前の記事からの続きです。
前の記事をお読みでない方は、一話を読まれてないと話が繋がりませんし、このシリーズの不思議を感じられません。
是非、一話からお読み下さい。
大甕神社の鉄の靴の伝説が、戦場ヶ原伝説の奥州から来た猿の名を持つ小野猿丸が放った矢と重なるとしたら、猿も鉄に繋がっているはずです。
伊吹山を崇める鍛冶屋の守護宮・南宮大社周辺の日吉神社に三猿がありました。
天台密教が関わっているからです。
鉄と、三猿と言えば、江戸の裏鬼門を守る寒川神社の近くに住む徳川幕府の旗本・土屋知貞の家の庭には三猿が描かれた庚申塔があります。
この人物は、日吉丸と呼ばれた(実際は呼ばれてない)豊臣秀吉を「猿」とした人物なのです。
寒川の地は、「鉄」に関わる地と言えるのです。
「寒」の語源が「鉄」から来ているからです。
日光も、寒川郡であるから「鉄」との繋がりがあるものと思われるのです。
日光の三猿と、土屋氏邸の三猿とが鉄に繋がるのです。
庚申塔は、人間が行った悪い事を猿の日に、人が寝静まった時、三尸虫(さんしちゅう)が体から抜け出し、天帝に報告に行くもので、道教からきています。
道教で天帝とは、「北極星」を表すのです。
大甕神社の紐解きは、「やりすぎ都市伝説」の番組からでした。
この番組の最初に出て来た都市伝説は、「虫」が宇宙人に人間のデーターを報告すると言う、お笑いネタとしてのものでした。
根拠も無い、それも、つまらない話が、番組最初に登場するのは、何なのだろうと私は思い見ていました。
大甕神社が登場した時、私には、とても意味のある不思議な共時性だったのです。
[大甕神社の6年毎の大祭と神大根王]
大甕神社では、6年に一度の例大祭(御濱降神事)が行われます。八角形の神輿にご神体を乗せ、氏子地域を廻り、久慈港から船に乗せ、沖にある御根様(宿魂石の根っこ)と言われる海面に出た岩を周回します。
星の神が「御根様」と呼ばれるのです。
どんな意味があって「根」と呼ぶのでしょう。
私には、神大根王の「大根(おおね)」と被るとしか思えないのです。
***八角形の神輿と日光
この八角形の神輿について、大甕神社は、天皇の乗る八角形の神輿を表しているとされます。
私は、こう考えます。
日光の神と神との戦いと繋げて来た事から、二荒山の語源に結びつけたのです。
「二荒(ふたら)」は「にっこう」である事から「日光」の語源とされます。
その「二荒(ふたら)」は、「ポタラ」が語源とされ、チベットの聖地、ポタラ宮殿もその語源を持ちます。
その「ポタラ」を、空海は、かつてインドの南の海に浮かぶ「八角形の島」を表すと言っているのです。
私には、この考え方が、海に浮かぶ御根様と結びつくのです。
[香取神宮と、鹿島神宮の灯篭のデザイン]
大甕神社の星の神との繋がりを、香取と、鹿島神宮の配置が表しているとしました。
香取神宮の灯籠のデザイン∴と、鹿島神宮の灯篭のデザイン∵を重ねると伊勢神宮の灯篭のデザインになるのです。
おそらく、この伊勢神宮の灯篭のデザインは、星の神を意味すると思われるのです。
以前、伊勢神宮別宮の伊雑宮を紐解いた時、伊雑宮が、天照大神を祀る正当な神社とされる事を知り、内宮は星の神だと伊雑宮を信奉する氏子は言うのです。
このデザインは「星」です。
この伊雑宮を訪れた後、昼に火球を見たのも総ては繋がっていたようです。
私は、2011年に∴の形状の編隊飛行を見た事があります。
それは、UFOだったのです。
今思うと、香取神宮の灯篭のデザインだった事は、星の神の仕業だっと感じるのです。
次に書く事が、大甕神社の最後の記事になります。
これが、私が大甕神社の事を知って一番驚いた事です。
六話へ続く