橿原神宮を紐解く(2)大神神社と、宗像大社から見えて来るもの | パオンのブログ

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前の記事の続きです。

ここまで、橿原神宮の「橿」の字を構成されている字を読み解いてきましたが、

今日は、「田」について書いていきます。

 

[「田」と、山王信仰]

この神宮の大神神社との繋りは、皇后が大物主(大神神社の神)の娘である事から感じられます。

「橿」の字には、「一」を結びつけるように「田」が二つ有ります。

大神神社に祀られている大国主の巫女・大田田根子(おおたたらし)にも「田」が二つあり、何故、田を続けて並べたのか疑問でした。

太陽神(天照大神)と、根の国(出雲)の大国主とを結びつけているような名前に、私には映ります。

何も根拠は無いですが、この名前、不自然で、ミステリアスな人物像が、私をこの様な妄想に駆り立てます。

 

私のこの「田」の紐解きに、知っておいて頂きたい事があります。

少し強引な部分もありますが、私の頭の中には、次の事が「田」に結びつくのです。

 

聖徳太子所縁の広隆寺の聖徳太子三十三歳像は、歴代天皇の即位式に使用した装束・黄櫨染御袍(こうろぜんのごぼう)を(像のサイズにした、同じデザインの物)を現代まで着せています。

天皇になっていない聖徳太子に、何故着せるのか謎とされます。

私には、もう一つこの寺に疑問があり、国宝になっている弥勒菩薩半跏思(はんかし)像が赤松で作られている事です。

赤松で作られた仏像は、他では存在しないのです。

松に関して、前の「一」を紐解いた記事で推測した事と繋がってきます。

広隆寺が在る場所は、太秦(うずまさ)です。

「太()」を「うず」と読ませるのは不思議な表現で、

弥勒菩薩を半跏思(かし)像にしたのも、「田(た)」と「橿(かし)」に導くものだったのかもしれません。

太秦は、秦氏の拠点。

その秦氏が築いた石清水八幡宮は、橘で知られます。

橘の語源は、垂仁天皇から、不老不死の薬を見つけて来るように命じられたのが、橘の語源と言われる「道間守(たじまのかみ)」です、「田」の字が入っています・

垂仁天皇は、相撲の発祥に関わった人物です。

相撲の発祥は、古代エジプトとされ、前の記事で書いた様に、大神神社と古代エジプトの類似点からもそう思うのです。

ギザのピラミッドも三角形で、巨大なものが3体。両脇に小さな物が3つずつあります。

日本の太陽の船の絵にも、エジプトの太陽の船にも、船の先に黒い鳥が描かれていますが、

神武天皇が熊野からヤタガラスに導かれた事を考えると、総て繋がっていると思えてなりません。

 

又、宮古島の伝説でも「三十三」が幾つも絡んでいて、大神神社の伝説に類似していたのです。

そして、この島の聖地が「大神島」と言うのも稀有な取り合わせです。

そして、赤牛伝説と、赤松も強引ですが、繋がっていると感じるのです。

(宮古島の伝説の記事はコチラ)

 

最近の記事は、桃太郎伝説からの記事で、それから、山王信仰の本質に迫って来ました。

鬼からも33に結びつくものが有ります。

18代天台宗座主・良源は、鬼になり鬼を払いました。

そのお守りも変わっていて、33体の豆大師のお札です。

 

この様に、「三十三」と言う数字が、宗教において、やたらと多く現れています。

しかし、明確な解釈は見た事が無いのです。

 

大神神社で感じた、宗像大社とのつながり、それは、山王信仰を表わしているとした私の推測が、

この「三十三」と「田」に繋がるのです。

まずは、前の記事で紐解いたそれを絵にしてみました。

二つを比べて何を感じますか。

 

一次元と、二次元の配置、つまり、ヨコと、タテの配置の違いです。

桃太郎の紐解きで出て来た丸に三つ引き紋に、2つの形状が存在した事と同じです。

そして、京都の鬼門を紐解いた時の、エジプトのギザとの西と南の配置の違いです。

(京都の鬼門の記事はコチラから続いています)

これが、山王信仰に隠れたものだと書きました。

もう一つの接点は、宗像大社には「田」が2つ隠れています。

一つは、沖津宮の田心(たごりひめ)ですが、もう一つが辺津宮にありますが、この地域の人でなければ見つけにくいと思います。

地元の人は、辺津宮の市杵島姫を「田島様」と親しみを込めて呼びます。

もう一つ、こじつければあります。中津宮と、沖津宮の神、「たぎりひめ」と、「たごりひめ」は、共に「た」から始まり、2つ揃います。

 

神武天皇が、鬼門の下鴨神社に祀られている海神族をルーツに持つとしたら、橿原神宮と、ピラミッド信仰は繋がっている事になります。(私の京都の紐解きが正しいとしたら)

丸に三つ引き紋

 

何が、ここで言いたいかと言うと、三十三が次のように変化すると言う事です。

山王信仰の山の字は、タテ三本をヨコに繋げる。

王の字は、ヨコ三本をタテで繋げる事も、山の字と、王の字を重ねる事を表しているのです。

 

つまり、

 

山+王=田

 

と言う事です。

では、何を意味しているのでしょう。

今まで、山王信仰を明確に語れる人は、何故いなかったのでしょう。

山王信仰は、私の中では、ギザのピラミッドを内包していると思っています。

ギザのピラミッドを考えて見ると、日本では、空海が、曼荼羅を解りやすく表現した東寺が、ギザのピラミッドと重なっていた事から、(推測)それらの違いにヒントがあるのではと考えました。

その違いは、向く方角が違うのは何度も書いてきたので、読者の方は理解されると思います。

配置がギザでは、西に向いているのですが、45度斜めにピラミッドが並んでいるのです。

この傾きには意味が有るはずです。

[ギザ三大ピラミッド]

⇒西


[東寺立体曼荼羅]

⇒東

(東寺とピラミッドを結んだ記事はコチラ)

ピラミッドを上から見た稜線は下図Aのようになっています。

それをラインだけ45度ずらすと、下の図になります。

 

少し強引ですが、田になります。


「橿」の字は、「樫」と同じで、表す物は「カシの木」で、「堅」が入っている事を見ても分かるように「かたい」事が特徴です。

東寺の曼陀羅の中心に鎮座する大日如来が結ぶ印は「拳印」で、「

硬く結ぶ」事を表わします。

強い田の心を表しているのかもしれません。

 

13日に奈良に行ったのは、長男の子の願掛けでした。

長男の家で飼っている犬の名前は「拳」と言うのです。

この様な名前をつけるのであれば、空手家なら分かりますが、長男は、関係ありません。

 

ここまでの私の紐解きは正しくないとしても、「橿」の字に何か秘めたとしか私には思えないのです。

そして、私に起きる偶然の数々も、この事と関わっているはずです。

それを、この橿の字からもう少し追ってみようと思います。

 

長くなるので、それは次回に・・・・・

 

つづく