さて、「カラダにまつわる数字」ということでシリーズエッセイを書いていますが・・・

皆さんにとって、最も馴染み深い「カラダにまつわる数字」って、何でしょうか?

 

細胞の総数や、DNAの長さなどは、数値を聞くと「へーっ」「すごーい」って思いますが、この種の数字はやっぱり、なかなか腑に落ちにくいというか、実感しにくい面があるかもしれません。

 

なぜならば、これらの数値は、指で数えたり、ものさしを当てるといった実感を伴う方法で測ることが出来ないからです。

 

じゃあ、自分で日常的に測れる身近な数値なら、もっと実感が湧くかな?

 

・・・という発想でいくと、

 

はい、ひとつとっても身近なやつがありました。たいていの家庭に測定装置があるもの。

 

それは「体重」です。

 

そして、いまどきの体重計にはほぼデフォルトで体脂肪計も付いているので、「体脂肪率」も、体重に匹敵するぐらいおなじみの数値といえるかもしれません。

 

ちなみに、、この「体脂肪率」という言葉、僕は個人的にちょっとブルーな思い出があります。

 

 

もう20年以上前の話。

当時僕は、某雑誌社の編集者で、新しい健康雑誌を立ち上げるプロジェクトに参加していました。1996〜1998ころです。

 

そのころ、巷の健康情報業界で、ちょっと話題になっていたキーワードに、「かくれ肥満」というのがありました。

「かくれ◯◯」っていう言い回しはその後、いろいろなネタに使い回されていますが(かくれ高血圧とか、かくれ脱水とか)、その走りともいえるのが、これです。

 

かくれ肥満とは、、、

・身長と体重から求める体格指数(BMI)では、肥満ではない

・見た目もせいぜいちょっとぽっちゃり程度で、太ってはいない。

・でも、健康を損なう体脂肪はたっぷり身につけている

といった状態のこと。

 

要は、体脂肪率が高いってことですね。

 

いまでこそ「一家に1台」並みに普及した体脂肪計ですが、この頃はまだ、一般向けの健康器具としては、ようやく広まり始めた頃。

その「ようやく広まり始めた」体脂肪率という概念を手がかりに、見た目だけではわかりにくい健康リスクを見つけよう、という狙いで、「かくれ肥満」という言葉が言われ始めたわけです。

これは面白い、、ということで、
さっそく、創刊準備号の記事ラインナップにこのネタを突っ込むべく、企画書を書いて会議に提案しました。

 

自分としてはなかなか面白いネタだと思ったのですが、、

編集長からこんなツッコミが入りました。

 

「おい、体脂肪率なんていう言葉は専門的すぎて、普通の人はまだ、知らんのじゃないか?」

 

えー、、そうかなぁ、、結構広まってると思うけどなぁ、、

 

って思ったんだけど、まあ編集長にそんなふうに言われたんじゃあしょうがない、か、

 

、、というわけで、この企画は最終的に、「かくれ肥満」のことを伝えるものの、「体脂肪率」という言葉はあまり前面に押し出さない、という、いかにも中途半端な形になってしまったのでした。はい。

 

いやまあ、、僕は別に、当時の編集長に恨み言を言いたいわけじゃなくて、、、(といいつつ、言ってるんだけどさ、、笑)

 

要は、たかだか20年もさかのぼれば、「体脂肪率」という言葉はまだ、そんな程度の存在感だった、ということなのです。

 

それが今や、カラダにまつわる数字のなかでも、もっとも身近なものの一つにあげられるほどに。

 

いやぁ、世の中、変わるものですわ。

 

・・・と、、まあ、昔話はそれぐらいにして。

 

体重と、体脂肪率。この二つの数値は、ごくシンプルな関係で繋がっています。

 

例えば体重が60キロだとします。で、体脂肪率が20%。

 

この「20%」という割合は、重量比です。体積比やモル比じゃなくて、重量比。

なので、、

 

60(キロ)×0.2=12(キロ)

 

これが、体内の脂肪の重量。

 

はい、、とってもシンプルですね。

 

体脂肪率が20%だった場合、体重60キロのあなたのカラダの中には、12キロの脂肪が含まれているわけです。

 

※ここからしばらく話は横道へ・・・

 

ちなみに、人間のカラダを作っている主な素材は、「水」「脂肪」「たんぱく質」「ミネラル」などで・・

体重に占める大まかな比率は、

水 60%

タンパク質 15〜20%

脂肪 15〜20% ← これが体脂肪率のこと!

ミネラル 5%

ってとこです。もちろん個人差は大きいですが。
(ミネラルは微量成分じゃねーの?って思ったあなたは、骨の重さの大部分がカルシウムであることを思い出してください)

ここで注目すべきポイントは、3大栄養素の一つ「炭水化物」(糖質)がこの中に見当たらないことでしょうね。
人体内にはもちろん、血液中の血糖や、肝臓・筋肉などのグリコーゲンといった炭水化物が存在しています。でもその総量は、ここに挙げた4種類の素材と比べると、はるかに少ないです(体重の1〜2%程度)。

これは、動物全般にあてはまる特徴です。

動物は、エネルギー備蓄素材として、炭水化物ではなくて脂肪を使うやり方を選んだ生き物なので、体内の炭水化物総量は、さほど多くないのです。

一方、植物は、カラダの構造体やエネルギー備蓄素材として、炭水化物をふんだんに利用しています(備蓄成分としてはでんぷん、構造体はセルロースなどの食物繊維が代表例)。だから脂質より、炭水化物の方がずっと多い。

なので、、、食材としてみた場合は、植物性の食品はおおむね低脂肪、それに対して動物性は高脂肪ってことになるわけです。

 

※はい、横道はここまで。脂肪に戻ります。

 

12キロの「脂肪」って言われたとき、おそらくほとんどの人は、「皮下脂肪」や「内臓脂肪」などの脂肪組織のことを思い出すでしょう。

脇腹あたりの贅肉をちょっとつまみながら、「あーこんな奴が12キロもついてるのね、まったく!」みたいな気分になる、かもしれません。

 

脂肪組織の比重は約0.9なので、「12キロの脂肪組織」の体積は、

 

12÷0.9=13.3リットル。


一升瓶7本分を超えます。

 

確かに、この数字からイメージすると、そんなにあるのか? って、ちょっとギョッとしますね。

 

でも、、、

 

カラダに含まれる脂肪は、脂肪組織だけじゃありません。

もっと根源的な、生命現象の根幹に関わる重要な働きを担っているところに、大量の脂肪が使われています。

 

それは、「細胞膜」です。

 

このシリーズで何度も触れている通り、人体は約37兆個の細胞でできています。

一つ一つの細胞は、10〜数十ミクロン程度のごく小さな袋。この袋を形成する膜の主成分が、脂肪なのです。

 

人体だけではありません。バクテリアや酵母、菌類、昆虫、動植物など、あらゆる生物のカラダは細胞でできており、それを包む膜は、脂肪でできています。

さらに、「ミトコンドリア」「核」「小胞体」といった細胞内の小器官も「膜」でできており、その主成分はやはり、脂肪です。

 

この地球上に、もし脂肪がなければ、生命は誕生し得なかったはず。

それぐらい、脂肪は命の根源に関わっている成分なのです。

 

では、膜の分の脂肪量がどのくらいあるのか、ざっと計算してみましょう。

 

まずは細胞膜。計算しやすいように、細胞の平均的な大きさとして、一辺10ミクロンの立方体と仮定します。

すると細胞1個あたりの膜の面積は、10×10×6(平方ミクロン)。平方メートルに直すと、6×10のマイナス10乗(平方メートル)です。

これに37兆をかけると、、、2.2×10の4乗(平方メートル)。これが全身の細胞膜の総面積ですね。

 

次に、ミトコンドリア。これは一辺1ミクロンの立方体と仮定して、細胞1個の中に平均100個あると仮定します。まあ、たぶんそんなもんでしょう。

これで、さっきと同じ計算をすると、ミトコンドリアの表面積の全身合算は2.2×10の4乗平方メートルとなります。
細かく言うと、ミトコンドリアは内膜と外膜という2層膜構造になってるので、膜面積もその倍はあるはずじゃない? ということで、4.4×10の4乗平方メートル。
さらに、ミトコンドリア以外の小器官、核とか小胞体とかゴルジ体とか、ノーベル賞で有名になったオートファジーのオートファゴソームとか、そういうのがどのくらいあるかと、、これはもう皆目見当がつかないのですけど、まあ非常にざっくりとした見積もりで、ミトコンドリアの表面積とだいたい同じぐらいじゃないかなぁ、、と、、だとすれば、2×10の4乗ぐらい。

有効数字の桁が2桁から1桁に減りましたが、そのへんはまあ、見積もりの大雑把さが一気に加速したことを踏まえて(笑)、加減した感じです。

で、これらを全部合算しますと、、、
8〜9×10の4乗=80000〜90000平方メートル、という数値が出てきます。

 

これって、どのくらいの大きさ?

 

こういった「面積」モノのサイズの基準としてよく出てくるのが、「東京ドーム何個分」っていう表記です。

そのあたりの数字は、ググればすぐに出てきます。
wikiのページ 東京ドーム (単位) - Wikipediaによれば、

東京ドームの建築面積は、46,755m2 

グラウンド部分だけに限るなら、13,000m2、

だそうです。

つまり、人体一人分に含まれる細胞膜と細胞内小器官膜を合算した膜の総面積は、東京ドームの建築面積より広い、ということらしい。

 

で、、、細胞膜の厚さは10ナノメートルほど(10のマイナス8乗メートル)なので、これを乗じると、膜の総体積が出てきます。

答えは、8〜9×10のマイナス4乗立方メートル。

1リットル弱、ってところですか。

比重を0.9とするなら、700〜800グラムぐらい。

 

うーむ、なるほど〜


記事の前半で、体内の脂肪の総量は「一升瓶7本分を超える程度」と書きました。

そのうち、一升瓶の半分ぐらいが膜の分、ということのようです。

割合でいうなら、体脂肪のうちの6〜7%ぐらい。

 

これって多いのか、少ないのか。。

なんとも言いにくい中途半端な量です(笑)

 

記事を書く立場としては、膜の分がもっと大きな数値になってくれた方が(例えば膜だけで5キロぐらいある、とかね)派手に書きやすかったのですけど、まあ、こればっかりは仕方がない。

 

まあでも、、、1リットル弱でも、無視できないポーションだとは思います。

 

「体脂肪」というと、つい「減らすこと」ばかりに目を向けたくなるものですが、その中にはこれぐらい「膜」も含まれているのだ、と思うと、、、

 

体脂肪率という数字の見え方も、多少、違ってくるかもしれませんね。

 

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※この記事は、僕が書いているもう一つのブログ(Hatena)に、2年ほど前、書いたものです。
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前回、人体を作る細胞の数は(60兆ではなくて)「37兆個」というお話をしました。

 

これは、2012年に発表された論文をベースに、現時点で最も精度の高い見積もりとして、この数字を挙げたわけですが、、

 

少し言葉が足りなかったかな、と反省しています。

 

このシリーズエッセイの趣旨は、タイトルにあるように、「カラダにまつわる数字のリアリティー」を追求すること。

どっちの数字が正しいか、よりも、数字を実感してみることに、主眼を置きたい。

 

そう考えたとき、、、「37兆」という数字は(60兆でも一緒ですが)、あまりに途方もなく大きいため、私たちの一般的な生活実感や日常感覚とかけ離れた、想像もできないレンジの数だと思うのです。

 

その途方もない数値を、なんとかしてグイッと、「ああなるほど」って思える圏内に引き寄せられないかな、そういうことを、もうちょっと丁寧にやる必要があるな、と思ったわけです。

 

というわけで、、、今日のお題は改めて「37兆」。

 

そもそも私たちは、どのくらいの大きな数字なら、実感を持って取り扱えるものでしょうか。

 

まあ、貿易や証券取引のような、大きな桁の数字を扱う仕事をしている人にとっては、億とかの数字(金額など)を操るのはごく日常的なことだと思います、が、、

 

ただ、そんな人でも、「1、2、3、4、5、6、、、、」っていう具合に数字を順にカウントして、億まで数えたことは、きっと無いと思うんですよ。

 

それって、、、大きな桁の扱いに慣れてるとは言えても、、

その数字の規模を体感しているとは言い難いんじゃないかと、僕は思うのです。

 

というのも、、

 

僕がちっちゃい子供のときの話です(たぶん小学校1、2年ぐらい?)。

 

自力で、初めて「100まで数えた」ときのことを、うっすらとだけど、けっこうしっかり覚えてるんですよ。
 

1、2、3って指を折って数えられるところから始まった数字が、順に積み重ねていくと、100などという子供にとってはかなり大きな数字まで連綿とつながっていることを実体験して、、、

素直に感動したんですね。

 

「わーすごい、100までいった!」ってね。

 

たぶん、めっちゃ興奮して、母親とかにも報告したんでしょうね。

 

「すごいよ、100までかぞえたよ!、つながってたんだよ」って。

 

まあ、、、ちょっと変な子であることは、認めましょう(笑)

 

でも、、とにもかくにもそれほどまでに、自分で発見した(実感した)ことのインパクトは、大きかった。


そして、たぶんそのしばらく後、、、今度は「1000まで数える」のも達成しました。

このときのこともなんとなく、覚えています。

さらに大きな感動でした。

「こんな大きなところまで、つながってるんだ〜!」って感じ。

 

100っていう数字は、学校で「100点満点」という概念に接していたこともあり、多少は身近な感じがあったと思うのです。

それに対して、1000となると、子供にとってはもはや、天文学的な数字です。

 

そこまでつながったんだから、、、これはもう、大興奮ものです。

 

まあ、、、数かぞえるだけでそんなに喜べるんだから、子供ってすごい生き物だわって話ですけど(笑)

 

さて、子供の頃にそんなことをして遊んだ人が世の中にどのくらいいるのかは知りませんが、、一般の人が数字を1から順にカウントするという手法で到達したことがある数としては、通常、この辺が上限だろうと思います。

 

なにしろ、1000まで数えるのには、1カウント1秒として、16〜17分ほどかかります。

もうちょっと早く数えることも可能だと思いますが、それでも、少なくとも10分以上は「数える」という行為に意識を集中しないと、達成できないでしょう。

 

これが1万までになると、3時間弱かかる計算です。

10万ともなると、ノンストップで寝ずに頑張っても、28時間ほど。
このへんがまあ、生理的なリミットでしょうか。

 

100万に到達するには、寝ずに頑張っても、11日半ほどかかります。

いやいや、人間はそんなに寝ないで過ごすのは無理だって。

 

1億になると、、ノンストップの計算で、1157日。一睡もせずに3年ちょっと。

いや、3年も寝無いのが無理なことはわかってるけどさ(笑)
休み休み続けたとしても、、一人の人間がやる作業としては、もう不可能といってもいいぐらいの領域でしょう。

 

じゃあ、37兆だったら?

 

・・・・1カウント1秒で、24時間不眠不休体制で、30万年ぐらいかかる計算です。

現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生したと言われるのが、20万年ほど前です。

当時の彼らの脳内には、おそらく数字という概念はまだ生じてなかったと思いますが、、そういう細かい話はちょっと横に置いて、、仮に人類誕生の瞬間から、人類が共同作業でリレー式にミッションをつないで、カウントを絶やさないように昼も夜も数え続けてきたとしても、、、西暦2017年現在で、まだ37兆には届いていない、、

 

、、、と、それぐらい巨大な数字なんです。37兆って。

 

いや、僕も今ざっと計算してみて、ちょっとたまげましたわ。

 

人体というものは、それぐらい途方もない数の「細胞」が寄り集まって、できている。

 

まあ、奇跡といいますか、驚異といいますか、とにかく、とてつもない感じはなんとなくわかるんじゃないかと思います。

 

ちなみに、、、イメージ上の比較の対象を一つ挙げておくと、、トヨタの車の部品点数は、約3万個だそうです。

 

リンク

 

これとて、小さな数ではないとは思いますが、、、

37兆とは、比べるべくもないでしょう。

 

サイエンスの分野で、途方もなく大きな数字がよく出てくる分野が2つあります。

 

一つは生命科学で、もう一つは、天文学などの宇宙科学です。

 

ということで、今度は宇宙の数字と比べてみましょう。

 

例えば、私たちの太陽系が所属する銀河系=「天の川銀河」。

銀河系は、太陽のような光る星(恒星)が無数の集まってできています。
天の川銀河を作る恒星の数は、2000〜4000億個なのだそうです。

これも、とてつもない数です。

でも、人体の細胞数は、これのさらに100倍ぐらい。

天の川銀河並みの銀河系が百個ほど集まって、ようやく人体1個体の数字に並ぶのです。

 

さらにもうひとつ、極め付けを。

 

以前も触れましたが、人体の細胞一個に含まれる総DNAの長さは、約2メートルです。

これが、人体1個体分を作るためのフル設計図。

 

で、、その設計図を、基本的にすべての細胞が内蔵しているわけです(赤血球は例外ね)。

 

では、もし全身の細胞に含まれる全てのDNAを1本につなげたら、どのくらいの長さになるでしょうか。

 

ヒトの総細胞数は37兆個。

そのうち26兆個は核を持たない赤血球なので、有核細胞の総数は11兆個ほど。

 

この数字に、「2」メートルを掛け算すればいい。計算自体は単純です。

 

答えは、22兆メートル。

キロ単位に換算すると3桁減って、220億キロメートルです。

 

、、、と、これって、どのくらいの長さなの?

 

これ、、、じつは、太陽系の惑星のうち一番外側を回っている海王星の公転軌道半径をはるかに凌ぐ、べらぼうな数字なんです。

 

海王星の公転軌道半径、すなわち太陽と海王星の平均距離は、約45億キロメートルだそうです。

ヒト1人の体内に含まれる全DNAの長さは、なんとその5倍近くにもおよぶのです!

 

どうですか、自分の体の中に、太陽系のはるか彼方にまで届くような極細の糸が内蔵されている、と。

イメージできるでしょうか?

 

まあ、、これはあくまでも「そういう計算をすればこういう数値が導かれる」ということであって、、

全細胞のDNAを1本につなぐという設定に、生物学的な意味は特にないでしょう。DNAはそんなふうにして働いているわけではありません。

 

ただ、人体の内側に、途方も無いスケールの構造が宿っていることの、ひとつの象徴とはいえるでしょう。 

要は、37兆っていう数字は、それほどまでに、桁違いに巨大だ、ということですね。

 

さて唐突ですが、、、仏教に、「本不生」(ほんぶしょう)という言葉があります。

この世界、この宇宙の「すべて」を一言であらわす言葉なのだそうです。

 

長い修行を経て、深い瞑想状態を体験することによって、人はこんな感覚を実感として感じられるようになるそうです。

 

宇宙の根源であり、一切の本源が本来不生不滅すなわち永遠に存在する、そんな感覚。

自分の内側に、宇宙のすべてとつながる、広大で深遠な世界が広がっている、という実感。

 

はい、これはもちろん、受け売りの知識です(笑)

最近読んだ、名越康文さんの新刊「ひとりぼっちこそが生存戦略である」に、そんな話が書いてありました。

 

正直なところ、、僕自身は、そんな境地は、実感としてまだよくわかりません。

 

ただ、、、ここまで触れてきた、「海王星の向こうまで届くDNA」とか、「細胞の数が天の川銀河の星の数より多い」とか、そんな逸話をなんとなくイメージ化してみることで、、

 

広大で深遠な世界の実感に通じる感覚が、ちょっとだけ後押しされているような、そんな感触はあるんです。

 

「数字」って、感覚や直感、イメージといったものと対置されて、「無味乾燥で杓子定規なものの代表」として扱われることが多いと思いますが、、

 

僕はむしろ、数字も扱い方次第では、直感やイメージを後押ししてくれる手段になるんじゃないかと思っているのです。

 

ものごとを数値化して捉えることで、実感の世界がむしろ豊かに、リアルになる。
 

そんなあり方を、これからも探求していきたいと思います。

___________

※この記事は、僕が書いているもう一つのブログ(Hatena)に、2年ほど前、書いたものです。
 多くの人に読んで欲しいので、こちらにも再掲載します。
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カラダにまつわる数字シリーズ、3回目です。

人体の働きについて文章を書くとき、決まり文句のようにしばしば出てくる数字が、いくつかあります。
その代表格がたぶんこれでしょう。

 

「人のカラダは、約60兆個の細胞でできている」

はい、多分このブログも、さかのぼっていったらどっかにこの数字が出てくると思います。

なので、この数字シリーズでも60兆を取り上げたいと思って、何かネタがないかな〜ってぼんやり考えてたのね。

で、、ふと、思った。

これは、どういう根拠で導いた数字なんだろう、と。


こういうざっくりした大きな数字を概算するのって、実はけっこう大変なことです。

 

世の中でよく目にするのは、何かイベントなどがあった時の報道などで、「○万人が参加しました」っていうやつね。

僕は当初、この数字もあれと同じようなやり方で算出しているんだろうって、勝手に思いこんでいました。

 

 
イベント参加者の場合、入場券の販売数などがきっちり管理されているなら、正確な数がわかるのですけど。

でも、無料のイベントなどでは、正確な数を把握している人は、どこにもいない。

 

そんな時に、報道機関などがやる古典的な方法は、、

 

・その人が集まった風景を空撮して(今ならドローンとか使うのかな)、

・面積がわかる、ある一区画の人数をなるべく正確に数えて、

・その人数に、総面積を掛け算して、概数を出す

 

というアプローチです。

 

この場合はもちろん、人数を数える区画をどう設定するかが重要なポイント。

全体を俯瞰して、人の密度が平均的(に見える)場所を選ばないといけない。

 

逆に言うと、その設定をどちらかに振ることで、意図的に大きな(または小さな)概数を導くこともできます。

デモ行進や反政府的な集会などの報道では、動員数が主催者発表で3万人、警察発表は8000人、なんてことがときどきありますが、あれは数を多く(または少なく)見積もりたいというバイアスがそれぞれに働くことで起きる現象と考えられます。

 

まあ、要は、かなりぶれやすい、アバウトな算出法だ、ということ。

それはともかく。。

 

僕は、かの「60兆個」という数字も、こんなタイプの見積もりで算出されたのだろう、、と、そう思っていました。

 

たとえば、肝臓という臓器があります。
解剖をすれば、ある体積あたりの細胞数(細胞密度)は、だいたいわかります。
そして肝臓のサイズ(体積)は、だいたい決まっている。
それを掛け算すれば、肝臓の細胞数の概数が求められる、と。

 

そんな操作を、カラダの様々な組織ごとに積み上げていって累積すれば、全身の細胞数を見積もることができるはずです。

 

たぶん、昔の解剖学者さんとかが、そんな感じのことをやったんだろう、、、と、そんなイメージを抱いていたのです、、けど。

 

ふと、気になったんですね。

 

60兆って、端数のない、妙にキリのいい数字だな、と。

 

これはもしや、類推を積算して求めた数字ではないのかもしれない、と。

 

では、、これ以外に、どんな推定方法があるか?

そこで、、、はたと、ひらめいた。

 

前回前々回と、生命現象を司るミクロの世界をざっくり紹介してきました。
その中に「細胞」も出てきていて、、

 

ヒトの細胞のサイズを「10〜数十ミクロン程度のサイズ」と表記しました。

 

これを仮に、計算しやすい概数として、「一辺10ミクロンの立方体」と近似します。
まあ、この設定自体は、そんなにおかしいものではないでしょう。

そして、その素材はほとんど水ですから、比重を約1と設定します。

すると、、、細胞1個の重さはだいたい1ナノグラムってことになります。

 

で、大人のヒトの体重を約60キロと設定して、、、

1ナノグラムの細胞が何個あれば60キロになるか、と割り算すれば、、

 

はい、60兆個という答えが得られます。

 

えーーーっ、、、、

 

そこまで単純な話?!

 

・・・って、計算がピタッと合った時に、僕もそう思いました。

 

いや、でも、、、たぶん、このやり方で間違いないです。

こんなにピッタリ合うんだし。

最初に60兆と見積った人は、きっとこのアプローチでこの数字にたどり着いたに違いないです。

(同じような単純な発想で求められたと思われる概数に、「血管の総延長が9万キロ」というのがあるのです。これはたぶん次回、取り上げますね)

 

で、、実は数年前に、「人体の細胞数を正確に見積もってみた」という趣旨の論文が出ていて、ちょっと話題になったのです。

 

そこでは60兆ではなく、もうちょっと少ない数字、たしか30兆台の数字が報告されていたはず・・・

 

、、、そんなことを思い出して、ググってみたら、

こんなブログが見つかりました。
 

はい、「37.2兆個」と提唱した論文があるとのこと。

ついでに、、、「60兆」の根拠はやはり、「細胞1個の推定の重さ(1ナノグラム)で体重60キロを割って求めた概数」ってことらしい。
 

論文はこちら↓

An estimation of the number of cells in the human body

 

ここでは、さっき紹介した、イベント参加者の見積もりと同様のアプローチで、組織ごとに細胞数を推定して、最終的にそれを積算しています。

やってることは単純ですが、ものすごい手間のかかるお仕事のはずです。

 

で、、、おそらく、60兆よりはずっと精度の高い数字でしょう。
 

なので、今後、人体の細胞数についてものを書く時は、なるべくこっちの数字を使うようにしよう、、と思います。

 

いや、まあ、ただね、、、

 

そうはいっても、この種の数字の見積もりって、本質的にとってもアバウトなものだから、60兆と37兆は、「そう大差ない」ともいえます。


むしろ、異なるアプローチで出した見積もりで、桁が一緒になったのだから、「ああ、たぶんこのぐらいのオーダーの数値なんだな」と納得しておくぐらいが、正しい態度なのかもしれない、とも思います。

 

まあ、それはともかく、ですね。

 

「組織ごとの見積もりを推定して積算する」と書きましたが、、、

 

いろいろとある体の組織細胞の中で、一つだけ例外的に、極めて高い精度で細胞数を類推できるものがあります。

 

血液中の細胞数です。

 

たとえば、血液を10ccばかり採取したとしましょう。

そしてそれを、軽く遠心分離機にかける。

遠心力によって血液中の細胞が沈降し、血液は「水の層」(血漿)と「細胞の層」に分離します。

 

その体積比は、ほぼ1:1。

 

血液10ccに含まれる細胞の体積の総和は、約5ccとなります。

 

そのほとんどは、赤血球です。

血液中にはいろいろな種類の細胞がありますが、99%ぐらいが赤血球。白血球とか、リンパ球とか、そういうのはごくごくわずかです。
機能的なことを考える時はそういう少数派のことも重視する必要がありまあすが、ざっくりした概算をする時は、大多数を占める赤血球のことだけ考えておけばOK。

 

で、、赤血球という細胞のサイズは、かなり正確にわかっています。

小型の、円板状の細胞。直径が約8ミクロン、厚さが2ミクロンぐらい。

 

ということは、、1個あたりの体積がすぐに計算できます。

 

次に、、人体内の血液の総量は、理屈の上では実測可能です。

 

まあ、、、もし実測したら、その人物はもはや生きていない状態になるでしょうから、現代の日本ではおいそれと計測されることはないと思いますが。。

 

でも、人類の歴史上のどこかでは、実際に人間の体を使って(まあ死体だったかもしれませんが)、人体に含まれる血液量が計測されたことがあるはず。

 

で、、おそらくは、そういった先人の探求の結果をふまえて、、人間の血液量は、体重の約8%と見積もられています。
これは、実測ベースの数値なので、かなり精度の高い数字といえます。
 

つまり、、血液の総量がわかって、その体積の半分が赤血球。そして赤血球1個の体積もわかっている。
こうなれば、赤血球の総数も、かなり精度高く算出できます。

 

途中経過は省きますが、、、

 

体重を60キロぐらいと仮定して計算すれば、、赤血球の総数は20兆個強、という数字がでるはずです。

(以前、計算したことがあって、大まかな答えだけ覚えてた・・・)

 

で、、この計算をした当時は「人体の細胞総数は60兆個」って思っていたので、その3分の1が赤血球という見積もりに、「ヘーー、すごいな赤血球」と感心していたわけです、、が、、

総数が37兆だとすると、、

 

3分の1どころではない。

 

過半数赤血球ですわ。

 

ほんまかいな?

 

はい。上で紹介した論文には、組織ごとの細胞数の見積もりを表にして掲載しているのですが、そのなかでダントツにトップなのが赤血球

この論文では、

2.63 × 10の13乗

という数字を出しています。

 

26.3兆個。

 

37兆のうちの、なんと71%を占めます。

 

私たちの体の細胞のうち、約7割は、赤血球なのです。

 

 

これが、現時点で最も精度の高い見積もりから得られた結論です。

 

ご存知のように赤血球は、血流に乗って全身に酸素を送り届ける機能を担っています。

成熟した赤血球の内部には核がなく(つまりDNAもない)、もはや細胞分裂はしない。

酸素輸送に特化した、究極の運び屋です。

 

「核を失う」という赤血球の成熟プロセスは、生物学の中では例外的な現象と考えられています。

で、、「例外的」という言葉から、私たちは往往にして勝手に、「少数派」というイメージを抱きます。

 

すると、、、「全身の細胞の7割が、例外的な細胞」という結論に対して、妙な違和感を覚えるわけです。

 

こういうのは、頭が作り出した違和感です。

 

カラダは、単に、うまく機能するためのパーツを取り揃えただけ。

そこに「通常はこう」「これは例外」などというレッテルを貼ったのは、人間の頭の解釈。

 

そんなことを味あわせてくれる数字なのでした。

※この記事は、僕が書いているもう一つのブログ(Hatena)に、2年ほど前、書いたものです。
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カラダにまつわる数字シリーズ、2回目です。
前回に引き続き、今回も、ものの大きさを100万倍に拡大した「ミリオンスケールの世界」を舞台に、話を始めたいと思います。

 

この世界では、DNAの太さ(2ナノメートル)がタコ糸ぐらい(2ミリメートル)に、ヒトの細胞の大きさ(一辺10〜数十ミクロン程度)が小学校の体育館ぐらい(一辺10〜数十メートル程度)にスケールアップされます。

DNAと細胞といえば、ミクロ生物学で名前をよく聞く2大アイテム。どちらも僕らの日常感覚的なスケールからみれば「とっても小さい」わけですが、その「とっても小さい」の間にも、実はこんなに大きさの差がある。

このへんって、意外と実感としてピンときてないことが多いと思うんですよ。

 

ということで、もう一つ、お題を挙げましょう。

 

健康意識が高い系の人なら、「腸内細菌」という言葉は、当然、ご存知だと思います。

腸(主に大腸)の中には、大量の細菌(バクテリア)が住み着いており、その種類や働きぶりが、私たちの健康状態に大きな影響を与えている、というお話は、今やもう常識といっていいほどよく知られていますね。

 

 

では、これら細菌(バクテリア)は、ミリオンスケールの世界で見ると、どのくらいの大きさになるでしょうか?

 

 

バクテリアは、1個体が1個の細胞でできている「単細胞生物」です。

 

だったら、さっき「細胞のサイズが小学校の体育館ぐらい」って出てきてたし、バクテリアもそれぐらいじゃない? って思った人もいるでしょうね。

 

ブブーー、残念でした。

 

体育館サイズになるのは、ヒトの細胞の話です。

 

まあ、ヒトに限らず、多細胞生物はおおむね、こんなもんでしょう。

 

 

でもバクテリアの細胞は、もっと小さいのです。

バクテリアの種類によってかなり差がありますが、大まかに言うと、1ミクロン前後。

これをミリオンスケールにもっていくと、、、1メートル前後です。

まあ、うーんとざっくり言ってしまえば、われわれ人間ぐらいの大きさですね。

 

体育館サイズと、人間サイズ。

はい、ずいぶん違いましたね。

同じ「細胞」という言葉で呼ばれる構造でも、生き物の種類によってこんなに違うんです。

 

さらに小さい奴らもいます。

 

「ウイルス」です。

 

ウイルスは、病原体として有名なやつが多いんですが(インフルエンザとか、ノロとか、エイズとか)、どれもバクテリアよりさらに小さいです。

なかでもノロウイルスは小さくて、30ナノメートルぐらい。

インフルはもうちょっと大きいけど、それでも100ナノメートル(0.1ミクロン)程度。

 

これらをミリオンスケールに持ってくれば、、、

 

ノロウイルスは直径3センチ。ゴルフボールより一回り小さいぐらいです。

インフルエンザは10センチ程度。これは、リンゴぐらいですね。

 

病原体であるウイルスのサイズが小さいほど、防御のためのバリアの網目を軽々とすり抜けることになります。

たとえば、一般的なマスクによく使われる不織布の隙間(穴)は、5ミクロン程度だそうです。これをミリオンスケールに持ってくると、5メートルもの巨大な穴があいてることになる。

防ぐべき相手のインフルエンザウイルスは、リンゴ大なんです。

侵入を防ぐという目的で言うなら、マスクはほとんど用を足さないのが、お分かり頂けると思います。

 

ということで、、、

 

タコ糸DNAから始まって、ウイルス、バクテリア、ヒトの細胞と、いろんな大きさのアイテムがずらりと揃いました。

ミクロの生物界のサイズ感が、かなり実感として浮かんできたんじゃないでしょうか。

 

では最後に、この世界で「人間」はどのくらいの大きさになるのかも、確認しておきましょう。

 

ヒントは、すでに前回、出てきています。

そうです。DNAの「長さ」の話です。

 

細胞1個に収まっている人間1個体分の情報を記録するDNAは、長さ2メートルにも及びます。それをミリオンワールドに持っていくと、2000キロ、でしたね。

 

人間の身長は、1・5〜2メートルぐらい。つまりDNA1個体分と、大まかに同じぐらいです。

ですから、ミリオンスケールにおける人間の大きさも、ほぼ同じことがいえます。

だいたい「日本列島ぐらい」なのです。

 

これ、ちょっと面白いですね。

 

バクテリアを人間大まで拡大するミリオンスケールの世界では、人間は日本列島のサイズになる。

 

 

これは、別な言い方をするなら、、、

 

バクテリアからみた人間は、人間からみた日本列島ぐらいに大きな相手、なのです。

 

これは、、、ガリバー旅行記どころじゃないですね。

 

現代に生きるわれわれは、学校で習った知識やグーグルマップなどの表示をよりどころに、日本列島の大きさや形を、知識として知っています。

そして、そういった知識をベースに地球スケールから見るなら、日本列島は、ごく小さな存在です。

だから、「小さな島国」のような言葉が、私たちのイメージの中に染み込んでいます。

 

でも、、もし伊能忠敬さんのように実際に歩いてみたら、、、きっと「気が遠くなるほど大きい(遠い)」と感じると思う。

 

数字のリアリティーって、そういうことだと思うんですね。

 

 

 

そして、バクテリアから見たわれわれ人間は、それほどに大きな存在だということです。

 

 

さて、、私たち人間の身体には、膨大な数の菌が住み着いています。

彼らはまとめて「常在菌」と呼ばれます。

 

常在菌がいないと、健全な生命活動が営めないほど、彼らの存在は私たちの身体活動と深く、結びついています。

 

一番多いのは、先にも紹介した、腸内細菌。

約100兆個もの菌が、大腸内にすみついていると考えられています。

 

また、それよりは少ないですが、皮膚にもじつに多くの菌が住み着いています。

 

皮膚常在菌の数は、約1兆個と見積もられています。

 

さて、、、

 

ミリオンスケールにおいて、細菌は人間ぐらい、そして人体は日本列島ぐらいのサイズになるわけですが、、

 

この話と、「皮膚常在菌の数は1兆個」という数字を見比べると、、、

 

驚くべきことに気付かされます。

 

現実の日本列島には、人間は1億2700万人ほどしか、住んでいないのです。

 

でも、人間とほぼ同サイズに拡大された菌は、日本列島大に拡大された人体の表面に、1兆個も住んでいるのです。

 

これ、、すごくないですか。

 

以下、wikiの「人口密度」のページから、数値を拾います。

 

日本の人口密度は343人(1平方キロあたり)。

これは山間部なども含めた全国平均地で、都市部に限ればもっと大きな数値になります。東京23区だけなら、14389人。
都市の人口密度で世界トップは、モルディブの首都マレで、35000人だそうです。
この数値なら、全国平均の約100倍。ですから、仮にこのマレと同じ密度で日本全国に人を住まわせると、日本の人口は100億人を越える計算になります。

 

多分そのあたりが、人間らしい生活ができる上限でしょう。

それでも、1兆個にはまだ全然足りない。
さらにその100倍もの密度なのです。

繰り返します。

これ、、すごくないですか。

 

いやもちろん、めちゃめちゃ乱暴な議論ですよ。

バクテリアとホモサピエンスを一緒くたにしてるんですから。

しかも、現実の日本列島は人体のような立体じゃないし。

 

でも、、それにしても、ここまで桁違いに高密度な数値を見せられると、ギョッとするわけです。


さらにですよ、、腸の中には、そのさらに100倍の数の菌が住んでいるのですよ。

 

一体、、どうなってるんだ。

バクテリアって、、よっぽど密集して生きてるんだろうな。

 

はい。その通り。彼らはすごく密集して生きる生き物なのです。

だから「細菌叢(そう)」っていう言葉が使われるんですね。

 

と、そんな菌たちの生きる姿を、こんなふうに数値ベースから想像してみると、また新しいイメージが浮かぶかもしれませんね。

 

※この記事は、僕が書いているもう一つのブログ(Hatena)に、2年ほど前、書いたものです。
 多くの人に読んで欲しいので、こちらにも再掲載します。

 元記事はこちら

 

______________



さて、今日から新しいシリーズエッセイを書いてみます。

ネタが続く限り、不定期に続ける予定。。

 

テーマは「カラダにまつわる数字」です。

 

カラダ系のことをいろいろやっていると、よく、こんな言葉を聞きますよね。

 

「カラダの声を聞いてくださいね〜」

 

まあ、そういうのがとっても大事なのは、もちろん僕も同意します。

(なにしろ、そういうタイトルの本を書いたこともあるぐらいですから。。)

 

 

そういうタイトルの本↓ 

カラダの声をきく健康学
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ただね、、、

 
「カラダの声」っていう言葉で表されるものは、とてもあいまいで、感覚的なものです。

だから、カラダに関する無意識のイメージ(ボディイメージ)の持ち方次第では、かなり恣意的にゆがんだり、偏ったりしやすいのです。

 

自分のカラダについて、どんなイメージを持っているか。

 

感覚的なものを大切にするためにこそ、まずは数字で裏付けられたきちんとしたボディイメージを持つことが、とっても大事だと、僕は思うのです。

 

で、、実際、細かな数字をいろいろと拾っていってみると、、、僕らが無意識のうちになんとなく抱いているカラダのイメージと、サイエンスが明らかにした現実のカラダの構造や働きは、けっこうずれていることが多いです。

そのあたりを埋められるように、面白く且つリアルに書いていけたらいいな、と思ってます。

 

そんなわけで、第1回のテーマは「DNAの太さと長さ」です。

 

遺伝子を担うDNAは、糸状の細長い分子です。

その直径は、2ナノメートル

この数字はたぶん、中学や高校の教科書にも載っているぐらいの、基本情報でしょう。

 

で、、じゃあ、その「2ナノメートル」というDNAのサイズ感を、どのくらいリアルにイメージできていますか? というのが、今日のお話の始まり。

 

僕らはよく、ごく小さなサイズのものを、指先を使って「こんなに小さいよっ!」って示します。親指と人差し指の指先をすれすれまで近づけて。

その時の指先の間隔は、まあ、ぎりぎりまで近づけたとしても、せいぜい1ミリぐらいでしょう。

 

ナノレベルとは、あまりに程遠い。

 

 

日常感覚の範囲で、リアリティを持って「小さい」と感じられるのは、ミリ単位ぐらいが限界です。

 

 

長さの単位における一番の基本は、メートル。

1メートルがどのくらいのサイズなのかは、まあ、だれでもわかりますね。

その1000分の1が、1ミリメートル。

さらに1000分の1が、1マイクロメートル(ミクロン)。

そのさらに1000分の1が、1ナノメートルです。

 

と、、、こんなふうに書いても、「ナノって、ものすごく小さいんだな」という以上にはピンとこないのが普通でしょう。

実際、ナノとミクロンは1000倍も違うのだけれど、僕らの日常感覚としては、どちらも「すごく小さい」としか感じられないし。。

 

そこで、太さ2ナノメートルのDNAが肉眼で見えるぐらいまで、世界を拡大してみましょう。

題して、「ミリオンスケールの世界」。そこでは、すべてのもののサイズが100万倍に拡大されます。

1000倍のさらに1000倍、つまり6桁分のスケールアップです。

 

ここでは、DNAの直径が2ミリになります。

まあ、タコ糸ぐらいの太さです。これなら目に見えるし、リアルにイメージできますね。


では、問題。

この世界において、「細胞」はどのくらいの大きさになるでしょうか。

 

ヒトの細胞のサイズにはさまざまなバリエーションがありますが、標準的な大きさは、縦、横、高さのサイズがそれぞれ 10〜数十ミクロン程度、といったところでしょう。

これを「ミリオンスケールの世界」に持っていくと、、

 

「10〜数十メートル」となります。

 

縦、横、高さのサイズがそれぞれ10〜数十メートル程度の空間を、イメージしてみましょう。

身近なものでいうと、、、そうですね、例えば小学校の体育館ぐらいでしょうか。

 

あれが、細胞1個です。

 

その床に、タコ糸が落ちている。それが、DNAです。

 

さあ、、、どうでしょうか。

 

「細胞」と「DNA」を一緒くたにして、「うんと小さいもの」と感じていた人が多いと思いますが、両者の間には、こんなにサイズ観の差があるのです。

 

さて、、DNAは、細胞内部の「核」に収められています。

核は球状の小器官で、そのサイズは直径数ミクロンぐらい。

 

これを「ミリオンスケールの世界」に持ってくると、、

直径数メートルの球体になります。

熱気球とか、アドバルーンとか、それぐらいの大きさですね。

 

小学校の体育館のなかに、熱気球を浮かべます。まあ、ぶら下げてもいいですけど。

これが細胞の核です。

この球のなかに、DNAが収められているわけです。

 

さてさて、、DNAの太さがタコ糸ぐらいなのはわかりましたが、、、長さはどんなものでしょう。

 

ヒトのゲノムを構成するDNAは、人間一人分(細胞1個に収まっている総量=染色体46本分)を全部つなげると、約2メートルになります。
リアルな長さで2メートルです。直径2ナノメートルの極細の糸(DNA)が、細胞1個の中に2メートル分もあるのです。

 

それだけでもすごい話ですが、、

 

これを「ミリオンスケールの世界」に持っていくと、、、

 

はい、ものすごいことになります。

長さ2000キロメートルです。

 

それってどのくらいかと言いますと、、、

 

東京から北に向かって1000キロほど進むと、北海道の北端の稚内市の近くまで行きます。

また、西へ向かって1000キロほど進むと、ちょうど鹿児島の桜島のあたりまでいくのです。

ということは、、2000キロは、稚内から東京を通って桜島までの距離、ということになります。

 

稚内〜東京〜桜島というルートに、太さ2ミリのタコ糸を、ピンと張りましょう。これで総延長2000キロメートルほどになるはずです。

 

これが、ミリオンスケールの世界における、ヒトの全DNAです。

 

それを、染色体46本分に切り分けます。わかりやすいようにほぼ等分割にしましょうか。この場合、1本あたりの長さは43キロほど。マラソンコースよりちょっと長いぐらいですね。

で、、、その46本のマラソンコース長のタコ糸を、絡まないように丁寧に、できるだけコンパクトに折りたたんでください。

 

そしたらそれを、先ほど小学校の体育館に浮かんでいた熱気球の中に、収めてください。

絡まないように注意してくださいね。絡んだら、もう使い物にならないですよ。

 

ヒトのゲノムを構成するDNAの姿って、こんな感じなんです。

壮大というか、精密というか、、ちょっと想像を越えた感じですよね。

 

で、、、

この総延長2000キロメートルのタコ糸の上に、約2万個の「遺伝子」が乗っかっています。
イメージとしては、、、まあ、スイッチみたいなものが2万個ほどあると思ってください。

ほら、、最近のイヤホンで、コードの途中にボリュームなどが付いているやつがありますね。あんな感じのスイッチが、2000キロのタコ糸の中に2万カ所ほどある、と、そんなイメージでしょう。


そこには、1番から2万番まで順に、番号が振ってあります。

 

さて、、細胞が生きていくためには、これら2万個の遺伝子スイッチが、状況に応じて働きぶりを調節する必要があります。

 

たとえば、、、いきなり、こんな場内アナウンスが流れるのです。

 

「8324番、いまから30分間、50%増産体制に入るように!」

 

 

こんなときに、「えーっと、8324番はどこにあるんだっけ・・・?」なんて探しまわっていては、生きていけない。場内アナウンスがなられた瞬間から、スパッとスイッチが切り替わらないといけないのです。

 

ほら、、さきほど「絡まないように」ってさんざん言った理由がわかるでしょ?(笑)

 

そんないきなりの指令が来ても、遺伝子はビシッと対応するのです。だから、細胞は(私たちは)生きていける。

 

カラダって、ほんとうに、大変なものです。

 

 

世の中に、「健康法」と呼ばれるものは、数限りなくあるよね。

 

あまりにいろいろありすぎて、自分は何をやったらいいのかわかんない、なんて思ってる人もいるかも。

 

僕は、健康雑誌で仕事していた当時から二十年以上に渡って、いろんな健康法を取材したり、ウォッチしたり、実践したりしてきた。

 

今や伝説的な存在となっている、今は亡き某先生のところに毎月通ってお話を聞かせてもらったり。ヨガの指導者養成クラスに入れてもらって、通常はなかなか接することのない奥深い内容の指導を受けたり、、といった、かなりスペシャルな機会にも恵まれた。

 

そういった場で教わったことを通じて、、、姿勢や歩き方、靴の減り方などは、以前とずいぶん変わった。子供の頃からの“持病”とも言える頭痛や便秘とも、かなりうまく付き合えるようになってきた。

 

一方で、、世間ではけっこう話題のメソッドだけどやってみたらこりゃあカスだな、なんて思ったものもあったなぁ。

 

、、といった具合で、こと「健康法」に関しては、本当にさまざまな経験があるのだけれど、、

 

今日は、その中から一つだけ選ぶとしたらこれ、というものを紹介したい。

 

いわば、僕が選ぶ、キング・オブ・健康法。


ジャジャジャジャジャ〜〜〜ン 発表!!!

 

 

 

 

 

はい、それは、、、

 

 

 

 

 

「呼吸法」です。

 

 

 

 

 

。、、。。

 

 

 

 

地味すぎ?  そう思った人もいるよねきっと。

 

 

それとも、なんだ普通じゃん、って思ったかな。

 

 

もっとビックリするようなもの、衝撃的なものを期待してたとしたら、裏切ってごめん、笑

 

 

いやまあ、でも、しょうがないんだよ。

 

それぐらい、「呼吸法」というメソッドは特別な意味を持つものだと、僕は思っている。

今日は、その話をしよう。

 

_____

 

 

そもそも「健康法」って、何をするものだろう?

 

いろんな見方があるけど、ざっくり言うなら、この一言にまとめられるだろう。

 

 

「カラダの中の崩れたバランスを取り戻す」


 

例えば食事法なら、、

 

・不足がちな成分を摂る(オメガ3、ビタミン、ミネラル、ポリフェノール類、タンパク質など)

・過剰になりがちなものを抑える(総カロリー、糖質、飽和脂肪酸など)

・体に負担をかけるものを減らす(アルコール、添加物、人工香料など)

 

具体的にはいろいろあるけど、これらはどれも、本来あるべきバランスを取り戻すための方法だ。

 

足りないものは、足してやる。

 

多すぎるものは、減らす。

 

すると、いいバランスに近づいて、健康になる。一言で言えば、そういうことだ。

 

運動も一緒。体を動かす時間が本来の想定より足りないから、動かしてやる。カラダの中で動きが悪い部分があるから、そこを動かす。

 

本来のバランス状態から外れているのを正そうとして、やっていることだ。

 

 

それで、、だ。

 

足りないから、足してやる。これは、出発点が「足りない」であるからこそ、うまくいく。

 

だけど、もしどんどん足して、もういいってところまで行ってもさらに足して、ついに過剰になって、それでもまだ足したら、どうなるだろう?

 

答えは、、、おそらく、健康を損なうことになる。

オメガ3オイルがいかにカラダにいいと言われても、もしアマニ油を毎日ボトル1本飲んだら、そりゃあいくらなんでも過剰。下痢するとか、吐くとか、異常な反応が起きるだろうし、それでも摂り続けたら、カロリー過剰でいずれメタボになるだろう。当然だ。

 

「多すぎるものを削る」のも一緒。腹八分目や断食が健康法として成立するのは、「普段、飽食状態にある」という前提だから。飢餓に直面して、栄養失調や餓死と隣り合わせの人には、断食のメリットはない。むしろ危険なだけだ。

 

といった具合に考えていくと、、、

 

ある健康法が役にたつかどうかは、その人の「スタート時点の状態」に依る、という結論が導かれる。

 

ある人のカラダに、ある時点で、何かの要素が足りなかったとすれば、その時は、それを足すことが健康の助けになるわけだ。

 

だが、それが足りた時点で、その方法は用済みになる。

 

逆にいうなら、これは、、

 

全ての人の、あらゆる状態に役立つ健康法はない、ということでもある。

 

健康法の意義は、相対的なもの。絶対的な方法は、ない。

 

・・・というのが、僕の「健康法」に関する基本的な認識だ。

 

 

 

ところが、、、ここには、例外があるのだ。

 

その例外中の例外、例外の代表が、「呼吸法」なのである。

 

 

それはなぜか。

 

呼吸法とは、何をしているのか。

 

_____

 

 

呼吸法は、さっきまで紹介したような、不足分を足すという類いの方法ではない。

 

「呼吸が足りないから足している」のではないのだ。

 

 

そうではなく、呼吸法は、カラダ自体の「バランスを取る能力」を、高めているのである

 

 

カラダには、自分でバランスを調整する能力がある。

 

代表例は、自律神経。

 

自律神経は、興奮作用(交感神経)と鎮静作用(副交感神経)がある。この相反する二つの働きは、お互いにシーソーのように調整しながら働いている。

 

例えるなら、アクセルとブレーキ。

 

アクセルが必要な時は、ブレーキは不要。ブレーキから足を離して、アクセルを踏む必要がある。

 

アクセルが必要なのに、いつまでもぼんやりとブレーキを踏んでいてはまずい。

 

「今はアクセルが必要だ」と感知し、素早くブレーキから足を話してアクセルへ踏み換えることが大切だ。

 

そういう、切り替えの適切さやスムーズさを高めるところに、呼吸法は働くのである。

 

 

「足りないから足す」「多いから削る」

 

これはどちらも、スタート時点の状態を、私たちが「足りない」「多い」などと判定して、それを意図的に調整すべく、外から何かを足したり削ったりしている。

 

だが大抵の場合、その足りなかったり多すぎたりする要素をバランスよく調整する作用は、もともとカラダに備わっているのである。自律神経がその代表例だ。

 

また、体内の代謝産物や、血液中を循環する各種成分の濃度なども、本来、カラダが自動的に調節している。例えば血糖値が下がれば、肝臓の中のグリコーゲン分解でブドウ糖を作って血液中へ補充するし、20種類あるアミノ酸のうちどれかが不足していれば、肝臓の中ですぐにその成分が合成され、バランスのいい状態が回復される。そういうことを、体は自動的にやっている。

 

そして、体内で合成することができない成分(ビタミン、ミネラル、必須脂肪酸など)が不足している場合なら、その成分を多く含むものが食べたいという欲求が湧いてくる。

 

さらに、何かが過剰になっている場合なら、本来、「もういらない」という欲求(満腹感)が湧いてきて、摂食にブレーキがかかる。
 

そう、本来は、カラダに任せておけば、万事うまくいくはずなのだ。

 

だが、なぜかそれがうまくいかない。だから、カラダの中でバランスが崩れ、不足や過剰が生じる。

 

不足を足し、過剰を削るのも、一つの対応策ではある。

 

だが、問題の根源はむしろ、「バランスを取る働きがうまくいかなくなった」という部分にある。

 

だったら、そこの調整能力を取り戻すのが本筋だ。

 

そこに働きかけるのが、呼吸法なのである。

 

______

 

 

自然医療の大家、アンドリュー・ワイル博士が書いた「ナチュラル・メディスン」という本がある。

 

古今東西のさまざまな健康法や自然療法を取り上げ、網羅的にその意義や使い方を解説した、この分野のバイブル的名著である。

 

この本の中に、呼吸に関するこんな一文がある。

 

『食生活と運動について書くとき、わたしはいつも「重要な要素だが、健康を左右する絶対的な決め手にはならない」と指摘することにしている。申し分のない食生活をして、きちんと運動しているのに、あまり健康ではない人たち、ひどい食生活で運動もしていないのに健康な人たちを、わたしは知っている。しかし、正しい呼吸をせずに健康である人には会ったことがない』

(ワイル博士のナチュラル・メディスン 増補改訂版 114ページ)

 

もう二十年以上前だけど、初めてこの一節を読んだとき、ヒューーって音を立ててカラダの中を何かが流れていくような気がしたのを覚えている。

 

健康って何なのか? というつかみどころのない問いに対する、非常に本質的な何かとの接点が、この文章の裏側にあるような気がしたからだ、と思う。

 

それぐらい、呼吸って、特別なものなのだ。

 

具体的なやり方は、、、まあ、いろんな方法があって、どれでもいいんだけど。

 

僕は、この「ナチュラル・メディスン」でも紹介されているワイル博士流のシンプルな呼吸法が好きで、ずーっとやってる。

 

こんな感じ。

 

1 まずひと息、息をフーッと吐き切る。ため息を吐く感じで。

 

2 「吸う」「止める」「吐く」を、「4カウント」「7カウント」「8カウント」の割合で何度か繰り返す。

 

3 カウントのペースは、その時のカラダの感覚に任せる。繰り返していくと、徐々にゆっくりになっていくことが多い。

 

4 4〜8サイクルほど繰り返して、もういいだろうって思ったら終了。普通の呼吸に戻る。

 

これを、1日の中でいつでも何度でも、思いついたときにやる。就寝前には必ず。

 

 

よかったら試してみて。

 

 

いま鴨川に来ている。

 

昨日は勝浦。「巨木」を巡っていた。

 

この辺りは、知る人ぞ知る、巨木パワースポットの宝庫なんだそうだ。(僕もほんの2、3日前に知ったところだ)

 

まずこちら。鴨川は日蓮宗大本山清澄寺の巨スギ。

 

 

由緒ある寺院の中だけあって、あたりは、なんとも清浄な空気で満ちている。

 

敷地の周りをぐるりと囲むスギのなか、1本、ひときわ力強くそそり立っている。

 

 

 

天に向かってまっすぐに伸びる針葉樹には、宗教的な場を整える力があるのだろう。

 

この姿が、何百年に渡って、ここに集まる人々を見守り、力を与えてきたのだ。
 

 

もう一つ。こちらは勝浦にある寂光院のシイノキ。

 

 

こちらもお寺の敷地内らしいのだが、周囲は草ぼうぼうの原っぱ。足を踏み入れるとバッタがビョンビョン飛び回る、かなりワイルドな環境の中にある。

 

宗教的荘厳さというより、自然の生命力そのものを感じる場だ。

 

樹齢千年を超えるとも言われる。長い時間を超えてきた貫禄が、あちこちに刻まれている。

 

 

よく見ると、木のうろに根付いた全く別の植物が、そこで茂っているような箇所もある。

 

 

 

命の営みのおおらかさ、懐の深さが感じられる。

 

針葉樹と広葉樹。一口に巨木といっても、そこに感じられる空気は、かなり対照的だ。

 

まっしぐらに天空を突くスギの木。おおらかに命を包み込むシイノキ。

 

どちらも、生き物のあり方(命のあり方)の一側面である。

 

両方あって、全体になるのだろう。

 


 

先日、カミさんと一緒にライブを観に行った。

 

カミさんが誘ってくれたもので、彼女が最近見つけた、お気に入りのボーカリストが出演するという。

 

場所は横浜の赤レンガ倉庫の一角。洗練されたライブスペースで、料理とワインなどをいただきながら、おしゃれに音楽を楽しめる。

 

演奏は、うん、まあ、なかなかいい感じだね。

 

料理もOK。サービスもこなれていて、いい雰囲気である。

 

うん、いい時間だった。。

 

。。。と、ちょっと前までの僕なら、「はい、いい時間でした」っていうことで特に問題なく収まっていたと思うんだけど。。

 

夜、どうも肩から首筋あたりが、妙な感じにこわばっているのが気になって。

 

カミさんにちょっとさすったり揉んだりしてもらったけど、なかなかスッキリしない。

 

なんかこう、行き場のない変なモヤモヤしたものが、喉や首のあたりにつかえているような感じだ。

 

、、、と、ここで、ふっと閃いた。

 

「あ、このつっかえるような感じは、何かを我慢してるんだな」と。

 

________

 

 

「本当は嫌だけど、我慢してやっていることを、やめる」

 

ここ2、3年、僕が心屋メソッドと出会ってから、ずっと心がけてきたことだ。

 

最初のうちは、わかりやすい「嫌なこと」がたくさんあった。

 

こういう仕事は嫌だ。こんな環境は嫌だ。こういうことを言われるのが嫌だ。こんな感じの人と接するのは嫌だ。あの食べ物は嫌だ。。。

 

こういった、見え見えの「嫌なこと」を、一つずつやめていった(もしくは「それは嫌だ」と表明した)。

 

そりゃあもう、一つクリアするごとに、実に爽快な気分だった。「やってやったゼィ!」って感じで。

 

で、、、そういうのを積み重ねていくうちに、、、、やがて、わかりやすい「嫌なこと」は、ほぼ、身の周りから一掃されていた。

 

それで、、だ。

 

そこまでいったら、僕はもう何も我慢していないのか? 

 

というと、いやいや残念ながら、そうではなかった。

 

実は、そこから先の方が、よほど大変なのである。

 

「嫌なことを我慢してる」と自覚しながらやっている我慢は、自覚している分、まだ、扱いやすい。

 

我慢だと自覚していない、うっすらとした自己抑制の方が、実は、タチが悪い。

 

「人間なんだからそれぐらい当たり前でしょ」「社会人の常識です」などと思っているから、自分を抑えていることに、気づきにくいのである。

 

でも、自覚がないだけで、我慢をしているのは事実なのだ。だから、それを重ねるうちに、自分の中で何か鬱屈としたものが、うっすらと、でも確実に、積もっていく。かえって厄介なのだ。

 

しかも、、、ここで我慢している対象は、もはや、見え見えの「嫌なこと」ではない。

 

「嫌いってわけじゃないよ。好きでもないけど」とか、「どっちかといえば好き、でも、大好きってほどじゃないな」とか、それぐらいの、実に微妙な距離感の相手なのだ。

 

点数をつけるなら、68点とか、74点とか、そんな感じ。悪くはない。及第と言えなくもない。でも、まあ、どうだかね、、っていうぐらい。

 

「我慢」などという大げさな言葉を当てはめるのは、ちょっとはばかられる。でも、「大好きではない」のである。

 

そういう、微妙にイマイチな対象を、「まあいいか、これぐらいなら」っていう感じで、受け入れる、、、

 

、、、という、そこに、実にかすかな「我慢」が潜んでいるわけだ。

 

___________

 

 

冒頭に紹介した夜、そのライブで奏でられていた音楽が、まさに僕にとって、絶妙に微妙な感じだった。

 

いや、嫌いじゃないのよ。

 

、、ってさ、「いや」という否定形から語り始めてる時点でもう、「大好き」じゃないよね。

 

もちろん、嫌いじゃない。だから、もしあれがライブじゃなくてレストランかバーのBGMという設定だったら、我慢って感じまではならなかったのかもしれない。おしゃべりしながら聞き流していいのだから。

 

でも、そこはライブハウス。しかも、珍しくカミさんの方から「聴きに行こう」と誘ってくれた機会。

 

だから、一応ちゃんと聞く姿勢をとるわけですよ。

 

で、、聞いてみると、、、まあ、嫌いじゃない。

 

だったら、微笑みを浮かべて楽しげ風な時間を過ごすことにしよっか、、と。

 

まあ、、カラダって本当に、あけすけなまでに、正直で。

 

心底楽しかったわけじゃないのに微笑みを浮かべて過ごした時間の分だけ、肩や首の周りが詰まるようにこわばって、モヤモヤした感じになっていた。

 

で、、、まあ、これはもうしゃーないな、というわけで、、

 

はい、カミさんにこう言いました。

 

「今日のライブさ、微妙に、いまいちだったよね」

 

で、、そしたら、笑っちゃうぐらい首の周りがすーっとすっきりしてきた、のでした。。

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

テレビ東京の人気深夜ドラマ、「孤独のグルメ」が、シーズン8に突入するそうだ。

 

深夜ドラマとしてはかなり異例の、ロングランシリーズだという。

 

まださほど注目が集まっていない初期の頃から見てきた僕としては、嬉しい限りである。

 

このドラマ、見どころは山ほどあるけれど、、、

 

健康という観点から、一つ、僕がとても注目、というか、ほとんど“心酔”しているセリフがある。

 

主役のゴローさんが、仕事とかいろいろひとしきりバタバタした後、「さて、飯だ」となった時に出てくる、決めセリフ。

 

「いまのオレは、ナニ腹だ?」

 

肉なのか、魚介なのか、中華なのか、パスタなのか、はたまた餃子なのか? と、自分の内から湧いてくる食の欲求ベクトルを、誤りなく見極めようとして発せられるこの言葉。

 

食を愛し、一つ一つの食の機会を大切にせんする、「食べ物ラブ💕」な気持ち。

 

そう、もしあなたが、真に健康でありたいと願うなら、、、、

 

ものを食べるときは、食に関するあらゆる健康情報に優先して、真っ先にこのセリフを思い浮かべるべきだ。僕はそう思う。

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●●はカラダにいい、▲▲成分が■■病を防ぐ、ダイエットにも有効、肌ツヤが良くなる、認知症を防ぐ、、、

 

テレビの健康番組や雑誌、新聞などでは、連日、こんな形で、さまざまな食べ物が紹介されている。

 

まあ、一つ一つの情報は、それなりの何らかの根拠があって言われているのだろう。

 

だから、そういったお話の中身自体はおおむねその通り、と、まあ、一応そう受け止めるとして、、

 

だが、そこで得られた知識をベースに食生活を構成することが、果たして健康的なのか? と、僕は思うわけだ。

 

昨日のあの番組で、オカラが●●に効くって言ってたから、今夜はオカラづくし!カラダにいいのよ!!

 

、、って、、、食事は、薬ですか? 「何が食べたい」とかは、どうでもいいんでしょうか?
 

 

実際、多くの人が一斉にテレビで紹介された食材を買いに走る、という現象は今でも時おり起きるみたいで、その都度、スーパーなどの店頭から、特定の食材(例えばオカラとか)が売り切れたりする。

 

そんな現象こそ「病んでいる」ように見えるのは、僕だけだろうか?

 

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まあ、、、社会現象のことは一旦横に置くとしよう。

 

個人の行動選択として考えた場合、「いまのオレは、ナニ腹?」を大切にした方がいいと僕が考える理由は、主に二つある。

 

一つ目。

 

食欲は、極めて原始的な欲求である。

 

生き物として、生きていくための成分(エネルギー源、カラダの素材、ビタミンミネラル類、その他諸々)を体内に取り入れるべく沸き出る、本能的な衝動。

 

そこには、「いまカラダに必要なものを取り入れる」という当然のニーズがあり、そのニーズに応えられるシステムを身につけた生き物が、進化の過程で生き残ってきた、はずである。

 

例えば、運動(労働)をしてカラダが疲れた時は、甘いものが欲しくなる。
 

炎天下で汗をたっぷりかいた後は、喉が乾く。と同時に、塩味が濃いものを美味しいと感じる。

いま、カラダが必要なものを、欲する。そしてそれが、美味しい。そんなふうに感じるように、本来、私たちの体はできている。

 

だから、「いまのオレは、ナニ腹?」と自問して、「そうだ、今日は、餃子だ!」っていう衝動が湧いてきたとすれば、、、

 

そこには、餃子から摂取できる何らかの成分を、自分のカラダが求めているはずなのだ。

 

まあ、、100%そうだ、とまではいわない。でも、そういう何かがある、という解釈は、生き物の原理原則に則って、決して的外れではないだろう。

 

だとしたら、「ナニ腹?」という衝動に沿って食べることで、カラダのニーズに合致したものを摂取しやすい、つまりは健康維持に役に立つはずだ。

 

 

二つ目。こちらの方がより現実的な理由だが、、

 

本能的欲求と、知識ベースの方針が、異なっていたとする。

 

まあ、ダイエットしたいと考えた場合などに、よく起きる現象だろう。

 

「食べたい、でも、食べたら太るからダメ」みたいな状況ね。

 

そうなったとき、僕らはしばしば、知識ベースで欲求を押さえ込もうとする。

 

「食べたらダメ」を通そうとするわけだが、、、

 

生存のために身につけた本能的欲求は、そんな簡単に抑え込めるものではない。

 

しばらくの期間、我慢できたとしても、必ず反動がくる。

 

だって、カラダ的には「食べないと死ぬ」って思ってるんだから。抑えるほど、欲求は強まる。

 

そして、どこかで必ず、破綻する。

 

で、、、その破綻が、一時的な「どか食い」という形で現れるぐらいなら、まだいい。それで本能的欲求は満たされ、ココロも落ち着くだろう。

 

でも、それで収まらない場合もある。

 

特に、何らかの事情によって、「ダイエットしなきゃ」的な願望が、自身の存在価値の根拠と強固に結びついてしまった場合は、厄介だ。

 

こちらはこちらで、自分の存在をかけて、欲求を抑えにかかるから。

 

そうなると、、、矛盾する二つの欲求の狭間で、最終的には、拒食、過食、嘔吐といった摂食障害になってしまったりする。

決して特殊な話ではない。今の世の中、この系統の状況に苦しむ人は、驚くほど多い。

 

で、、これは以前、ダイエット指導で評判のある栄養士さんに取材で聞いた話なのだが、、

 

摂食障害の問題を抱えてやってくる人に対する、最初の指導は決まっていて、

 

「何でもいいから、好きなものを食べなさい」なのだそうだ。

 

すると多くの人は、まず「えー、だって●●は体に悪いし、太るし、無理無理」などと答えるという。

 

そして、いわゆるヘルシーな食生活にしがみつこうとする。

 

「これが正解」「あれはダメ」といった「正しい健康情報」に縛られて、頭でっかちになって、「ナニ腹?」が全く見えなくなているのだ。

 

そこを説得して、お菓子でも揚げ物でもジャンクフードでも何でもいいから、とにかく「あれ食べたい」って思ったものを食べる、という路線に乗せる、という。

 

すると、、最初は大抵、「太るからダメ」って我慢していたお菓子やら油物やらに走るのだけれど、、、

 

しばらくすると、「トマトが食べたい」とか、「お魚が美味しい」とか言いだすそうだ。

 

そうやって、自分の中の「食べたい」「美味しい」を思い出すことができれば、問題は自然と、解決に向かうという。


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食に関する健康情報そのものが悪いとは、僕も思っていない。

 

でも、ものには優先順位がある。

 

「食べる」という生き物の最も根源的な行為において、一番の拠り所は、本能だ。知識は、あくまで参考に過ぎない。

 

「今のオレは、ナニ腹?」


さて、、今日の晩飯は、何にするかな。

 

「胃」は何をする臓器? って聞かれたら、たいていの人がきっと「食べ物を消化するところ」って答えると思う。

 

もちろん、それで正解だ。

 

では、この質問はどうだろう。

 

「胃は、いつ働いてるの?」

 

これ、自然に考えるなら、「食べ物を消化するのが仕事なんだから、当然、食べたあとに働くんでしょ?」という答えを思いつくだろう。

 

この答えも、もちろん間違いではない、、、けれど、それだけでは、ちょっと足りない。

 

実は、一番大事な仕事が、抜け落ちている。

 

胃が最も活発に働くのは、実は「空腹時」。食事のあとよりも、お腹が空っぽのときに、一番働いているのだ。

 

そして、この空腹時のお仕事こそが、健康な胃腸を保つために、とても大切な役割を担っているのである。

 

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胃の収縮は電気生理的な現象なので、お腹に電極を貼り付けて電気シグナルを測れば、収縮の強さがわかるという。

 

それによると、胃は24時間休みなく、だいたい3分に1回ぐらいの周期で収縮している。

 

ちなみに心臓の収縮は、1分に60〜70回。それに比べたらはるかにスローペースだが、絶え間なくリズミックに収縮するという意味では、胃と心臓の働きぶりは、案外似ている。

 

もっとも、胃の動きは、普段はごく微弱。しかもこんなにスローペースなので、手を当てれば拍動を感じられる心臓と違って、胃の動きをリアルに感知することは難しい。

 

でも、実は心臓のように、休みなく脈動し続けているのだ。

 

そして、食事をして食べ物が入ってくると、収縮がグワッと強くなる。それによって内容物を粉砕し、消化・吸収を図るのだ。

 

砕かれた食べ物は、幽門という胃の出口を通って、順次、十二指腸→小腸へと流れていく。

 

食べたものが全部流れ出るのにかかる時間は、だいたい3〜5時間(食事の量や中身によって大きく違う)。その間、胃は強い収縮を継続する。そして胃がカラになれば、胃の収縮はいったんおさまる。。というのが、食事に伴う胃の収縮の概要である。

 

 

さて、、、本題はここからだ。

 

胃がカラになってからさらに70〜80分後。

 

微弱だった胃の収縮が、おもむろに、再び強まり始める。

 

空っぽなのに、強烈な収縮が始まるのだ。

 

収縮はぐんぐん強さを増し、やがて、消化のための食後の収縮を上回る、強い収縮活動が現れる。

 

そんな強烈な収縮が、通常、5〜10分ほど続く。収縮の波は胃の区間を超え、腸管全域にまで及ぶという。

 

これが、「空腹期強収縮」と呼ばれる現象だ。

 

いったい、何をしているのか。

 

これは、消化管の大掃除作用だという。

 

強く収縮することで、粘膜にこびりついた食物の残渣や、古くなった粘膜のカスを削ぎ落とし、便として体の外へ排出するのだ。

 

それで粘膜や組織の新陳代謝を促し、胃腸の健康を守っている、と考えられる。

 

胃が空っぽのとき、カラダはそんなことをやっているのである。

 

「空腹期強収縮」は、空腹状態が続けば、その後も90分に一度ぐらいの周期で現れる。

 

このとき、消化管の中でよくガスが動いて、お腹がぐーっと鳴る。あの音を恥ずかしいと感じる人もいるようだが、あれは胃腸が一生懸命に掃除をしている証し。あなたの健康を守るための働き、なのだ。

 

もしグーっと鳴る音に気づいたら、できれば、「頑張ってるね、ありがとう」と声をかけてあげてほしい。

 

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さて、1日の中で、「空腹期強収縮」が起きるのは、いつか?

 

日中は、食事の間の時間が短い。収縮は、食間にせいぜい1、2回。インタバルが短ければ一度も起きないかもしれない。

 

一方、睡眠中はものを食べないので、空腹状態が長く続く。一晩の睡眠中、4〜6回ぐらいは起きると考えられる。

 

つまり、一般に空腹期強収縮は、夜間によく起きる現象なのだ。眠っている間のカラダメンテナンスの一環と理解して、ほぼ差し支えないだろう。

 

ところが、、、である。

 

もしあなたが、夜、床に着く直前までものを食べていて、胃に食べ物が詰まった状態で眠ったとする。

 

睡眠中は、通常の消化作用があまり進まない。だから、胃の中は朝まで食べ物が詰まったままになる。

 

そうなると、睡眠中に「空腹期強収縮」が全く起きないまま、朝になってしまうのだ。

 

すると、どうなるか。

 

これは、多くの人が実際に経験していると思う。飲み会などで深夜まで飲み食いをしてそのまま寝ると、翌朝、カラダがズシーンと重くて、お腹がムカムカして、食欲が全くない、そんな状態だ。

 

大抵の人はそれをアルコールの作用、つまり「二日酔い」と考えているが(まあそういう側面も多分にあるだろうが)、それだけではなく、あの不快な胃もたれ感には、就寝中の「空腹期強収縮」ができなかったことも、かなり加担しているのである。

 

夜間の胃腸の大掃除を実現するためには、寝るときに「胃の中が空っぽ」になっていることが、不可欠なのだ。

 

よく、ダイエットのコツとして「寝る前3時間は、ものを食べない」なんて言われる。

 

これは実は、痩せるコツ、にとどまらない。睡眠時の空腹期強収縮を誘導して元気な胃腸を保つための極意なのである。

 

寝るときは、胃を空っぽに。

 

 

、、、ただ、まあ、そうはいっても、いろいろ付き合いもあるし、どうしても遅くまで飲み食いすることもある。

 

そんなときはどうするか。

 

答えは単純。

 

翌朝、お腹が空くまで、何も食べないこと。

 

朝ごはん、なんなら昼ごはんもパスすることになるかもしれない。でも、前日たっぷり食べてるし、そもそも人間は、(健康な大人であれば)半日〜1日ぐらい食事を抜いて、栄養失調になることはない。
 

消化作用が進んで胃が空になり、そのあと空腹期強収縮が起きて胃腸の大掃除が進む。そのあたりまで行けば、自然に食欲も湧いてくるだろう。

 

「お腹が空いた」と感じてから、食べる。

 

お腹が空くまでは、食べない。

 

これが、胃腸の大掃除作用を最大限に活用するためのポイントだ。

 

ぜひ、心がけてみよう。