【「本当の自分」と出会う半年間の旅】

 

TSEマスタープログラム6ヶ月コースが、12日からスタートしました。




 

まず前半は、VRP 1st 。これまで自分を守ってきた思考パターン=「仮面」を見つけるプロセス。
 

そして後半はTSE。魂からの「表現」を通じて、”本当の自分”を見つけていきます。
 

ん? 本当の自分って、何?
 

______
 

僕は40代前半ぐらいまで、自分探しとか、自己啓発とか、そういう類のお話は大っ嫌いだった。

そんなのは自分に自信が持てない、弱っちい連中がやることだ。自分には関係ない。
 

不遜にも、そんなふうに思ってた。
 

つまりは、自分はこれでやっていくんだ、やれるんだ、という確信や自信を持っているつもりだった。
 

46歳で出版社を辞めてフリーランスの物書きになったのは、まさにその「やりたいこと」を実現するため。

自分の人生をかけて、会社員の立場じゃ書けないことを本にするんだ、と思っていた。


 

だけど、、


 

約1年がかりで、初めて一人で書き下ろしの本を書き上げたとき。




 

やり遂げた、という達成感の裏で、実は微かに、自分が抱いていた”自信”なるものがぐらつき始めたのを、感じていた。

 

自分が世に出そうとしているこの本は、心底、自分が世に伝えたい、後世に残したい、と言えるものなのか?

 

とても、そうは思えなかった。

 

すごい頑張って書き上げたのは事実だけれど。

 

何に向かって頑張っていたのか、と考えるなら。。

 

名を残したい欲とか。
 

専門家筋の方々の目に触れても恥ずかしくない内容にしなきゃ、という”正解志向”とか。
 

論理的に破綻しないことばかり考えて、いろんなファクトを繋ぎ合わせて帳尻合わせに終始したような構成。。
 

結局、、書いている途中から、自分は何を目指してこの努力をしているのかが、わからなくなっていた。



 

そして、、、そこから10年ぐらい、フリーランスのライターとしてそれなりに頑張っていたんだけれど。

 

だんだん、原稿を書こうとしてパソコンに向かうと、ひどい頭痛に苛まされるようになった。
 

体が、原稿を書くことを、拒否している。そんな感じだった。


 

本当にやりたいことが、あったはずなんだ。会社を辞めるほどの熱量が、あったのだから。
 

それがいつの間にか、帳尻合わせにすり替わってしまった。
 

そして、自分がやっていることが、くだらないものにしか思えなくなっていた。。

 

______
 

そこからさらに数年後、コロナが明けた頃に、僕はVRPと出会います。
 

音声心理学。声に含まれる成分を波形にとって、そこから、自分の心の状態を読み解いていくアプローチ。





 

自分の思考を縛り付けていたいろんなクセやらエゴやらブロックが、次々と浮き彫りになりました。
 

そして、そういった心の中の雑音が取り除かれていった奥に、、、
 

徐々に、”本当はこんなふうにありたい”という、自分の本心の輪郭が、浮かび上がってきたのです


 

で、、そうした経緯を踏まえて、、

 

今では僕は、VRP 1stプログラムのファシリテーターとして、また音声心理士として、音声心理学を伝える側に立つようになりました。
 

人が、自分の魂の声とつながっていくことを、サポートしたい。

 

今は本気で、そう思っています。

 

今期のプログラム参加者は、総勢65人。9月まで続きます。

 

どんな旅路になるか、楽しみ。


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今日は3月9日。

レミオロメンの名曲『3月9日』を、歌ってみました。
 



この歌、以前から大好きで、ライブでもときどき歌ってるんですが。


最近、この歌の歌詞に、改めて、いいなぁ、深いなぁ、って感じ入っています。


特にグッとくるのが、1番の、サビのところ。

_______

瞳を閉じれば あなたが

まぶたの裏に いることで

どれほど 強くなれたでしょう

あなたにとって私も そうでありたい
______________

3行目までで、「あなた」への想い、感謝の気持ちを重ねたあと、4行目に「私もそうでありたい」とつながるところが、本当に素敵だなーって思います。


  ◇  ◇  ◇  ◇


以前、声診断の師匠である中島由美子先生に、セッションをしてもらったとき。

僕の声の波形を見た先生から、こんなふうに言われたことが、あるんです。

「まーくんは、人の天命を見出して、応援する役割の人ですね」

波形に現れた僕の特性は、そんな役割に向いている、というお話だった。




ただ、、、正直、そう言われたその時は、「は?」って反応しか、出てこなかった。

人を応援する役割? なんですかそれは? チアリーダーですか?

いやまあもちろん、チアリーダーも応援団も、立派な役割だとは思う、、けど、、

自分がそういう活動に向いてるとは、全然、全く、思えない。やりたいと思ったこともない。自分の中からは、そんな反応しか出てこなかった。



ただ、、、妙に、その言葉が印象に残ったのも事実で。

なので、、自分の中に、「応援するって、どういうことだろう?」というテーマが、その時に設置されたのだと思う。

応援団みたいに「フレーフレー」って声援を送るのは、わかりやすい「応援」の例だとして。

そういうのとは一見違うけど、人を応援するとか、力を送る営み、というのがあるかもしれない。

もしかしたら、そういうところに、自分の適性とか、天職的なものが見出せるかもしれない。そんなことを考え始めた。




で、つい数日前のこと。

『3月9日』の歌詞に出てくるこの言葉こそ、、「応援」の本質じゃないか、って思ったんです。


_______

瞳を閉じれば あなたが

まぶたの裏に いることで

どれほど 強くなれたでしょう

あなたにとって私も そうでありたい
______________


この「あなた」は、私に向かって声援を送ってるわけじゃない。

単に、この人なりに、誠実に、日々を暮らしていたんだと思います。

そんな姿や、佇まいが、「私」の瞳の裏側に、焼き付けられている。

そして、その姿や佇まいを思い起こすことで、私は強くなれる、つまり、力が湧いてくる、という。

さらには、「私もそんなふうになりたい」という思いさえ、相手の中に巻き起こさせる。そんな影響力。




自分自身、この歌のように、誰かの存在が自分の力になっている、と感じることは、ままあります。

親やカミさん、信頼する友人や知人、先輩などの存在。

さらには、人間以外の存在、太陽や月、空、雲、木々、風などから、「力をいただいている」と感じることもあります。

それは、何なのか。




そのレベルまで考えていくと、、これはもう、「存在」の中に、応援というエッセンスが含まれている、ということだと思うんですね。

自分が自分らしく生きること。それだけで、その影響力で、人の力になっている。そんな境地。




実は、自分が、声診断のセッションをやっていて、一番うまくいったときって、まさに、そんな感じなんですよ。

アドバイスや謎解きをバシバシ投げかけるわけではなくて。

むしろ、ただ淡々と、話を聞いている、ときどき、質問するぐらい。

その流れの中で、、クライアントさんが、どんどん自分で、気づいていく。




それをどういう現象と捉えたらいいのか、今までなかなかいい言葉が見つからなかったんですが。

この『3月9日』に謳われているこの部分がそれなのか、って思ったら、すごく、なるほど〜〜〜✨✨✨✨って思ったんです。

「瞳を閉じれば、まぶたの裏にいます」というその状態こそが、究極の「応援」なんだな、って思いました。






うーーん、何言ってるか、伝わるかな。


少しでも伝わると嬉しいな。






 

最近の僕の音楽活動は、歌モノがメインになってきています。

以前はギターインストばっかりだったんですが、、
今は、歌いたくて仕方がない。オリジナルの歌も、徐々に増えてきています。

そして、ついに。


3/28(土)歌と語りのひとりライブをやります。


場所は、西新橋のロジカフェ。こじんまりとした、アットホームなライブカフェです。
地下鉄内幸町駅から徒歩1分。JRなら新橋駅から7分ぐらい。とっても便利のいいところです。

15:40オープン。16時スタート。チャージ3000円。

詳しくは、こちら(僕の個人サイト)やこちら(Facebookイベントページ)をご覧ください。
 

 

 

こんな歌を歌ってます。

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どうして歌がメインになってきたのか?

それは、歌の方が、インストより、僕の気持ちや想いが伝わりやすい、と思うからです。

こんなことを伝えたい、というメッセージが、自分の中でクリアになってきた、ということでもあります。




僕は、今までの人生、どちらかというと、いろんなことを、すごく頑張ってやってきました。

学生時代だったら、勉強。会社員の時は、仕事。

その後、フリーランスのライターになってからも、すごく頑張っていろんな仕事をこなしてきた。

そして、ギタリストとしても、いい演奏をしようと思って、頑張って練習してきた。

そうやって頑張ってきたから、これだけの仕事ができた、こんないい演奏ができた、という自負心もあります。




だけど、この歳になってみると、ちょっと頑張る方向が違ってたかな?、なんて思うようにもなってきて。

頑張ること自体は美徳だとしても、、、、

「頑張らなきゃダメだ」って自分を見張ることは、必ずしも美徳じゃない。むしろ、それが人生を苦しく、生きづらいものにしていく。

そこまで頑張らなくてもいいよ、自分を大切にしようよ、ということを、表現したいと思うようになったんですね。

で、、、そういうメッセージを音楽で伝えようと思ったら、、、

歌うのがいいな、って思ったんです。




歌は、肉声で歌います。だから、感情や個性、人生観など、いろんなものが、そのまんまにじみでます。

「頑張らなくてもいいよ」って、心の底からから思ってる人が歌えば、そういう波長が、やっぱり出てくると思うんです。

それが、歌の面白いところ。

もちろん、楽器の演奏にも個性は出ます。でも、それ以上に、テクニックという側面の比重がとても大きい。

ギターの演奏を聴いて、「ああ、うまいなぁ」と感じることはあっても、「そうか、頑張らなくてもいいのか」っていう感想は、なかなか出てこないと思うんですよ。




僕が若者だった当時のバブルの時代なんかと比べたら、今の世の中はずいぶん、「ゆるむ」とか「力を抜く」ことが大事、って言われるようになってきています。

そういう考え方が、ずいぶん浸透してきた。

だからみんな、頭では、「頑張らなくていいんだよ」「力を抜いていい」って、わかってる。

だけど、、頭でわかってても、体は相変わらず頑張ったり、緊張したり。

身についた心のくせは、頭で考えるだけでは、そうそう変わりません。

わかっちゃいるけど、やめられない。わかるだけで心まで変えられるなら、苦労はしない。



だけど、、、歌(声)は、そこに働きかけていると思うんですよ。

それがまた、歌の、面白いところ。



ということで。

28日のライブに先立って。



3/14(土・ホワイトデー)16時〜から、Facebookでオンラインライブをやります。


URLはこちらです。こちらは無料。30〜40分ぐらいの予定です。

よかったらこっちにも、聞きにきてくださいね〜






 

昔から、「空気を読む」という言葉が、嫌いだった。

 

人の目を気にしながら、卑屈に生きてるイメージ。そんなのはイヤだ、と思ってた。

 

自分はそんな生き方はしない。俺はマイペースで、やりたいように生きるんだ。実際、そうしてるつもりだった。

 

だけど、、

 

VRPを受講して、初めて声診断を受けたとき。

 

担当の音声心理士から、こう言われた。

 

「まーくんは、いい人になろうとして、空気読みすぎです」

 

は?

 

自分では、そんな自覚は、全くない。

 

でも、波形にはそう出ているという。

 

うそぉ?、と思ったけれど、、

 

「最近ストレスに感じた出来事」とか「苦手な人とのやりとり」とか、そういう場面を思い返しながらいろいろ話を聞いてもらうと、、
 

なるほど、、確かに自分は、人目を気にしているようだ。だから、これをストレスを感じるのか。

そう納得せざるを得ない証拠が、いろいろと、出てきた。

 

まじかぁ。。

 

頭で思うセルフイメージと、実際の振る舞いが、全くかけ離れてた。

 

むしろ、、自分がそこ(空気を読む)に引きづられているからこそ、その言葉に反感を感じていたのか。。

 

たぶん、単なるアドバイスでは、聞く耳を持てなかったと思う。自分が空気を読んでるなんて、1ミリも、自覚してなかったから。

 

VRP(声診断)を受けたからこそ気づけた、現実の自分の姿。
 

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声から、自分の内面と向き合っていくアプローチの大人気講座、「VRP(Voie Revolution Program)」
 

次回は10月スタート。

 

音声心理学考案者の中島由美子先生による無料セミナーが開催されます。

 

声診断(プチ体験版)が受けられます。



 

10月スタートのVRP(Voice Revolution Program)newファースト8期で、全体のファシリテーターをすることになった。


日本声診断協会主催の人気セミナー。2ヶ月にわたるプログラム全体の進行・統括役だ。


ひとつ前の7期(今年の4〜5月)までは、イチ受講生として参加していたので、、、


一気に天地がひっくり返る感じだ。なんとまあ、びっくりである。


とはいえ、、一人で、ではない。これまでもVRP関連イベントなどでファシリ役をよく勤めていた、プロ司会者で音声心理士の、めいめい(澁谷芽依さん)とペアだ。

 

 

なので、不安は全然ない。困ったらめいめいに頼ればいいんだし。むしろ、楽しみがとても大きい。


で、、、せっかく自分が大役を仰せつかったことでもあるし。


できれば、この講座を必要としている多くの人に、受講してもらえたら嬉しいな、と思っている。


VRPは、「声」を糸口に、自分の心と向き合う講座だ。


声に含まれる成分を、円グラフのような波形にすると、、そこに、その人の心の特徴が現れる。


例えばこんなふうに、波の強いところと弱いところがまだらになっている。






そこから、その人の心の「強み」とか、「心の動きのクセ」などを読み解いていくわけだ。




『人生を好転させる 声のみがき方』(中島由美子著 ビジネス社)より

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自分の心と向き合うセミナーは、世の中にたくさんある。僕も、VRPに参加する前から、いろんなセミナーに参加した。


そういう自分の経験を踏まえて、一つ、とても力説したいことがある。


いろいろなセミナー等で学べば、心の仕組みとか、自分の心のクセとか、そういうことは、徐々に、わかってくる。


母親との関係がどうだとか、インナーチャイルドがどうだとか。


感謝が大事だ、嫌なことは結局自分が引き寄せてるんだ、など、そういう見方も、一通り頭に入っていて。


だけど、、、日々の暮らしのストレスはなかなか減らないんだなぁ、あの人の声をきくと相変わらず腹立つんだよなぁ、と。


そんなふうに、なっていないだろうか?


僕はかつて、まさに、そんな状態だった。


たいていのことは、言葉では説明できる。わかってる。皆まで言うな、俺はわかってるんだから。


だけど、、、現実の生きづらさとか、自分の心の中の”邪悪さ”とか、そういう部分は、ほとんど変わってない。


こうすればいいはずだ、という知識は増えたけれど、、、自分の内面は、本質的には、ほとんど変化してない。


そう、そんな人にこそ、VRP、そして声診断を体験して欲しい、と僕は思う。


なぜならば、「どうしてそれ以上変われないか」、その理由を、声の波形が見せてくれるから。


人間は、学べば学ぶほど、「物ごととはこれこれこういうものだ」と森羅万象を理解する枠組みを、自らの脳内に構築していく。そういう生き物である。


その枠組みに沿って、あらゆる事象を解釈し、判断し、優先順位を定めて、自分の行動を決める。感情さえも、その枠組みをベースにわき起こってくる(ここは怒るところだ、とか)。


そんな「枠組み思考」が、人類=ホモ・サピエンスの知能を支える基本構造だ。


人生経験を積めば積むほど、「こんな時はこうすればいい」という経験知が、脳内に形成されていく。


ただ、、、そこには一つ、盲点があって。


そうやって自ら作り上げてきた「枠組み」を使って物事を判断するので、、


枠組み自体の偏りや、盲点に気づくのは、ものすごく難しいのだ。


よく言われるのは、コップに水が半分入っているのを見て、どう捉えるか、という心理実験。


「まだ半分ある」と感じる人と、「もう半分しかない」と感じる人がいる、という。


これ、、ぶっちゃけて言ってしまえば、どちらも「偏見」である。事実は、「半分ある」だ。それ以上でもそれ以下でもない。


だけど、、、人間は、どっちかの色をつけたがる。それが人間の脳の特性なのだ。


古典的な進化論風に解釈するなら、もしかしたら、野生環境でホモ・サピエンスが生存競争を生き抜くうえでは、そういう”偏見”を付与する思考の性質が、なんらかのアドバンテージを持っていたのかもしれない。


だから、人間の脳は、そんなふうに考えたがる性質を身につけた。


ただ、、それゆえに、自分の思考に付着した偏りに自分で気がつくのが、非常に難しいのである。


例えば、心理学的なことをいろいろ学んで、”気づき”もいろいろと重ねてきた人がいるとしよう。


まあ、断言してもいい。その人の脳の中では、「気づきってこういうものだ」というパターンが、出来上がっているに違いない。


だから、そのパターンから外れる思考のくせには、自力ではまず、気づけないのだ。


自分の経験に照らしてみよう。


心の勉強を始めてから、僕は、自分の心の中に、さまざまな「思考ぐせ」を見つけた。


ずいぶんといろんな癖を見つけ、気づきを重ねた、と自分では思っていた。


だけど、、、今振り返ってみると、


当時の僕が見つけた”気付き”は、自分の思考の中の「決めつけ」や「先入観」、例えば「男なんだからこうするものだ」「お金っていうのはこういうものだ」、といったパターンを見つけることばかりだった。そういうタイプの気づきばかりに限定されていた。


まあ、「先入観」を一つずつ外していければ、人生はだんだん自由になっていく。それは間違いないだろう。


ただ、、、思考のくせは、「決めつけ」や「先入観」だけではない。それ以外にも、実に、いろんな思考のくせがあるのだ。


何かを選ぶときに、人と同じものを選ぶクセ。(人と違うものを選ぶ人もいる)


「みんな一緒、みんな平等」を優先したがるくせ。


人の意見や成果をつい低く見たり、嫉妬するクセ。


効率や結果から逆算してうまくいきそうなのを選ぶくせ。(逆に、結果よりある種の美意識を踏まえているものを偏愛する癖もある)


自分が犠牲になっておけば大抵うまくいく、と考えたがるくせ。


わかってほしい、認めてほしいと、自分の頑張りをひけらかしたがるくせ。

 

 

私はこんなに大変なんだかわいそうなんだと、つい不幸や不満を訴えたがるくせ。


これぐらい貢献したんだからこれぐらいやってくれて当然だろ、などと計算して行動を選ぶくせ。


、、、などなどなど。まあ、挙げていけばきりがない。


そんなふうに限りなくいろいろなパターンあるうち、自分が「気付きってのはこういうものだ」と認識できているのは、ごく一部に過ぎない。それ以外は、問題の存在にさえ気づくのが、難しい。そういうものだ。


心と向き合うとか、人間関係をうまくやるとか、人生を好転させるとか、そんなお題目でいろんなことを学んできた人ほど、実は、こういう「気づきとはこういうものだ」パターンにハマっていることが多い、と僕は思う。


そういう人にこそ、VRPや声診断を受けてほしいのである。

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声を波形にすると、自分の心の働きを、「波形」という客観的な形で、見ることができる。


自分ではかなり円満な人格だ、と思っていたとしても、波形を見たら、めちゃ偏ってたりする。


しかも、「どう偏ってるか」にまつわる解説を聞いてみると、、いちいち納得せざるを得ないところをついてくる。


なんでそんなことまでわかるの?っていうことが、波形に現れてくるのだ。


それはもう、びっくりなのだ。降参するしかない、のだ。


お試しでもいいから、どんな世界なのか、のぞいてみてほしいのだ。

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10月開講のVRP(Voie Revolution Program)8期に向けて。


声診断考案者の中島由美子先生による無料セミナーが開催されます。

https://koeshindan.jp/clp/koeshindantaiken/



声診断、そして音声心理学の世界をちょっと覗いてみる、絶好の機会。


ぜひ、多くの方に、体験していただきたいです。






 

今日は、「もの書き」としての自分のこれまでの経緯を、振り返ってみたいと思います。


今から30数年前の1992年、僕はとある出版社に就職しました。


職場は、医療系の雑誌の編集部。名刺には「記者」という肩書きがついていました。


お医者さんが読む雑誌でした。全国を飛び回り、医療系の学会や、医学部の研究者に取材をして、バリバリ記事を書いていました。


この頃は、目の前の仕事をこなすことが全て。自分は何をやりたいのか? とか、そういう大局的なことを考える余裕は、なかったように思います。


数年後、今度は市販の健康雑誌へ異動になります。名刺の肩書は記者のままでしたが、実質の仕事内容は、「編集者」になりました。


編集者は、誌面づくり工程の仕切り役です。ライター、カメラマン、イラストレーター、デザイナー、その他さまざまなエキスパートたちに仕事を依頼し、調整し、取りまとめ、誌面という一つの世界を作り上げていく。


とても面白い仕事でした。ただ、人間関係のいろんな機微とか、交渉術とか、そういうところに神経を使うことも多かった。
個人的には、「書く」という記者時代からの仕事も楽しいと感じていたので、いろいろやりくりして、”自分が書く”ページも確保したりしていました。


さらに数年後、今度は「デスク(副編集長)」になりました。編集部のチーフ格です。やりがいも増えましたが、、面倒なことも増えました。特に、社内の他部署(広告部門とか、販売部門とか)とのやりとりは、僕にとって非常にストレスでした。


自分で執筆する機会は、ほとんどなくなりました。たぶんそれで、ブログを書き始めたのだと思います。2000年台の前半?半ば?ぐらいからだと思います。
当時のブログタイトルは「健康誌デスク、ときどきギタリスト」。


デスクを7、8年?やって、心を病みました。それで、もっとシンプルに、「書く」に集中したいと思い、会社を早期退職してフリーランスのライターになりました。退職したのが2009年です。


この頃には、「自分は、本当は何をしたいんだろう?」というようなことを、ずいぶん考えていたように思います。


健康雑誌は、「こうすれば健康になりますよ」という情報を、読者に届けます。
読者は、健康になりたい人。つまり、今は健康じゃないと思っているわけです。
そういう人が、もし最高の健康情報を手に入れて本当に健康になったら、もう健康雑誌を買わなくなります。


つまり理論的には、素晴らしい情報を提供するほど、雑誌の読者が減る。という矛盾。


そんな構造の中で、自分たちの仕事の意義を、どう納得すればいいのだろう?


僕にとってはけっこう深刻な命題でしたが、こういう議論に真剣に付き合ってくれる同僚は、あまりいませんでした。


会社を辞めたあと、1年半ぐらい一人でコツコツ執筆して、「カラダの声をきく健康学」という本を書き上げました。知り合いのつてで、岩波書店の編集者さんが興味を持ってくれて、出版にこぎつけました。
(※今でもアマゾンで出てきます)


当時の自分が頭を絞りに絞って考えた、「本当に大切な健康情報って何?」という問いへの、自分なりの答えを詰めました。


出版できて、めちゃ嬉しかったです。でも、ほとんど売れませんでした。


2年後には、2冊目の著書「スゴイカラダ」が出版されました。これは雑誌の連載をまとめたもの。
体の臓器や組織などの働きを、それぞれの専門家にインタビューして語ってもらうという、かなりストレートなお勉強系記事だったのですが、読者からの人気はなかなかに高いという、名物連載でした。
書いていて、とても楽しかったという印象が残っています。


でも、こっちの本も、期待したほどには売れなかった。


いま、この2冊の本を読み返してみると、当時の自分の心の奥底に、焦りのような気持ちとか、功名心的な野心とか、そういういろんな気持ちが渦巻いていたことを感じます。
そういう”邪心”が邪魔をして、本の核心となるテーマに真っ直ぐ向き合いきれていないような、、かなり勿体無い感じに見えます。


そういう”まっしぐらじゃない感じ”が混ざった本は、売れません。自分も編集者の端くれですから、それぐらいはわかります。


だけど、当時の自分が懸命に書いた本は、残念ながら、まっしぐらにはなっていなかった。


本自体のテーマは、かなり面白いところをついていると、今でも思います。だから、うまくやればもっといい本が書けたと思う。
だけど、肝心の自分自身が、そこに向かってまっしぐらになりきれていなかった。


そして、、2017〜18年頃、僕は正体不明の頭痛に悩まされるようになります。


仕事で、執筆しようとしてパソコンを開くと、、目の奥がズーーんと重苦しく焼けるように痛くなって、、


しんどくて、仕事ができないのです。


まっしぐらじゃない、ってことは、どこかで自分に嘘をついている、ということです。


本当にやりたいと思ってるわけじゃないことを、我慢してやっている。そういう心理が、動機の中に紛れ込んでいる。


そんな状態に、体の方が、耐えられなくなったのでしょう。


結果として、仕事量は徐々に減っていき、、、コロナ禍以降、僕は、職業ライターとしての仕事を、ほとんどやっていません。


で、、、同時に、ブログの執筆も、ずいぶん下火になっていたんです。


だけど、、、書きたい、という気持ちは、ずーっとあったんですよ。


それで、、去年の暮れ、音声心理士になったあたりをきっかけに、もう一度、ぼちぼちと、書き始めた。


ブログを通じて、音声診断や、VRP講座の動員をしたい、という気持ちもありますけれど、、


それ以上に。


かつて、出版社勤務の記者や編集者、そして職業ライターとして執筆していた当時は結局実現できなかった、

「自分が本当に書きたいこと、大切だと思うことを、書く」という作業に、今度こそ、取り組みたい、


そんな気持ちがあるんです。


今日のこの記事は、そういう自分の気持ちにけじめをつけるために、書かせていただきました。


ありがとうございました。





 

「〇〇すると、願いが叶う」的なお話を、ときどき目にします。


「引き寄せの法則」などと呼ばれるようなタイプのお話。


まあ、どちらかというと”怪しげ”なトピックの部類(スピ系、とか)に入るお話です。


僕は個人的には、そういうのは実際あるだろうと思っています。
自分のこれまで経験や、見聞きしてきた出来事に照らして、いわゆる「運のいい人」はこんなことをやってる、というのは、実際、あると思うから。


幸運を呼び込む習慣。願いが叶うための、行動。


トイレを掃除するとか。よく言われますよね。


あの大谷翔平選手も、高校生の頃に作った曼荼羅チャートに、最高の選手になるための要素の一つとして「運がいい」という項目を入れ、自分がそうなるための実践として、挨拶するとか、ゴミを拾うとか、そういうのを心がけてきたらしいですよね。


そういうことに、本当にまっすぐに取り組んできた人に、運は、必ず味方する。


それがどういうメカニズムで働いているのか、は知らんけど。笑


だから、引き寄せの法則とか、開運術とか、そういう現象を引き起こすなんらかの”力学”は、実際に世の中や人の心を動かしているのだろう、と。
僕はそんなふうに思っています。


ただ、、ですね。


それはいいとして、、実際に世の中で、いろいろな方が語る「引き寄せの法則」的なお話を見たとき。


正直、あまり共感する気になれないケースも、少なくないのです。


書かれていることの”効力”は、まあ、そうなのかもしれないけれど。


語られている内容を、なぜだか、心から喜ばしい、素敵なこととして受け取る気に、なれない。


そんなふうに感じることが、案外、多いのです。


それはどうしてなのだろう? というのが、個人的に、ずーっと謎だったのですが。


最近、なんとなく、その理由が見えてきました。


「夢を叶える」「願いを実現する」などと語られるとき、その「夢」や「願い」が、単に自分の「欲しい欲しい」願望に終始する視点でしか語られていないと、、


あまり素敵な話のような気がしないのです。


一方で、、、一次願望としては「〇〇が欲しい」「〇〇になりたい」といった自分の願いの形だけれども、、


その向こう側に、「それで子供たちに夢を与えたい」とか、「出会う人みんなをハッピーにしたい」とか、そういう感じの、「ギブしたい」気持ちが、ナチュラルに繋がってあふれて感じられる場合は、、


ああ、素敵な話だなぁ、応援したいなぁ、、という気持ちが、自分の中にも湧いてくる。そんな気がするのです。


で、、ここで大切なポイントは、「ナチュラルに」というところで。


なんかこう、、「みんなをハッピーにしたい」のような利他的な願いだったとしても、、まるで道徳の教科書のような、「こうすることが善行=正解です」みたいな杓子定規感(きれいごとな感じ)を纏ってたりすると、、

それはそれでまた、なんだかなぁ、嘘くさいなぁ、、みたいに感じてしまったりする。これ、本音じゃないよな、と。


いやまあ、こんなふうに書くと、「あんた何さま?」って突っ込まれそうで、ほんとごめん、って思いながら書いてるんですけどね。


自分は、何をやりたいんだろう? 何が欲しいんだろう? っていう「夢」とか「願い」が、、


本音の言葉でありながら、、その向こう側に、人の幸せとか、より豊かな未来とか、、


何かしらそういう「何か(誰か)のために私を使いたい」のようなアンセルフィッシュなビジョンと、ナチュラルに、繋がっている、


そんな夢を描く人に、自分はなりたいな、と。


そう、そんなふうに本心から願える人になれたらいいな、なりたいな、と、僕はそう思っているのです、きっと。


そういう人に、私はなりたい。宮沢賢治的です。


例えば、なんでも鑑定団の鑑定士で知られる北原照久さんは、ものすごいおもちゃコレクターですけど、自分の収集欲を満たすためだけに集めてるわけじゃないですよね、おそらく。


集めたものを私設のおもちゃ博物館などに展示して、多くの人に見てもらって、それを通じて、世の中の人たちの心を豊かに、明るくしたい、とか。
たぶんそんな感じのことを、心の底から、ナチュラルに、大真面目に、夢見てきた。


だからこそ、あれだけのコレクションが、彼の元に集まったんじゃないか、と。


まあ、こういうのって、ご本人の中ではあまりにナチュラルに根付いているから、さほど強く語られない場合も多いのですが。


語る言葉や、身が放つ雰囲気などを感じてみると、どんなベクトルの願いでその方が動いているのかは、なんとなく見当がつくものです。


ちょっと自分の話をしますね。


僕は一時期、相当高額なギター(主にビンテージのGibson)を、何本も所有していました。


だけど、ここ2、3年で、ずいぶん手放しました。いわば断捨離モード。


高額で、レア物で、いい音だから所有したい、そんな動機で入手したものは、数年間所有して弾きまくったら、もうそろそろいいか、みたいな気がしてきて、結局、手放したんです。


だけど、これは手放したくない、って思って手元に残っている楽器や、断捨離モードの中で去年新たに入手した楽器もある。


これらの楽器は、、「この音色でこんな音楽を表現したい」「それによって聞く人がこんなふうに(幸せとか、癒しとか)なったらいいな」というところまで、イメージが繋がってるような気がするんですよ。


そういう世界を実現するために、自分の手元にやってきてくれた楽器。そんな気がしています。


どうせ引き寄せるなら、そこまで繋がった夢を、引き寄せたいのです。



 

今年は、セミが少ない。


うちのマンションの敷地内は、かなり樹木が多い。すぐ裏にはトレッキングコース付きの自然公園もあって、虫とか鳥とかヘビ、リス、ハクビシンなど、いろんな生き物がかなり身近なところにいっぱいいる。


セミも、例年なら今頃はもう、かなり激しいことになっているはず。


だけど、、今年は、本当に、静か。


特に、関東の夏では最も目立つ存在といえるミンミンゼミの声を、まだ一度も聞いてなかった。


今日の昼、ようやく、初ミンミンを耳にしました。




ああ、やっと夏、って感じだ。



 

このところ、ヒマな隙間時間があると、youtubeで料理動画を見てることが多い。


は? 料理? って思うだろうか?


まあ、半分は実用目的です。


僕は我が家のランチ担当なので(夕食はカミさん担当。朝は食べない)、ほぼ毎日、2人分のお昼ご飯を作っている。


だから、いろんなレシピを仕入れる人油に迫られて、料理動画を見るようになった。


推しの料理 youtuberは、りゅうじさん。
 

 




この人の動画は本当に面白くてね。


最近はもう、実用性を越えて、単に面白い見ものとして、見てます。笑


電子レンジとか味の素とかガンガン使うので、無理っていう人もいるんだろうとおもいますが。


僕も、そういうのはダメだ、って思ってた時期もあるので、最初はちょっと抵抗あった。


けど、最近は、まあうまいからいいじゃん、って思うようになった。
 

 

料理は体に入るものだから、理想を追求すれば、こうした方がいいとか、こういうものは排除したい、などの条件はいろいろとあると思う。それは否定しない。


だけど、外食や調理済み食品への依存を脱して、自分の手で楽しく作るために、ある程度の手軽さを追求することは、あっていいと思っている。実際、僕はそういう発想になれたおかげで、毎日のランチを楽しく作っている。



さらにそれが高じて、、、


今や、料理動画を趣味のように(エンタメとして)見ている。


人生、面白いものだよねー。


「自分はこんな人間だから」みたいな枠が外れるほど、面白いことが増えていく。
 

 

土曜日、友達の宅で、ホームパーティー?飲み会? 楽しい催しがありました。

江ノ島を臨むビーチに面したマンション。

我が家からはバスで30分もかからないぐらいの距離。



屋上にはなんとプールが!



はい、こんな仲間が集まりました。

VRPで、声と心の関係を一緒に学んでいる皆さまです。

まず近所のスーパーで買い出し。





お飲み物はやっぱり、江ノ島ビールでしょ。





で、、、飲んで食べて、おしゃべりの後、、本番はここから。

仲間の一人が、「臨床美術士」という資格をお持ちで。

パステル画などのアート表現を通じて、認知症の予防を図る、という活動とのことです。



彼女のガイダンスで、集まったみんなが、「さつまいも」のパステル画に挑戦してみました。

はい、僕もそろそろ物忘れとか気になるお年頃ですから(笑)



描く段取りがすごく面白くてね。


中の様子とか、重さの分布とか、そういうのをイメージしながら、内部から描いていく。


内部から描く? まあ、そんなふうに説明されても、意味わかんないよねー(笑)


描いている途中の写真があれば、多少はイメージできたんだろうけど、、


夢中で描いてたので、途中の写真は、残ってないんですよ(笑)


悪しからずご了承ください。


出来上がりが、こちら。





ね??なかなか、、いい感じだと思いませんか?


3人、描いてみました。




みんなそれぞれ味わい深くて、それぞれの個性が反映されてて、、、めっちゃ面白かった。


そのあとはまた、飲んで食べて、夕暮れ時まで楽しく過ごしました。




ありがとうございました〜