覚悟と国際協力③:祖母の死 | Inevangelical

Inevangelical

自分の意見を育ててるぶろぐです

そういえば、私は祖母の死をおぼえてはいない。
生きていたことは知っている。
教えてもらったことだって覚えている。
あの優しい手の感触も、まだしっかりと残っている。
ただ、死の記憶だけがどこかへいってしまっているのだ。

葬式の日、私は泣かなかっただろう。
いや、泣いていないはずだ。
あの当時私は5歳程度である。
正直何が起こったのかすら理解できてはいなかっただろう。
ただ、黒服に身を包んだ異様な「大人」たちと、
紺色の服を着せられている私自身の非日常性に
違和感を覚える程度だっただろう。

今思えば、私は残酷な生物だったと思う。
「何も知らないこと」は、ほんとうに恐ろしいことだ。

死ぬことって何だろう。
いつか「無」になることだとささやかれたことがあった。
でもちがうんだ。
無にはならない。
ただ、私の中の、おぼろげな祖母の影は、大きくなるばかりである。