Inevangelical

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自分の意見を育ててるぶろぐです

自分の意見をきちんと書いてるつもりです
きちんとかんがえて
でも間違ってると思ったら すぐに
すぐに あなたのこたえをおしえてください
4/17をもって完全移転します。
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私がボランティアについて考え始めたのは、
中田正一という人の特集番組を見てからでした。

アフガニスタンを緑に―
そんな考えをきいて当時の私はひどく驚きました。
戦火で荒れ果ててしまったとはいえ、
昔のアフガニスタンは
ぶどう酒原料のぶどうを特産とする、
緑あふれる豊かな農業国だったそうです。

かんがい農業の仕組みなども発達していましたが、
結局戦争でぼろぼろになってしまい、
もうそれどころではないそうです。

中田さんは、死ぬ間際まで夢を捨てませんでした。
地雷原となり危険な地帯を進もうとする中田さんに、現地ガイドは
これ以上は危ない、と止めに入ったそうですが、
「ならば僕が先を歩くから、君は後からついてきなさい」と言ったそうです。

今日本を読んでいて、いきなり中田さんに再会しました。
千葉県の奥山で、「風の学校」を開き
学生に井戸掘りを教えていた中田さん。
また彼の本も読んでみたいと思いました。
そういえば、私は祖母の死をおぼえてはいない。
生きていたことは知っている。
教えてもらったことだって覚えている。
あの優しい手の感触も、まだしっかりと残っている。
ただ、死の記憶だけがどこかへいってしまっているのだ。

葬式の日、私は泣かなかっただろう。
いや、泣いていないはずだ。
あの当時私は5歳程度である。
正直何が起こったのかすら理解できてはいなかっただろう。
ただ、黒服に身を包んだ異様な「大人」たちと、
紺色の服を着せられている私自身の非日常性に
違和感を覚える程度だっただろう。

今思えば、私は残酷な生物だったと思う。
「何も知らないこと」は、ほんとうに恐ろしいことだ。

死ぬことって何だろう。
いつか「無」になることだとささやかれたことがあった。
でもちがうんだ。
無にはならない。
ただ、私の中の、おぼろげな祖母の影は、大きくなるばかりである。
最近JRがひどく遅れます。
あんな事件があってから安全中心の方針に切り替えたはよかったけれど。
35分遅れが当たり前、って。
なんだかいらいらします。
でも事故起こされるよりはましか?

マレーシアに行った時、
列車の発車は2時間遅れていました。
それはお国柄だからよかったのだけれど。

そういえば日本人、
最近せかせかしすぎるなあ
と気づいた春のホームでした。
レスいただいたのでまたここでもレスを返したいと思います。
なんだか皆さん考えてくれているようで
いつもいつも長いレスを返してくれるもので
少し辟易してしまいます。
メイプルさんありがとう。やっぱあんたはワシのヒーローだよ…

そういえば「生きること」について蔑ろにしがちな文章でした。
私の考えが「死ぬ恐怖」に偏っていたせいかもしれません。
そうだよね。
生きて帰ることを考えなきゃ。
死ぬ確率が、とか死ねば世界が、とか言う前に、
生きることにがめつくならなくちゃ。
生まれてきたこと自体が奇跡だもの。
未知生、焉知死。

でも、だからこそ死ぬのが怖いんだけどなあ
最近死ぬことが怖くて怖くて仕方がありません。
ものすごい恐怖です。
それは誰にとってもだろうけど。

春休みのうちに勉強しとこうと思って、
図書館で国際関連の新書を何冊か借りてきましたが
どれもこれも重い。
現実を思い知らされるばかり。

ボランティアに行くからには、
死を覚悟しなければいけない。
だって、危ない場所に限って、
ほんとうに援助を必要としている人たちがいるものだから。
だからって、
むやみやたらと危険な場所へ行くのも
親不孝だと思います。

友達から将来の話を聞かされるたびに
暗い気分になる自分がいます。
前までは子供だってほしいと思ってたし、
結婚だって普通にすると思ってたけど、
子供や夫をそんな危険なところへ
連れてゆくわけにはいかない。

まあ色々葛藤があります。
だれかが行って
たすけなければいけないのはわかっています。
そのために
血が流れることもあるって、わかっています。
でも、自分がその「誰か」になる覚悟が出来ていません。
たとえ自分の死によって世界が変わるとしても。
まだ私にはやり残した事がある。

死ぬ覚悟が出来ません。
ありゃあまちがってます。
今すぐにでも放送をやめるべきだ。
いや、やめなきゃいけない。
まちがってるもの。

私がここまで言うのも、あれがマレーシアだからです。
去年の夏マレーシアへ行ってきましたが、
そのとき見たパーム林が、あれ、だからです。

パーム(油やし)の林を作るには、まず原生林を切り崩さなきゃいけない。
その時点で生態系を壊すわけです。
パームってのは周囲を大きく開けて木の間隔をあけないと
ちゃんと育たないわけで、しかもあんなにおおきいからものすごく場所をとります。
そののち変な草は生えるしってことで
雑草よけにまた変な薬をまくわけです。
マレーシアではいまだに井戸水をつかって生活している村が多いんですが、
ある村ではパームやしの農園が近くに出来てから
井戸水の水質が変化して、頭を洗っても髪の毛がぱさぱさしたりして
水が使えなくなったそうです。
それはなぜか。
農園で多量にまかれた除草剤が、地下深くへしみこみ
井戸の源流へと混入してしまうからです。
そんなこんなでマレーシアではこのパーム農園がかなり問題視されているんです。

でも忘れないでほしいのは、
ここまでしてパームやしを量産するからには、そこに需要がある、ということ。
そしてその需要を支えるのは、日本でもあるということ。

なにが「環境にやさしい洗剤」だよ。
変なイメージ植え付けてんじゃねえよ。
ほんとうに環境にやさしくしたいなら、もっと
現地の人々のことを考えてあげるべきだ。
私の声は、企業には届かないかもしれないけれど。
あなたは、きちんと考えて選んでくれますよね?
最近ランキング落ち始めてますが…
意見の更新が遅れていたこともありますが、
私の意見の内容に中身がなくなってきたことも関係あるのかもしれません。
そんなことを心に留めつつ、もう一度気合いを入れて意見をつづってゆきたいと思います。
今日は最近の心のテーマである
「経済と利己」のトピックからひとつ。

さて、このたび私はJICAで行われたワークに参加してきまして、
難民問題などの視点から平和について考えてきました。
詳しくはこちら
はっきりいってもう難しすぎですよ。
なに言ってるのかさっぱりわかんない。
でも荒波にもまれるというか…
一度暴風雨に身を浸すと周りのことがよく見えるようになります。
みんなに色々教えてもらったしね!!
やっぱり参加する人は大学生とか、そういう方面に興味のある人が多く、
難民問題にかけては様々な問題や議論が飛び交いました。
快感…!!←変態やわ!!
でもすごいですよ。なんかもう場の雰囲気がすごい。
そこここで熱い議論が交わされるアカデミックな雰囲気。
もうほんとうに快感以外の何者でもないですよ。

さて雑談が続いてしまいましたが…
私がこのイベントに参加して勉強して、
難民問題について気づいたことがあります。
それは、今まで関係していると認識していた
経済と環境問題が、実は紛争や民族対立とも深く関わっているということです。
シエラレオネでは、ダイヤ交易によって経済力をつけた
反政府派組織が、国をひっくり返そうとして紛争が起こっている、
ということを学びましたが、
私は、人間の利己を具現化したもの=経済 と考えます。
だってみんな自分の利益しか考えてないもん。
自分の利益ばっかり考えるから他の人を傷つけるんでしょ?
環境問題だって。
だけど、それと同時に、他人の利己によって運命を翻弄される人々がいることも知りました。
最後に出てきた、アフガニスタンの問題なんか、あれは完全に先進諸国の問題です。
冷戦の代理役者になってる。朝鮮半島然り、ですね。

主催者の話から、「新しい戦争と古い戦争」の考えを知りました。
なんだか、最近の戦争は内戦が多いそうです。
目的も、土地の獲得やイデオロギーから、アイデンティティーの確立へと。
「私たちは何者か」を問う戦争だ
と聞いたとき、ああ、痛いなあ…とおもいました。
やっぱりみんな見失ってってるんだ。きっと。

今回の会議で出会い、ともに意見を交わした仲間は、
中身のある素敵な人ばかりでした。
すごく考えてて、すごく意見も言えて。
もう一度あんな場を持てることが理想だなあと私は思います。
なんだか怖いニュースを見ました。
ある地方都市の名医が、
人工呼吸器を取り外して患者を死なせたそうですね。
母親は
「こんなもの、いつまでも昏睡状態で病室占領されてちゃまずい、って考えたからはずしたんだろう、追求されて当然。」
といっていましたが、私はそうは思いませんでした。
目覚めもしないのに、
ただからだが生きているからというだけで
生かされ続けている患者。
本人の意思はそりゃ一人ひとり違うだろうけれど、
宙ぶらりんの状態でずっと生きているよりは
いっそのこと自然に死なせてやろうと思う家族だって、絶対いるはずです。
それでも、死なせてあげられないんですか。
厳しい条件付でも安楽死を認めている国家はあります。

ただ、今回の件は、
家族の同意があったかどうかが微妙なので、
なんともいえませんが…
塾で(モニターに映る講師の授業を決められた校舎で受けるんですが)
前の人が使った後のモニターのヘッドフォンの音量が馬鹿でかくて驚きました。
どんだけ耳悪いんだよ!!って。

ああ、あと、友達からききましたが、
電車で(普通電車で!)向かいの席に座った人間が電車の騒音がものすごいにもかかわらず
めっちゃクリアに聞こえてくるほどの音漏れ音量でMDをきいていたそうです。
てかそれよりもそんなに音漏れするヘッドフォンてのがどんなものか知りたいですが。

しかしその友人もだいぶ耳が悪いらしく
(私たちは放送部に所属しているのですが)
放送室のスピーカーの音もかなりの音量にして音楽を聞いています。

最近耳だけでなく目もわるい人間が目立ちます。
かく言う私も視力はかなり悪いほうです。
この現象について十分に納得のいく考えも提案もないのですが、
ただひとつ思うことは、
人間は自分の体以外の「武器」の発達によって、急速に弱体化しているのではないか、ということです
エアコンで常に快適な温度に保たれた部屋は体温調節機能を弱め、
見やすく明るくみせられた画面は見る力を奪ってゆきます。
次は聴力か。

最近考える力も失われていっている気がします。
他人の迷惑を考えない行動。
もしかしたらそれは、ひとつの原因にキカイの発達があったのかもしれません