第五話 陽明門の逆柱を紐解く
第五話 目次 /////
●陽明門の逆柱は、「完成したら衰退が始まる」ではない
●目貫の龍と、目貫の猿
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[陽明門の逆柱は、「完成したら衰退が始まる」ではない]
陽明門には沢山の彫り物があります。
沢山あり過ぎて、見て回ると日が暮れてしまう事から、別名「日暮門」とも呼ばれています。
それらと、陽明門の謎と、関連性があるものと思われます。
中国の故事が中心の彫り物が多くあり、政治家が仙人の修行をしたり、鯉に乗り空を飛んだり、今で言うファンタスティックな物語が多く描かれていますが、陽明門と、どの様に結びついているのか、いないのか、私には分かりませんが、
しかし、
陽明門の12本の柱の一本だけ紋様が逆になっている事から、一般的に語られている「完成したら衰退が始まる」には、疑問を持ちます。
正面に目貫の龍がある事は、逆柱と繋がる重要な意味があると思うのです。
この白い龍は、門の表と裏にあり、目が金色なのです。
この目貫の龍の故事が、
「画竜点睛」
とされ、その意味は、
「事を完成させるため、最後に加える大切な仕上げ」です。
物事の最も肝要なところのたとえなのです。
「仕上げない」とは、言ってはいません。
むしろ、「仕上げる」です。
だったら、金色の目は、「最後に加えた」ものではないでしょうか?
通説では、目を入れ完成したら龍が逃げて行くから、完成させないとされますが、目は、金色で描かれています。
完成されていなかったら白いままではないでしょうか。
金は、最高の物です。
仕上げ以外考えられないでしょう。
これが未完成と言えるのでしょうか?
何故、金色なのかまでは語られている方はいません。
私の紐解きでは、「金色の目」には、最も肝要な意味があり、私の東照宮の紐解きを最後まで読まれると「なるほど」と頷かれる事と思っています。
この陽明門の一番の謎になっている「逆柱」からも、私の金色の目に繋がって来るのです。
この白い逆柱と、この目貫の白龍は、白である事から同体と思われます。
そう思う理由も、最後のまとめの記事に書く事にします。
摩利支天の記事でも、徳川幕府の祈願所にあった金色の大黒様が出てきました。
おそらく、金色の目と同じく、金色に導く一つのストーリーがあるものと思われます。
白龍は、白に金。
大黒様は、黒(?)に金。
大黒様を金色にした事は、対極(逆)の色に繋がるように施したものと私には映るのです。
この故事の「晴」は、「目」を表しますが、何故、「晴れ」の意味を持つ字を用いたのでしょう。
雨をもたらす龍とは
逆の意味です。
晴の字に、「青」があるのは、青空を表し、
雨を呼ぶ龍の「逆」を表していると思われ、「水害を白紙に戻す」と私は感じるのです。
また、陽明門の白い龍の金色の目は、青と白から金が生まれる事を表し、黄龍の出現を意味していると思われます。
黄龍は、黄金の龍とも言われ、四聖獣の長であり、瑞獣とされ、麒麟とも言われるのです。
また、白虎と、青竜から生まれたとも言われるのです。
これをモチーフにした話が、東野圭吾の「麒麟の翼」です。
私が、天竜川で拾った、白と、青い石と重なるのは偶然なのでしょうか?
そして、先月、車を変えました。
いつも青色ですが、今回は、青が無かったから白に変えたのです。
今まで、私の記事にアップした画像を見て頂いても分かるように、私は晴れ男です。
多分、私の屋号「きりん」が「黄龍」と言われる事から、共時性として現れるのでしょう。
この事も、陽明門の龍に繋がるのでしょうか?
[目抜きの龍と、目貫の猿]
その繋がりは、私の生まれた前にあった油の神社からも繋がり、その神社は、京都の石清水八幡宮からの神社で、
京都の石清水八幡宮には、陽明門の白龍と類似する物があるのです。
左甚五郎作の目貫の猿です。
これは、目に釘が打たれ、夜な夜な悪さする猿を動けなくしたとされます。
猿は、京都の御所や、日光東照宮を見ても守護動物です。
「災いを起こす」事とは、真逆です。
東照宮の龍も、八幡宮の猿も、逆を表現しています。
東照宮の逆柱と同じ様に、石清水八幡宮でも、一つだけ紋が逆になっている事でも知られるのです。
陽明門の白龍は、目を入れると逃げ出してしまうからと言われる通説と同じですが、良く見て見ると、八幡宮の目貫の猿とは逆なのです。
(その紐解きは、もう少し先で)
八幡神は、太陽神でもあり、東照宮に繋がるものとするなら、陽明門の龍も災いを起こす事になります。
もし、私の解釈が正しいとしたら、何故、石清水八幡宮と繋げたのでしょうか?
ここまでの私の紐解きは「八度の傾き」と、「猿の山王信仰」と、「橘の地にある日置神社」からで、これらは、総て、日光東照宮と繋がっていました。
日光東照宮と、徳川家康が建てた城と繋がりは「八度の傾き」で、名古屋城と、浜松城に見られました。
浜松城のある浜松は、名古屋の日置神社へ繋がるもので、天竜川と、私が拾った青と白の石につながり、その石にまつわる不思議な出来事は、天台宗の比叡山に繋がるものでした。
そして、浜松の鰻も、虚空蔵菩薩の乗り物であり、「33の菩薩」と言われることも、天竜川沿いに住む末娘と不思議な繋がりを見せるのです。
これらの繋がりは、名古屋に導くかのように施されていたのです。
答は、名古屋にあります。
続く