若き親友への手紙
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君はレスポンスしているだろうか。

朝の挨拶、

すれ違ったときの挨拶、

エレベーターで

乗り合わせたときの挨拶。

 

そういった挨拶が

きちんとできないで

どんな仕事ができるのだろう。

 

どんな評価よりも、

無反応、無視は

最も最低の評価に違いない。

 

それと同じように、

ひと様からなにかをしていただいたとき、

それにレスポンスしないことほど

無礼非礼はない。

 

君は、

挨拶を返しているだろうか。

 

君は、

メールを返しているだろうか。

 

君は、

君がしていただいている

すべてのことに

レスポンスしているだろうか。

 

君自身が

レスポンスしないでいて、

君がひと様にレスポンスを求めるのは

筋違いだ。

 

あらゆる仕事は

レスポンスだと僕は思う。

 

お客様へのレスポンス、

マーケットへのレスポンス、

時代へのレスポンス。

 

そして、

明日の君への

レスポンスを忘れないでいて

いただきたいものだ。

「妹」よ。

RakeさんのHP企画・制作を
プロデュースさせていただいてから、
詞というものに改めて関心を抱くようになっている。
 
シンガーソングライターのRakeさんだから
当然作詞もRakeさん自らがなされるいる。
 
Rakeさんは希代のメロディメーカーだが、
その詞が、さらにダントツに素晴らしい。
 
これから、Rakeさんはどんどんメジャーに
なられていくことは確実だが、
聴き込んでいったときにその詞の力で
聴くひとのこころを動かしていくそのパワーは
近頃のミュージシャンのなかでも
One of the Bestだろう。
 
まだ、聴いておられない方がいらしたら、
ほんとうにぜひ聴いていただきたい。
http://www.rake.jp/discography/
 
 
さて、
僕がレスペクトするミュージシャンに
かぐや姫がある。
 
そのかぐや姫の「妹」という名曲を
気がつくとなぜか僕は最近
口ずさんでいることが多かったりする。
 
著作権の関係で、
その詞をそのまま引用することはできないが、
明日の朝、お嫁にいってしまう妹について
その兄が切々と語る詞だ。
 
その詞のなかで、
妹にいろいろと注文を出す兄の言葉は、
なんど聴いても涙が出てしまうのだが、
エンディング近くで、
お嫁にいってどんなことがあっても
我慢しなさいと言い放つ。
 
その部分だけを取り上げて、
なんという理不尽なことをいうのかと
思うひともいるかもしれないが、
ここからが大切なところだ。
 
最後のフレーズは、
「どうしてもだめだったら
 帰っておいで
 妹よ」
で終わっている。
 
そう、このひと言で、
すべては逆転満塁ホームラン。
 
いや、ちょっと表現が古くさいが、
とにかく、このひと言で
それまでの言葉がどんなに厳しそうに思えても
ぜんぶぜんぶ帳消しだ。
 
だから「妹」は、
最後まで聴かなければならない。
 
父親が亡くなり、
母親も亡くなり、
たったふたりの兄妹の生活も、
明日で終わる。
 
その万感の想いが、
一曲のなかに注がれている。
 
いや、この詞を書かれた
喜多條忠さんも、
曲を作られた南こうせつさんも
ほんとうにほんとうに凄い。
 
ぜんぶぜんぶとか、
ほんとうにほんとうにという
繰り返しの言葉は、
「妹」を聴いていただければ
僕がなぜ使っているか
きっとわかっていただけるだろう。
 
きょうは、横浜であるプロジェクトの
プレゼンテーションを務めてきた。
 
そのあと、日本橋で
あるプロジェクトの
プレゼンシーションを務めさせていただく。
 
僕も、詞ではないが、
言葉で仕事をしている人間のひとり。
 
まだまだ修行が足りない身ではあるが、
まだまだまだまだあきらめずに
頑張っていこうと思う。

恐るべし。

僕がレスペクトする天才アーティストのひとり、

尾崎亜美さんの名曲、『オリビアを聴きながら』を

知らないひとはいないだろう。

 

しかし、大学生の頃

この曲のなかの一節に打ちのめされた

そのトラウマから僕はまだ抜け出せないでいる。

 

「話すことなどなにもない」。

 

「もうかけてこないで」。

 

いや、いくらなんでも、

こんなストレートな拒絶の言葉は、

少なくとも男には口に出せないだろう。

 

いやいや、よくよく考えてみれば、

これは反語であり、

この歌の主人公である女性の本音としては、

「ほんとうは別れたくない」、

「わたしを捨てないで」なのかもしれないが。

 

でも、

「疲れ果てたあなたわたしの幻を愛したの」、

という一節は、

片想いしている側の相手への幻想を

こっぱみじんに打ち砕く言葉だ。

 

まあ、男と女には、

当人同士にしかわかり知れない機微がある。

 

だから、他人が

とやかくいうことはできないし、

そんな資格もあるはずもない。

 

しかししかし、尾崎亜美さんのこの曲を

はじめて聴いてからもう30年以上が過ぎているが、

あのときのショックとインパクトは、

いまもまったく変わらぬままだ。

 

恐るべし。

 

 

さて、この前の日曜日は仙台Zeppで、

Rakeさんの全国ツアー『Wonderfull World』の1stライブ

The beginning』が開催された。

 

雪が舞い散る仙台だったが、

千人を裕に越えるひとたちが

開場を待つ長い列をつくっていた。

 

1階の立ち見席は、

まさに立錐の余地がないという

言葉そのまま。

 

2階の指定席ももちろん満席で、

会場は外の寒さとは異次元の熱気に包まれていた。

 

つばさ1号で仙台に到着し、

朝10時からRakeさんのマネージャーさんをはじめ

スタッフの方々と打ち合わせを終えたあと。

 

僕はまだ誰もいない真っ暗な2階席で、

ひとりRakeさんのリハーサルを見つめていた。

 

そして、いよいよはじまったライブは、

僕の想像以上の

Rakeパフォーマンス炸裂だった。

 

ギタリストで、

ピアニストで、

ボーカリスト。

 

それぞれのRakeさんが

合体したときの

そのパンチとインパクトは

もう見ていただくしかないだろう。

 

なにより、そのステージで

誰よりも激しくギターを弾くRakeさんの

楽しそうな姿に

見ているこちらも楽しくならずにはいられない。

 

5月3日には、東京でのライブが

赤坂BLITZで開催される。

 

いやほんと、恐るべしライブですから。

 

ぜひ!

仙台へ向かうはやぶさの車中で。

僕がレスペクトする天才アーティスト、

松任谷由実さん。

 

その荒井由美時代の名作のひとつに

『冷たい雨』がある。

 

その歌詞のなかで、

恋人と喧嘩した女性が

男の部屋に戻ると、

違う女性の靴があったという一節がある。

 

男と女に喧嘩はつきものだ。

 

それなのに、

ただ喧嘩しただけで、

もう新しい女性を部屋に上げている。

 

これはもう、確信犯というしかない。

 

この男は、前からこの新しい女性と

密かにつきあっていたに違いない。

 

しかし、それはまだ許せる範囲かもしれないが、

喧嘩したというだけで

いきなり新しい女性にスイッチするなんて、

これは許せないというか、そんな男は言語道断だ。

 

ということを、この『冷たい雨』を

はじめて聴いたときからずっと思っていた。

 

いやいや、ユーミンに文句いっているわけでも、

この歌詞を誹謗中傷、酷評しているわけでもない。

 

ただただ、こんなに簡単に

これまでつきあってきた女性との関係を、

たくさんの想い出とかを

捨ててしまう男は許せないと思うだけだ。

 

もちろん、

男と女はその当人同士にしかあずかり知らぬ

さまざまなことがあるのだろうし。

 

他人がとやかくいうものではないだろう。

 

それはわかっているのだが、

やっぱり、この男は許せない。

 

 

さて、きょうは

ずっとHPやソーシャルメディアの企画制作を

手がけさせていただいてきた

Rakeさんのライブで仙台へ。

 

先月、Rakeさんの撮影で、

仙台市街をあちこちロケして回ったことが

いろいろ思い出される。

 

移動中の車中でいろいろお話させていただくなかで、

僕はRakeさんの人柄、人間性に

すっかり魅了されてしまっていた。

 

Rakeさんの名曲『100万回の「I love you」 』は、

すでに150万ダウンロードを突破しているが、

まだまだその数字は伸びていくだろう。

 

150万ダウンロードといえば、

本でいえば150万部突破ということだ。

 

これは凄い数字だが、

それでもまだまだこの曲の存在を

知らないひとのほうが圧倒的だ。

 

ということは、これからこの曲の存在を、

Rakeさんの存在を広く知らしめしていくことで、

もっともっとダウンロード数も伸びて行くに違いない。

 

それは同時に、Rakeさんの曲を聴くことで、

心いやされるひとの数が、

幸せの数が増えていくということだ。

 

もし、まだRakeさんの曲を聴いていないという方がいらしたら

ぜひHPに訪れていただき、視聴していただき、

そしてもちろん、ダウンロードしていただき、

さらにはライブのチケットをご購入いただきたい。

rake.jp 

 

というのが、きょうのブログでの

僕からのお知らせであり、お願いだ。

 

いよいよ全国ツアーもスタートする。

 

ぜひ、ライブ会場へ。

 

僕もライブ会場のどこかで

いっしょにRakeさんを見つめていますから。



寒風吹きすさぶ仙台の港でも、Rakeさんは笑顔を絶やされなかった。 


風邪がどうした。

一年中で、

いちばん寒い季節が

やってきている。

 

凍えるような

この季節のなかで

もっと寒い日々も

やってくるのかもしれない。

 

でも、こんな寒さのなかでも

僕らは風邪をひくわけにはいかない。

 

もしかしたら、

インフルエンザは

仕方ないのかもしれない。

 

いや、それでも、

風邪にも、インフルエンザにも

冒されるわけにはいかないのだ。

 

熱を出して、休んでしまったら、

いままで頑張ってきたその成果や、

そのリズムや、その頑張りも

一端中断してしまうことになる。

 

いや、少なくとも

風邪だから仕方ない、

インフルエンザだから仕方ない、

そんな態度だけは取りたくない。

 

僕らはそれぞれ、

それぞれのステージに日々立っている。

 

そのステージを

代わってくれるひとなどいないし。

 

そのステージを

誰にも

代わってもらうわけにはいかないのだ。

 

そんな気迫と決意と覚悟さえあれば、

決して風邪など引かないはずだ。

 

いや、たとえ風邪をひこうとも、

いやしくも風邪だから仕方ないというような

そんな態度は見たくない。

 

風邪をひいている時間があったら、

僕らにはしなければならないことがある。

 

などというそんな思いでいても、

不覚にも風邪をひいてしまうことは

もちろんある。

 

そして、

風邪をおして頑張っている

そんな君には

どうかお大事にと心からいいたい。

 

風邪をひいてしまったことに

誰よりも忸怩たる思いの君を

僕は頼もしいと思わずにはいられない。

 

まだまだ寒い日がつづく。

 

くれぐれも

風邪には気をつけて。

 

君の人生には、

君以外の代わりは

いないのだから。

 

お断り。

ところで、ご紹介させていただいた

Suicaの駅弁だが、

食欲を満たすという意味では

まったくご推薦はできない。

 

えっ、これで1000円!?というか、

1000円は企画料とリユースできる巾着袋の

お代金に違いない。

 

いや、まずいとかそんなことを

申し上げているのではなく、

1000円でこれだけしかおかずが

はいってないのというのが正直な感想だ。

 

いま、駅弁は世界でいちばん進化したご飯だと

僕は信じて疑わないし、

最もマーケティングを駆使して生まれた

商品のひとつだと断言できる。

 

コンビニとお弁当と駅弁を比べても、

僕は駅弁に一票を投じるだろう。

 

しかし、このSuica弁当は、

僕が親友としばしば訪れる

千葉の超激安スーパー、トライアルさんなら

200円台、いや100円台のお弁当だ。

 

だから、あくまでSuica弁当は、

なんというかキャラクターグッズとして

ご理解いただきたい。

 

だからといってこのSuica弁当の価値を

下げるものではなく、

ポジショニングというか価値軸が違うのだ。

 

で、なにがいちばん申し上げたいかというと、

Suicaの駅弁を食べて期待を裏切られたとは

思わないでいただきたということだ。

 

駅弁Suicaへの期待は、おいしさや

食欲を満足させてくれることへの期待ではなく、

駅の店頭で見つけたときの嬉しさと、

巾着袋をあけるときの期待だ。

 

なんか、

言い訳ばかり申し上げているようだが、

それはあたっている。

 

それでも、駅弁Suica

 

ぜひ!

幸せって。

北に向かった
きょう。

東京では、
朝から雪がちらついていた。

朝いちばん、
九段下のホテルの近くで
打合せ。

この打合せが、
これからの僕のビジネスの
メインストリームのひとつになるかもしれないと
そんな目眩にも似た想いを抱きながら、
1時間の打合せを終えた。

そして、きょうは
仙台である大きなプレゼンテーション。

先週も、先々週も
仙台を訪問した。

そして、きょうの仙台では、
仙台でのこれからを左右する
とんでもなく大切なプレゼンテーションを。

北へ向かう東北新幹線は、
そんな僕の思いを乗せて雪の町を飛ぶように
走りすぎていった。

北へ行くほど雪景色は、
白さを増していったのに、
仙台に近づくと雪も消え、
仙台に到着するとむしろ東京より
あたたかいくらいだった。

そんなことより、
きょうは今年いちばんの感動に
出会った。

新幹線で隣の席に偶然座った方が
食べていた駅弁。

横目でちらっと見た瞬間、
僕の目はもう釘付けだった。

仙台での仕事を終え、
東京駅に戻ってきた僕は
東京駅を走り回ってこの駅弁を探した。

ようやく手に入れた
お代1000円の駅弁は、
今年になっていちばん僕を幸せにしてくれる
そんな存在感を放っていた。

内容はといえば、なんのことはない。

これで1000円かといえば、
いまどき呆れるほどだが、
いや、このお弁当、泣かされます。

この企画力。

この駅弁を手にしたひとを
幸せな気持ちにせずにはおかない
このお弁当。

僕らはもっともっと頑張らなければ。

そう、僕らが
ひとを幸せにすることはできないかも
しれないけれど、
つかの間幸せな気持ちにすることは
きっとできるはず。

そう決意させてくれる、
この駅弁。

ぜひ!



$若き親友への手紙
いやいや、なんともかわいい、Suica弁当。

人生は簡単じゃない。

新しい年がやってきた。

年が明けるというのは、
なんだか寂しいことだ。

やり残したこととか、
思い残したこととか、
出会ったひとのことより
別れてしまったひとのことを
思い出したり。

悔いることばかりが
あれこれ想い浮かんで、
来るべき年のことなど
考えている場合じゃなかったりする。

まあ、ひとそれぞれだろうから、
ひとそれぞれが
それぞれの思いで新しい年を迎えるのだろうが。

僕はといえば、
いつも無念と残念と、
後悔ばかりの新年だったりする。

でも、
そんなことは当たり前なのかもしれないし、
心の内のそんな想いを隠しながら乾杯するからこそ、
それでも新しい年を迎えられたことを
感謝できるに違いない。

今年もまた、数限りない非礼無礼と
直面しなければならないことだろう。

それでも、どこかできっと
自分のことを求めてくれているひとがいるかぎり、
頑張っていこうと思う。

そして、君もまた、
どこかで君のことを応援してくれている
そんなひとがいることを信じて
頑張ってもらいたいと思う。

少なくとも、僕だけは
今年も君のことを応援しているし。

君のことを応援してくれているのは、
僕だけではないだろう。

今年もそんな君のことを
羨ましがりながら
僕も独りやっていこうと思っているから。

人生は簡単ではないけれど、
簡単ではないからこそ、
その難しさを君と今年も楽しんでいければ
これほど楽しいことはない。

クリスマスにやるべきこと。

プロゴルファーを目指す
若き親友のひとりから
風邪だと思って病院にいったら
伝染性のウィルスに冒されて
抗生物質を処方されたと連絡があった。

お大事にとは言ったが、
僕はこう考える。

プロスポーツ選手が、
とりわけこれからステージあがろうとしている選手が、
病気になどなってはいけない。

僕はうちの会社の若いスタッフに、
いつもこう言っている。

病気になんかなるな、
病気になるなら広告屋なんか目指す資格はない。

僕は10年に一度も病気で休んだりしない。

万一病気になるときは、
休みになる前の晩で、
休み明けには治している。

いや、治しているというより、
治ってしまっている。

まして風邪など、
絶対にひいてはいけない。

ウィルスとかなんとか、
それがどうした、
まったく関係ない。

武道館満員のコンサートを
ミュージシャンは
風邪で休めない。

同じことだ

それが同じでない人間は
プロフェッショナルではなく、
ただタイムカードで働くだけのサラリーマンだ、

また、その若き親友が通っている
トレーニングジムで、希望するインストラクターの
予約が取れないともいってきた。

それに対しても、
僕はこれまで
あらかじめ早くから予約を取っておくように、
毎週何曜日の何時からと定例化しておくようにと
何度も何度も同じことをいってきた。

そのトレーニングジムの
看板インストラクターの予約など
当日、前日に取れるわけはないことは
最初からわかりきっていること。

事前に予約しておく、確保しておく。

だからこそ、定例化しておく。

それを怠ってトレーニングできないことくらい、
成り行きまかせの、怠惰なことはない。

自分を中心に世の中は回っていない。

まして、発展途上の人間に合わせてなどくれない。

いつか、チャンピオンになったら
立場は逆転するだろうが、
いまはチャンピオンではないのだから。

このクリスマス、
今夜のクリスマスイブ、
君はなにをしているのだろうか。

ローストチキンを、クリスマスケーキを
焼いてくれるひとがいないなどと
馬鹿げた思いを抱いてはまさかいないだろうか。

君が今夜のクリスマスイブに、
明日のクリスマスに、
明後日からの年の瀬に、
そして年末年始にするべきことは、
たったひとつ。

それはひとに会うことでも、
パーティで乾杯することでも、
友達や家族とゆっくりすることでもない。

30年前、僕はひとりぼっちで
クリスマスイブも、クリスマスも、年末年始も、
コピーを書く勉強をしていた。

いや、ほかのことをすることが
いけないといっているのではない。

クリスマスイブを誰かと過ごそうが、
過ごさまいがそんなことは好きにすればいい。

だが、いま君が最もすべきことは、
乾杯でも、パーティでも、
友達や恋人や家族との会話でもなんでもなく、
練習とトレーニングに違いない。

もし、ひとり孤独なクリスマスイブを、クリスマスを、
未来の自分のために捧げている君がいるなら。

もし、仕事でクリスマスイブも、
クリスマスもなく働いている君がいるなら。

そんな君くらい、
素晴らしいクリスマスイブを、
かけがえのないクリスマスを迎えているひとはないと
僕は断言したい。

そんな君に幸あれと想いながら、
僕は今夜のクリスマスイブを迎えたいと思う。

そして、そんな君を
神さまは決して見逃しはしないから。

今年いっぱいの約束。


いままで君に手紙を書いてきたが、
今年いっぱいでもう手紙を書くのも止めようと思う。

君からの手紙も途絶えて久しいなかで、
僕は僕自身のことに
もう一度集中しようと思うからだ。

なにより、僕が僕の結果を出すことのほうが、
君に手紙を書くよりも
何倍も君の気持ちを動かすことができるだろうと
考えたのだ。

今年、あと何通の手紙を書けるかわからない。

出張で地方に出掛けるのも
一回や二回ではないし、
今月だけでももう四回は地方に出掛けている。

地方などという言葉も、
その地方の方々には失礼かもしれない。

いずれにせよ、僕は僕を求めてくれる方々に
誠心誠意尽くすためにも、
しばらく君に手紙を書くことも控えようと思う。

それに、僕が書くことなど、
君はとうにわかっていることでしかないだろう。

そんなことはわかっているという、
君の顔が思い浮かぶ。

けれど、わかっていることと、
やっていること、できていることは
まったく違う。

いや、そんなことをいっても仕方ない。

僕は僕自身が結果を出すことに集中する。

そのことで、君がなにかを感じ、
なにを考えてくれるかどうかそれはわからない。

でも、聡明な君のこと、
僕は君がかかげているある結果を出すことを
確信してやまない。

これから、年末までに書く手紙は、
君にというより、僕自身に書く手紙になるかもしれない。

もしかしたら、最初から
そう思って書いていればよかったのかもしれない。

でも、済んだことを
とやかくいっても仕方ない。

とにかく、僕は僕の道を歩むということだし、
君は君の道を歩めばいい。

若き親友の君に幸あれ。

僕が君と同じような若者だったとき、
僕のような親友がいてくれたらと
それだけはいまも残念に思わずにはいられない。

だが、君もまたいつか
僕のような親友がいたことを懐かしく、
そして奇跡のようなことと思ってくれるだろうことだけは
僕はいまもこれからも確信はしている。

もちろん、僕だけの
ひとりよがりな想いには
違いないのだが。
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