部室で見つけた生物の教科書をぺらぺらとめくっていたら、
ヒトES細胞についての記事を見つけました。
なんだか実際もよくわかっていないのですが
なんの細胞にでもなれる細胞で…ということはなんとなくわかりました。
「キメラ」という言葉も調べてみましたがよくわかりませんでした。
少し前のことですが国語の授業で
「クローンとサイボーグ」についての話を聞き、大きな影響を受けました。
アメリカや様々なキリスト教中心の国ぐにではクローン研究について大きな反論があがっている。
それは「人間は神様の作ったもの」という考え方が浸透しているからであって、
神様の作ったものを壊してはいけないという観点からの発言である。
その点ではわりあいにサイボーグ研究というものは推進されていて、
将来メカニカルな改造人間が出来上がるかもしれない。
というものでした。
その文章の最後にはこうも書かれています。
しかし考えてほしい、
クローン人間はたしかに「同じ人間が二人になる」という事実があるが、
完全に同じには育たないのである、なぜなら、生後なされる教育は変わるものだし、
新しく生まれたほうの個体は元の個体にはなかった才能などを目覚めさせる可能性もある。
しかしサイボーグ人間はどうだろうか?
機械化されはるかに強くなった腕は、心をも変えてしまう。強いものが勝つ世界になってしまう。
そんなこともあって私の考えはクローン賛成派に傾いていました。
でも。
生物の教科書にはもっと厳しいことが書かれていました。
誕生したクローンを、オリジナルの治療に使うことも考えられる、ということです。
つまり、疾病しているオリジナルのドナーとして、クローンをつくる、という考え方です。
人間は神様に近づきすぎてしまった。
クローンもサイボーグも、なるようになるのだろう、技術の進歩は止められないから。
でも、私は思います。
そんなことを続けていて、神様の境地に到達してしまったとき
足元が崩れて真っ先にしっぺ返しを食らうのは自分たちなんだ、って。
それだけの覚悟はあるのか。