ちょっと時間が経ってしまったけれど、、
今月の初め、久しぶりに伊勢神宮に行ってきた。
一泊二日。初日に外宮、2日目の朝に内宮、という、ゆったりした行程。
ありがたいことに天気にも恵まれ、すごくいい時間を過ごすことができた。
初日
2日目
この2日目で、とても興味深い体験(体感)があった。
砂利の参道を歩いていたとき。
ふと、、、頭の中が急に、シーーーーンと静まり返って、、
砂利の上を自分が歩く、ざっざっざっ、という足音だけが、スーーっとクリアに聞こえてきたのだ。
えっ、なに?、っと思って、耳をすましたら、、
今度は、森の中を風が抜ける音が聞こえてきた。
そして、森に住む、鳥たちの音。
普段はほとんど聞こえていないこんな環境音が、鮮明に、包み込むように、自分の体内に入ってきた。
うおぉぉぉ、、、なんだこれは。めちゃくちゃ気持ちいいじゃないか。
そのままゆっくりと歩を進めると、、橋があった。
石段を上る。タンタンタン、と足が石を打つ音が響く。
橋の上は板張りだ。木を踏み締める、キシキシっという響き。
そして、水流の上まで歩を進めると、、、
足の下をサワサワサワサワと流れる清流の瑞々しい音色が、耳元で囁くように、聞こえてきた。
えーーっ、なにこれ?
ここは、こんな豊かな音の世界だったのか。
清流の上でしばしたたずむ。サラサラ、チョロチョロと絶え間なく響く流れの音が心地よく、いくらでも飽きることなく聞いていられる。
向こうの森で、何か鳥が鳴いている。風が吹き抜けて、森の木がサワサワとそよぐ。
心の中が、どんどん静まり返っていく。絶え間ない自然の音の中の、静寂。
あーーなんて気持ちがいいんだ。今までお伊勢さん、何度も来たけれど、こんな体感は初めてだ。
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こういう音、どうして今まで聞こえなかったんだろう?
疑問だったんだけど、、帰ってきて何日か経ったある日、答えがわかった。
普段、僕はずーーっと、頭の中で一人で何かをつぶやいているんだ。
ぶつぶつぶつぶつ、、延々と。
それは、周りに見える景色や行き交う人たちの姿に関する解釈(主に不満)だったり、やらなきゃいけないけどまだ手をつけられずにいる業務に関するあれやこれやの言い訳だったり、未来に対する勝手な妄想だったりするのだけれど、、
頭の中にはたいてい、何かの言葉が流れている。
そして僕は、その自分でつぶやいた言葉をずーっと聞いている。つまり、独り言と対話している。
その対話に意識が向けば向くほど、周りで聞こえるリアルな音は、耳に入らない。
せっかくいい音が周りにあっても、聞こえていない。自分の世界に閉じこもっている。
そして、、これ、実は、お伊勢さんだけの話じゃない。
自分が普段暮らしている、家の周りの環境でも、耳をすませば、実はすごく豊かな音に包まれていたりする。
まあ、流石にバス通りの脇とかでは、うるさいだけだけど。
ちょっとした公園とか、並木のある小道、畑のそばなどで耳を開くと、、、いろんな音が、聞こえてくる。
でも、、頭の中でつぶやいていると、、聞こえない。
これは、要するに、「今を生きる」ってこういうことなんだろう。
今ここに立ち返って、イマココの音に耳をすませば、自分の周りはこんなに豊かなんだ、って気がつく。
今ここを離れて過去や未来の妄想にハマっていると、その豊かさが、見えない。聞こえない。
そんな感覚を思い出させてくれた、今回のお伊勢参りだったのでした。