前からの続きです
[不思議な共時性]
2月13日に大神神社に行き、その後、行った橿原神宮の「橿」の字の中にある「田」を、大神神社と重ねて紐解いて来ました。
これは、山王信仰が潜んでいるのではとしました。
2月13日に行ったのは、天候を見て、当初の予定の11日(建国記念日)を変えたからでした。
そして、2月13日に関わる家族の事で、奈良に行ったのです。
2月13日を意識して行ったわけではありませんでした。
橿原神宮が誰を祀っているのかも知らず訪れ、調べていると、
こんなブログが一番最初に目に入りました。
その文頭に、「神武天皇の誕生日は2月13日」と書かれていたのです。
トリプルで重なり、驚きました。
その記事を書いている時、私の仕事で、新規の会社からファックスが入りました。
担当者名を見て驚いたのです。
この会社、山王通りから300mほどの場所に在るから、余計に驚いたのです。
その名前は、「田子」さんだったのです。
そして、またまた、この「田」に繋がったのです。
28日にTV番組「ポツンと一軒家」を見ていたら、島根でした。
2月13日に行った理由のメインは、島根の黄泉比良坂の近くで生まれ育ち、親は、鉄に関わる仕事をしている長男の嫁の事であったのですが、さほど気にせず見ていました。
ポツンと一軒家の住人は、山の中で、たたら鉄を造っていました。
「田部長右衛門(たなべちょうえもん)」と言う人の元で仕事をしていたのです。
また、田で繋がったと驚きました。
田部氏は実業家で、島根県(根の国)の知事や、国会議員にもなった有名人です。
大神神社の太田田根子(おおたたらし)の「根子」を私は、「出雲の子」と解釈し、「大いなるタタラの子」としました。
何故なら、この神社は、大国主と、ウサギでも知られるからです。(出雲伝説、稲羽のしろうさぎ)
まさに「田の子」→「田子」と、上記の偶然出会った名前に重なり、
「田部(たなべ)」と、タタラ鉄が繋がる事からと、太田田根子が、大国主の巫女であることから、「田」の表すものは、大国主の根の国と結びつけるもののように感じたのです。
まだ、私に「田」を紐解けとも言っているようでした。
[みたらし団子の意味を探る]
「おおたたらし」と呼ばれるのが正解なら、
三輪をルーツに持つ下鴨神社の御手洗(みたらし)の「たらし」も繋がる様に感じます。
この「みたらし」は、「みたらし団子」の語源で、下鴨神社の前で売られる、みたらし団子は、五個の玉を串で刺しています。
これは、人の五体を表しているとされます。
下鴨神社に祀られる玉依姫は、海神族であるから、前の記事で紐解いた様に、山王信仰で出てきた「王」の字で表すことが出来ます。
「玉」の字と「王」の字は、「、」があるだけの違いです。
「大神」と「太田(田⇒山と海の王⇒神)」も、「、」だけの違いです。
前の記事で、大神神社と、宗像大社とを比べた図を載せました。
これからも、王の字は海を表しています。
串は、三つの世界を、繋げるもので、人を貫いている事を意味しています。
人は三つの世界に繋がっていると言うことです。
みたらし団子が、三つの世界に繋がっている事を表しているものが、こんな場所にも見られます。
御嶽山の麓辺りの地区では、五平餅が、小判型ではなく、二つの玉を串で刺しているのです。
御嶽教が根付く地域です。
御嶽教の神紋が、前にも書いた様に、天界、現世界、冥界を表す三本の線で構成されているのです。
五平の五は、人間を表し、玉は、ここでは、三つの世界と結びつける巫女と思われます。
この様な事から、みたらし団子は、
山王信仰の「山王」の字や、前の記事で紐解いた「橿」の字そのものです。
山と王の字を重ねた「田」の字、「橿」の字を構成する二つの「田」の字は、みたらし団子の「串」であり、三つの世界を繋げる巫女と言うことになります。
[串と櫛が表すものは、大物主の巫女]
これを如実に表している伝説があります。
大神神社の大物主の伝説に、この神がヘビであることを表した話が、それです。
大物主の妻が、夜にしかいない夫に、何故なのか尋ねると、夫が、「朝になったら、貴女の櫛を入れる箱の中を見なさい、その時、驚かないで下さい」と答え、朝に、櫛の箱を覗くと、そこには、ヘビがいたのです。
それを見た妻は、驚いたので、大物主は、三輪山へ入ってしまうのです。
驚いた事を悔いた妻は、箸でホゾを突いて死んでしまうのです。
簡単に言うと、巫女の様な妻が、櫛の箱の中に不思議な光景を見た話しです。
みたらし団子のように、箸を刺す事は、まさに、それによって、夫の世界に繋がった事を意味しているものと私は思うのです。
[串と四魂の奇魂(くしみたま)]
串と、櫛は、同じ語源で、「不思議な事」(奇し/くし)(霊/くし)から来ています。
櫛は、髪に刺しますね。
神を髪と掛けたのでしょう。
大神神社へ行かれた方は、拝殿に「奇御魂(くしみたま)、幸御魂(さちみたま)、願いを叶えたまえ」と唱えなさいと書かれているのを見た事があるでしょう。
奇御魂は、智恵を表し、
上記の櫛の伝説から、大物主を表し、「智恵は、不思議な事へ導く」事になります。
幸御魂は、愛や、豊を表します。
幸と、豊の字から、この字の豊受大神、つまり大国主を表しているものと考えます。愛知県の幸田町が、まさにそれを表わしています。
その意味は、私の過去の記事を見て下さい。(幸田町の記事はコチラ)
奇御霊、幸御霊は、天と繋がる人の霊魂で、一つの霊と、4つの魂、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)、奇魂、幸魂)から成るとされます。
大物主の妻は、第七代考霊天皇の皇女、夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)で、神託を受け、大国主の御霊を鎮めるために、大田田根子を探させ、茅渟の県(ちぬのあがた。)(現代の大阪府和泉市付近)の「陶邑」(すえむら。堺市付近)で見つけました。
その場所にある、陶荒田神社に祀られています。
この神社が何故、太田神社と言う名前でないかは、私が思う事と、この神社が言う説明とは違います。
田は、「巫女」を表し、「四魂」で表されます(推測)
この神社の名前を重ねるのなら、「大国主の荒魂(あらみたま)に結ぶ巫女の神社」となり、
もう一人の巫女は、大物主の妻である、箸を刺した夜麻登登母母曽毘売(やまとととそひめ)で、玉依姫であり、
箸塚古墳に眠っているとされる卑弥呼と思われるのです。
大物主の妻が巫女と思うのは、神からの神託を受ける力を持つ事からです。
玉依姫の名前は、幾つかの人物にあり、正体も良く分かっていない事から、
玉と、依り代の御幣(ごへい)を合わせたような名前からも、依り代である巫女を表す名前であるとされます。
それは、玉に串を刺したみたらし団子であり、五平餅であるのです。
伊勢神宮の、
内宮には、
天照大神の正宮と、天照大神の荒神を祀る別宮第一の荒祭宮があり、
外宮には、
豊受大神の正宮と、豊受大神の荒神を祀る別宮第一の多賀宮があります。
共に、正宮は、荒魂(あらみたま)の相対する、和魂(にぎみたま)
を有すると推測します。
また、大神神社では、
上記の伝説などから、
主神の大物主は、奇魂(くしみたま)と、大国主の幸魂(さちみたま)
から構成されているのではと私は思っています。
そうすると、伊勢神宮と、大神神社では、願いの叶う特徴がそれぞれ違うと考えられます。
伊勢神宮は、平和と協調。
大神神社は、奇跡を起こす力と言う具合にです。
これは、あくまでも、私の推測です。
[玉串拝礼と、みたらし団子]
神社でお祓いをされた方は、玉串拝礼の儀式を経験されたでしょう。
何故、この様な物を神様にお供えするの
か意味も知らずに行った方がほとんどではないかと思います。
これも、みたらし団子なのです。
神社庁では、玉串を捧げる事をこのように説明されています。
「玉串は神に敬意を表し、且つ神威を受けるために祈念をこめて捧げるものである」
語源は、諸説あり、当初は、榊や竹に玉を付けたものであったり、榊には神霊が宿る事から「霊(たま)串」としたなどと言うものがあり、現在では、榊に、木綿や、紙垂(しで)などを付けて捧げます。
神様への神饌なのですが、酒や米などのお供え物と違うのは、「心を込めて捧げる」のが玉串だと、神社庁は言っています。
また、こうも言われています。
「玉串は神籬と同様に神霊を迎える依代であり、また玉串を捧げて祈る人の気持ちが込められることにより、祀られる神と祀る人との霊性を合わせる仲立ちとしての役割を果たす供物である」
.
玉串を奉納する時、自分の方の枝を神様の方に向け置く変わった所作があります。
これは、多分先に向って心が届くからで、神からの奇魂(くし=串)を自分に向けて頂く行為なのだと思うのです。
奇跡が起きるための儀式なのでしょう。
偶然や、シンクロが起きるのも、この神との心のやり取りが起こすのでしょう。
この事を昔の人は知っていたと思うのです。
宗像大社の、神が住む沖ノ島の神・田心姫が、何故、田の心の神なのか分かった気がしたのではないでしょうか。
みたらし団子を食べる時、私のこの記事を思い出して下さい。
皆さんにも、神の心が返って来ることでしょう。
次回は、もっと深く、この事を追ってみようと思います。