昼神温泉と元善光寺との不思議なつながり。 | パオンのブログ

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4月15日に、飯田市にある元善光寺に行ってきました。

 

元善光寺には、舞台桜と呼ばれる大きな枝垂れ桜があります。

 

この桜は、昔の小学校跡にあり、麻績(おみ)神社の前にデンとあるのです。

 

変わった読みの神社です。

 

舞台桜の「舞台」は、この場所にあった小学校に併設された歌舞伎舞台から名付けられたの

 

です。

 

この桜は変わっていて、花弁の枚数がまちまちな(5枚~10枚)の他では見られない変異桜な

 

のです。

 

幹の太さが4mもある古木で、私は、これだけの大きな枝垂桜は見たことがありませんでした。

 

 

妻とは別行動をとり、隣にある元善光寺の宝物殿に行きました。

 

何故かと言うと、お参りした時、宝物殿のパンフが置いてあったので、パラパラめくっていた

 

ら、結構、見応えのある物が多く展示して有る事を知ったからでした。

 

この寺の一番の宝物の臼は、想像していたより歪な形状をし、餅つきの臼を縮小したもので、

 

粉を轢く石臼ではありませんでした。

 

お昼過ぎに、飯田から名古屋寄り15Kmの場所に昼神温泉郷があるので温泉に入りに行く事

 

に。

 

この場所は阿智村(あちむら)と言い、環境省が認定した日本一星が輝いている場所があり、

 

最澄が建てた信濃比叡広拯院(こうじょういん)がある、自然と歴史あふれる場所なのです。

 

この広拯院は、比叡の名を使用する事を許されたお寺なのです。

 

多分、特別な場所なのでしょう。

 

今まで、気にもしなかった場所ですが、大臼命の猿投から、瀬戸、そして、土岐と、エジプト信

 

仰を重ねてきた流れの先に位置する事から、この地の歴史を調べて見ました。

 

まず、「昼神温泉」の「昼神」とは、何なのだろうと言う疑問が浮かんだのです。

 

私の紐解きの流れからすると、太陽神・ラーは、昼の地上を守護する神であるから、

 

「昼神=ラー神」と思ったのです。

 

 

早速、昼神の観光協会に問い合わせ、資料を沢山送っていただきました。

 

そうすると、この地も小臼命(ヤマトタケル)が関わっていたのです。

 

本当に、この小臼命と、私とは縁があるのだと痛感します。

 

小臼命の末裔とされる丹羽の地の中心に、我が家の墓があり、熱田の小臼命の墓とされる場

 

所を守るお寺に仕事で毎週行き、小臼命の名を持つ地名に「易」の名を持つ友人の会社があ

 

り、その隣には、会社に勤めていた頃の「臼井」と言う名の部下が住んでいて、その隣には、

 

私の名前の会社が存在し、末娘は、昼神の近くに嫁ぐなど、あまりにも、稀なつながり方をし

 

ているのです。

 

「昼神=ラー神」だとすると、この末娘の子供の名前が、これ以上ない結びつきを表した名前

 

なのです。

 

思い込みだけではないと言えるほど、これほどピッタリはまる名前はないのです。

 

 

まずは、「昼神」の地名に込められた伝説を書いていきます。

 

[昼神と日本武尊(小臼命)]

 

日本武尊が東征の帰り道、この地の神坂峠へさしかかった時、山と山に閉ざされた険しい場

 

所が目の前に現れました。

 

越す方法を思案していたら、悪い神が日本武尊を困らせようと白鹿に化けて立ちはだかった

 

のでした。

 

とっさに、日本武尊は、口に噛んでいた蒜(ヒル/にんにく)を鹿に投げたところ、鹿の目に当た

 

り、鹿は死んでしまいました。

 

その時、突然に濃い霧が沸き起こり、一寸先も見えなくなったのです。

 

そうしたら、その霧の中から白狗(しろいぬ)が現れて、里まで導いてくれたのです。

 

それ以来、この神坂峠を通る時には、口に蒜を噛んで通ると妖気に打たれる事はないと信じ

 

られてきました。

 

その事から、「蒜噛」が「昼神」の由来になったとされるのです。

 

口に蒜を噛むとは、どんな人が思いついた発想なのでしょうか?

 

妖怪が出るとしても、ニンニクを口に入れている事は流石にできませんね。

 

昼神の語源には、まだ他にもありますが、これらは、この地の謎を強調しているだけのようで

 

す。

 

では、その謎は何なのでしょう?

 

そのヒントが、この村にある「阿智神社」にありました。

 

 

[阿智神社]

 

この神社に祀られているのが「天八意思兼命(あめのやこころおもいかねのみこと)」ですが、

 

この命は、「天の岩戸」に隠れた天照大神を岩戸から導き出す方法を考えて指示した「智恵の

 

神」として知られていて、「ものさし」の元を作った神としても知られています。

 

この神が降り立った地がこの阿智村とされています。

 

また、社伝によれば、天八意思兼命がこの地に降臨した時、天の岩戸を動かした息子の天手

 

力男神(アメノタジカラオ)と、天表春神を引きつれて来たとされ、手力男神は、高天原から天岩

 

戸を投げ落とした戸隠山へ、その地を護る九頭竜権現に招かれたとされます。

 

神話には、ややこしい名前が良く登場します。

 

この天八意思兼命もそうですが、特徴や、この伝説に登場する神や、この周囲の信仰から考

 

えると虚空蔵菩薩(智恵の菩薩)と同じであり、エジプトのトト神と、思われるのです。

 

天照大神も、ラー神も太陽神です。

 

エジプトの太陽の船の図を見ても分かるように、太陽神に付随するのは智恵の神トト神なので

 

す。

 

  ヒヒの姿のトト神

 

元善光寺の西には、虚空蔵山があり、その虚空蔵山に白山神社の奥の院がある事からも、

 

一つの結びつきが感じられるのです。

 

 

九頭龍神からも、石川県の白山の南麓を流れる九頭竜川と縁があると思われ、この川からの

 

支流に足羽川があり、少し前に取り上げた足羽神社があるのも偶然とは思えません。

 

また、上記の昼神の語源のニンニクからも、エジプトでは、悪霊に、ニンニクが効くと言う言

 

い伝えがあり、昼神と絡んで来ているのではと思え、ブァンパイア伝説でも退治する道具にニ

 

ンニクがあることでも分かります。

 

ニンニクを妖怪に投げつけるとは、日本では、少し異質な感がありませんか。

 

このように、今回も沢山の可笑しな点が有りましたが、古代エジプトの信仰を考えた時、不思

 

議なほど、スムーズに溶け込んで行きます。

 

 

昼の守護神・ラーの信仰が、この地にあるから元善光寺の戒壇巡りと言う不思議な慣わしが

 

あり、極楽浄土へ入り口には凹のカギが付いているのです。

 

ラーの凸のカギで開けるのです。

 

その先には、トト神が、太陽神・ラーの天秤と羽を使い、魂の重さを量っているのです。

 

これらを総て満たすには、阿智村の昼神は、ラー神でなくてはならないのです。(私の勝手な推

 

測です)

 

善光寺に行かれた事がない方は、是非、戒壇巡りを行い、暗闇にあるカギ穴を見つけてみて

 

はどうでしょう。