンボと呼ばれているそうです。
トンネルの出口には弘法杉。樹齢750年すごいなこれ。
もう今日はクネクネを満喫ですよ。![]()
実に旧街道らしいです。![]()
夏見の一里塚。江戸から百十五里の一里塚。
つまり、江戸日本橋をスタートしてから、460km歩きました~。![]()
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ここもトンネルの上は家棟川だそう。うー。マンボ。
しつこいけど、またクネクネ。![]()
石部宿 東側の見付 宿場へ入ります。
休憩所があったので、一休み。
木の格子窓、大好きです。
外からは中は見えないけど、中からは外が良く見えることわかります。
石部宿本陣へ到着。
左側の公園に東海道五十三次の碑があります。
江戸日本橋から京都三条大橋の全宿場が描かれているので、
江戸日本橋からいままでの工程をおさらいです。
いや~。
ついに江戸から五十一番目の石部宿まで歩いてきましたよ。
いよいよ次回は東海道と中山道の追分草津宿。
今回はちかくの石部駅で終了です。
ところで・・・。
この地域、やたら、とびたくんがたくさんあって、気になってきたのですが、
なんと
とびたくんグッズが売ってました。![]()
もちろん買いでしょう。![]()
実は滋賀県はとびたくん発祥の地なんだそうですよ。
知らなかったなぁ~。
今回はここまで。![]()
43日目 東海道 土山宿 → 水口宿
歩いた日:2018年4月29日(日)
天気:
はれ
歩いた距離:12.0km
前回 坂下宿 → 鈴鹿峠 → 土山宿 の様子はこちら
いままでの全記録はこちら
⇒ 東海道まとめ
ずいぶんと間があいてしまいましたが、旧東海道踏破に向け復帰です。
前回は土山宿の東海道伝馬館がゴールでした。
今回は小学時代からの悪友で現在、滋賀県在住の Hくんが一緒に歩きます。
では、スタート。![]()
土山宿本陣跡
木の窓格子を見ると京に近づいてきたことを感じます。
道標 御代参街道起点
左方向が御代参街道で、右が東海道だそう。
御代参街道はここから中山道の愛知川宿に通じる脇道だったそうです。
中山道愛知川宿まで10里(40km)だって。
街道沿いのヘアーサロン。![]()
野洲川を渡ります。
野洲川の眺め。この時期の街道歩きは最高です。![]()
土山はお茶が有名です。あちこちに茶畑があります。
東海道沿いの農家。お百姓さん休んでいらっしゃる。
でも、なんかへん・・・![]()
じーっと、見ていても全く動かない・・・。
大丈夫ですか~。と、声をかけると・・・・。
やられました。
晩酌中失礼しました。![]()
旧街道らしい微妙なクネクネがつづきます。
土山地先の一里塚
大日川(堀切川)掘割
このあたりは大雨が降ると水害が多発したそうで、掘割りし、野洲川に流す
水路を作ったそうです。元禄十六年(1703年)のお話。
ちょっとだけ、松並木。遠くから見るといい形です。
地元の方のお話ですと伊勢湾台風でかなりの本数が倒れ、虫食いなどで、
壊滅の危機だそうです。
松並木の復活を願って、ちっちゃな松を植えています。
この松があと100年後、どうなっているのか楽しみです。
旅籠が多いと思ったら、間の宿でした。
このへん、とび太くんがやたらいるのですが・・・。![]()
樽の中には地酒がいっぱい。産地のようです。
安井酒造場で、仕込み水をいただきました。
素人の私でも違いがわかる、ほんとになめらかな水でした。
水口宿へ入ります。
江戸から112里(448km)の一里塚 ![]()
いや~。江戸から448km歩いてきましたよ~。![]()
街道らしい風景が続きます。
水口宿に到着
水口宿本陣跡。
奥が深~い。![]()
宿内を進みます。![]()
三筋の道
3つの道に分かれます。ガイドブックによると、どれも東海道だそうですが、
案内板のとおり、進むことにしました。![]()
ちょっと気になる、お菓子屋さん。
もちろん寄りましょう。
甲賀流忍術もなか。![]()
疲れた体には最高です。おいしかった~。
三筋の道は後に1本に合流します。
三筋の道の出口。バックショットです。![]()
東海道五十三次のうち、50番目の宿場水口宿
いままで、50の宿場を歩いてきたことになります。
名物:かんぴょう~
水口城天王口跡
ここは水口城の東端であり、天王口御門と呼ばれた場所です。
ここから先が水口城内。
東海道は右に行きますが、水口城に行くために今日はここをゴールとします。
では水口城址へ。
水口城は宿舎として機能した城だそうです。
そのような城があることは初めて知りました。
説明→ 水口城
こんな張り紙が・・・。![]()
今日はここまで。 明日へ続きます。



































































































































































