Inevangelical -2ページ目

Inevangelical

自分の意見を育ててるぶろぐです

疑うことは大事
その
定義を疑うことは大事
日々を疑うことは大事
平和を疑うことは大事
だけど
疑うことは危険
怖い
ひとり
でも
疑ってゆくんだ
疑うことで見えてくる現実もあるんだ
生ぬるい湯に浸かっていては駄目なんだ
毎日 つらくても毎日
何もかもを一度 目を閉じたら
まず
今日一日を
疑うことが大事なんだ
へええ、という感じです、
今日久しぶりに図書館へ行きました。
そこでずっと読みたかった本二冊に出合うことが出来ました。
1.沈黙の春/レイチェルカーソン
2.大学院へ行こう/藤倉雅之(あっ、先輩!…内輪ネタ)

①のほうはその道を目指すものとしてぜひ読んでおきたかったのですが
色々問題がありまして。うれしかったですが今日はとりあえづ②についてふれながら話をしたいと思います

親が両方とも勉強したいと話します。
父親はサラリーマンで職を転々とし今5つ目の会社なんですが
今日日本の雇用の現実とかも聞きました。
どこの会社でも勤務時間外労働とか普通に行われてて
でも何もいえないそうです。
「昔のほうがひどかったんだ」なんて。
趣味はバンドをすることで、いつかニューオーリンズに留学するんだ、といっています
母親はある専門職についてますが
「やっぱり臨床心理士のほうがむいてたのかなあ」なんていって
大学に行きたいと夢を語ります

でも二人とも今の状態じゃどうしようもない。
だって私たち兄弟の養育費がかかるもの。
自立したいさ、でもまだそんな力ないです
だから甘えてばっかじゃいけない。はやく前を向かなくちゃ。

さて、「大学院へ行こう」ですが、これをどうして読もうと思ったのかというと、
例の母親の勧めがあったからです。
本自体を勧めてくれたわけではないんですが、
「あんたは大学院へ行きなさい」と。
大学で乾燥地帯について勉強してから院で本格的な研究をしなさい、と。
まあ自分の将来はじぶんできめるものだとはおもいますが
とりあえづそれで院について興味がわいてきたので、このまえの危険な遊びのときに
(また内輪ネタですが)本屋さんで見つけて読みたくなってたんです。
よんでみたら(完全に読みきってはないんですが)
いままでもやもやとしか理解していなかった院の内部がなんとなくわかってきました。
いいですね。

今日はなんだか教育を受けられるありがたみについて
しみじみと考えさせられました。
学生の本分は勉強だーなんていって勉強優先で考えさせてもらえて、
なにひとつ心配することもなくぬくぬくと育ってゆきます。
結局のところ今時の若い人たちが「夢がない」なんてぼやき始めるのは
文化の飽食状態においてのハングリー精神のなさからだと思うんです
(わたしもだけれど。というか夢がぼんやりしてるんです)
そんなんで大丈夫なのかなあ。

今回のテーマ設定に教育を持ち出しましたが
今日の午前中に受けた模試の問題に
「お金がすべてだ!という考え方を否定する作文をかきなさい」という問題があり、
ああ、そうかあお金が世の中を動かしてるからだめになってくのかな
なんて考えたのでそれもテーマにと思ったのですが、
どうもこのスペースで教育からここまでつなげるのは無理そうなので。
また今度機会があったら語ります。
最近の心のテーマは「お金のまわす世界=経済と利己」ですね、なんだか。
見ましたか皆さんリーセントレス
長いレスを感謝します
つっても何も言い返せないんですねえこれが(苦笑
まあ元は
何も考えない自分を律するために作ったブログですからね
今のところはこれでよかったんじゃないかと。
でもまあ衝撃でしたさすが穴熊さんというか。
勝てないねぇ

マレーシアに行っていろんな話を聞くうちに
世の中のすべては相互につながって
断ち切ることの出来ないもので、
中途半端な理解と対策が結局
すべてを狂わせてしまうということを知りました。
判りにくい言い回しですがようは
「問題の解決のためには根底からの理解が必要だ」
ということです。(環境問題とか特にね)
生兵法は怪我の元。(っていうcoolな歌が昔ありましたが
それを判っていたはずなのにという…
まあそんなわけで
そんな自分への反省をこめて
これからはお手軽ジャーナルで済ましてはいけないなという
姿勢から、
調べものサイトを作りました。
まあかなりのろのろとした更新になると思いますが…
symposiumのアーカイブ、データベースサイト
としても活用してゆきたいと思います
まあお暇なときに指差して笑ってくださいよ…

調べてみよう。

小6の子が、火事のとき下の子を助けて
死んだ
そうですね

えらいよ

きっとむだじゃなかったさ
たくさん残したんだよ
たくさん さ
おじいちゃん おばあちゃん おかあさんは
そうさ もうずっといっしょにいられるじゃないか

兄弟は
君が助けた兄弟は大きくなるよ
たくさんの事を見て 大きくなるよ
そうしたら
きっとまた おねえちゃんみたいな人をめざすよ
君の背中は
いろんなひとの心に焼きついたよ

わたしにもさ

がんばれ。



今日ニュースを見て知りました。
去年の末中国吉林省のほうで工場の爆発があり、
河川に大量の有害物質
(ベンゼン、ニトロベンゼンなど;一定量以上摂取すると死にいたる)
が流れ出したそうです。
それがなんと川を伝って海に流出し
樺太の北のほうから流れ流れて北海道の方まで到達するおそれがあるそうです。
隣接するロシアのほうではもうすでに河川が汚染されたりしているそうで、
川下のほうではパニックも発生したそうです。
でも、本当に怖いのは、凍った川が溶けて、閉じ込められていた有害物質が再び流れ始めてから。
しかも中国では度々河川汚染が問題になっており、ロシアの手による水質調査がなされたにもかかわらず
中国には浄水場の設置された町は依然少ないそうです。

こんなケースは前にも一度聞いたことがあります、大気汚染とか。(確か入試の時熱く語りました:笑)
環境問題は今、国単位ではなく地球規模で考えていかなければいけないんだ、ということが言われ始めていますが、中国は経済発展のためにすこし利己的になりすぎています。アメリカだって。
この前の先輩の話では、「ああいう国は自分たちの利益最優先だから、経済的なコントロールを加えないと環境問題は解決しない」とありましたが、本来ならばそういうこと抜きで環境を考えていかねばならないはずです。



今日帰りしなに電車の中で久しぶりにジベタリアンを見ました。
鎮座、ですね、もう何様かと問いたくなりました。
なんだかスカートの中ケータイで写されそうになったし。
しかも窓の外覗いてただけで
(ほら、電車の窓って外が薄暗くなったら微妙に中側が映るじゃないですか)
「あいつ俺のケータイ見やがった」とか
お前は子供かよ!!と。だれが好んでお前のケータイなんか覗くかよ・・・
しかも近づいてきた親父に舌打ちしてました
確かもうひげ生えてたぞ・・・

もうひとつ。
同じクラスの人と話をしましたが、
おもしろい(?)経験についての話を聞きました。
友人が普通電車の席に座っていて、隣の席がひとつ空いていたんです。
その席をめぐって、二人の女の人が座ろうとしたんですが、
片方はもう片方に舌打ちされて席を譲ってしまったそうです。
結局舌打ちされて席を譲ったほうの女の人は、
私の友人に席を譲られたので、舌打ちした奴の隣に座ることになったわけですが。
いい気味だ、そんなちょっとしたことで舌打ちすんのがいけねぇんだよ
なんて言ってたマイクラスメイトはぱっと見かっこいい顔をしています。
だから本人は気づいてないかもしれないけどさ
その状況聞く限りではその女はあんたの隣に座ることを求めてたんだよ
…って、それを理解している私はもっといいきみーと思ったのでした。
でも、恥じらいを忘れちまったのかい?日本女子!!

なんなんでしょう、学校の課題図書で
頭の弱くなってしまった現代人を嘆く本を読みました。
たしかに、
今の人たち・・・っていうのは、境界線があいまいになってるのかな
なんて、痛感した電車でした。
この二日間ほどすきでmaroon5をずっと聞いています。
なんなんだ、急に。
(前まで嫌いだったんだよ)
おしゃれな外国映画の挿入歌といわれれば
確かにそんな気もして。
聞けるようになりました、まあ
私はくるりとか
ある意味「幼稚」なロックを好んで聞いてたんで
ああ、そういえば日本の音楽には
色気が足りないなあ
とか意味不明なこと思ったりしました。
でもまあ色気を出そうと思えば
自動的に粘着質な声になるわけで
それがとっつきにくい原因でも
あったわけですが。
でもその意味では
スネオヘアーは素敵に物憂げな声だなあ、と。
NO.1のでだしとか聞いてごらんよ、
もういちころ(死語)だよ。
耳元でささやくような声。
だけどそういえば
最近聞いてる歌手ってマドンナとか
東京事変とか
妖しい系(?)のひとばかり。
ああ、慣れたのかなあ
なんて妙に納得。
でもマドンナのマテリアルガール
好きだったので借りてみたら
恐ろしい歌詞でした。
カラオケでは歌えねぇよ。
やっぱり私は
東京事変であっても透明人間とか
そんなポップな曲が似合ってるのかなぁ、
なんて。
結局色気なんて無縁だったんだよ。
まあ、たまにはいいですね。
昨日の「キメラ」ですが、こんな記事を見つけました。

キメラ実験

これって本当に危険なんじゃないですか?
部室で見つけた生物の教科書をぺらぺらとめくっていたら、
ヒトES細胞についての記事を見つけました。
なんだか実際もよくわかっていないのですが
なんの細胞にでもなれる細胞で…ということはなんとなくわかりました。
「キメラ」という言葉も調べてみましたがよくわかりませんでした。

少し前のことですが国語の授業で
「クローンとサイボーグ」についての話を聞き、大きな影響を受けました。
アメリカや様々なキリスト教中心の国ぐにではクローン研究について大きな反論があがっている。
それは「人間は神様の作ったもの」という考え方が浸透しているからであって、
神様の作ったものを壊してはいけないという観点からの発言である。
その点ではわりあいにサイボーグ研究というものは推進されていて、
将来メカニカルな改造人間が出来上がるかもしれない。
というものでした。
その文章の最後にはこうも書かれています。
しかし考えてほしい、
クローン人間はたしかに「同じ人間が二人になる」という事実があるが、
完全に同じには育たないのである、なぜなら、生後なされる教育は変わるものだし、
新しく生まれたほうの個体は元の個体にはなかった才能などを目覚めさせる可能性もある。
しかしサイボーグ人間はどうだろうか?
機械化されはるかに強くなった腕は、心をも変えてしまう。強いものが勝つ世界になってしまう。
そんなこともあって私の考えはクローン賛成派に傾いていました。
でも。
生物の教科書にはもっと厳しいことが書かれていました。
誕生したクローンを、オリジナルの治療に使うことも考えられる、ということです。
つまり、疾病しているオリジナルのドナーとして、クローンをつくる、という考え方です。

人間は神様に近づきすぎてしまった。
クローンもサイボーグも、なるようになるのだろう、技術の進歩は止められないから。
でも、私は思います。
そんなことを続けていて、神様の境地に到達してしまったとき
足元が崩れて真っ先にしっぺ返しを食らうのは自分たちなんだ、って。
それだけの覚悟はあるのか。


報道ステーションの特集見ました。
強く恐怖を感じました。
久しぶりの感覚だ。
自分が生きていること自体から問われる感覚。

厚生労働省は今月、
全国各地に今も点在するハンセン病療養施設に
保管されている胎児標本114体をすべて
「焼却・埋葬」するように指示を出したそうです。
(でも文面をみる限りでは「破棄」といっているに近いものを感じました)

ここでは様々な観点から、
番組で公開された内容を詳しく伝えることはしないでおこうと思いますが、
自分の子供を胎児標本にされた方が
そのときの恐ろしい体験談をことこまかに語っていました。
もう何十年もたつのに…

私が彼らの心を完全に知ることなんかできないし、
知りたくても本当にそれは無理です。
ただなんとなくこんな気持ちだったんだ…と想像するだけで。
でもただ私は、悲しかった。
よくわからないけれど、
人間をモノと同じように扱うことの出来た人間に。
だけれど私だって、死んでしまえば「モノ」になってしまうんだ。
それが無性に恐ろしかったです。