動物は進化しますが、人間社会もまた、進化すると言われています。
卑近な例ですが、たとえば私が20代のとき、
「言わなくても察してよ!!」
なんてことが、当たり前に言われていました。
今そんなことを言ったら、ムチャクチャ叩かれますよね(笑)
なぜ察しなくてはならんのだ、と。
弱者に対しての差別も、現代ではタブーですが、ちょっと前までは当たり前にありました。
というか、今もタブーと言いつつ残っています。
これも将来的には変わっていくのでしょう、多分。
個人的な感想ですが、多分多くの物は、「普遍」に向かって、ゆるやかに流れていくのではないかと思っています。
普遍というか、真理というか。
つまり、私は多分、「真理とは、すべての存在にとって良い状態」なのじゃないかと考えているのでしょう。
中学生時代、エホバの証人の勉強会に通っていたのですが、「エホバに認められたものだけが楽園に入れる」という教えがピンとこなくて結局通うのを辞めました。
直接的には、なんでもかんでも聖書を引用するのが、なんだかなと。
「2000年前に書かれた書物を現代の人間が妄信しているのは、なんだか滑稽だ」
と思ったんです。
なぜなら、人類は2000年分進化しているはずだから。
でも、「楽園」がまったく想像できなかったってのもあります。
だって、永遠って想像できますか?終わりがないんですよ???
無理。
それに、
「楽園に蚊やゴキブリはいません」
って言うんだもん。
蚊やゴキブリだって、多分なんらかの存在意義があるはずだよ。
なんだか視野の狭い楽園観だなって思った。
だから多分、私たちは、ゴキブリや蚊と人間が共生できる世界とはどんなものかを想像し、それに向かわなくてはならないのだと思います。
そもそも人間だって自然の一部なわけで、自然との共生なんて考え方も変だとは思うんだけど。
「言わなくてもわかってよ」が許された時代は、視線が主に「自分」に向かっていても許された時代なんじゃないかと思う。
現代でも、視線が主に自分に向かってる人たちはたくさんいますが、
「それはおかしい」
と分かっている人の数は、ずいぶん増えたと思います。
それが「もっと広く社会を見て行動すべき」という感覚になってきたのは、インターネットの普及が大きいと思う。
世界がどうなっているのか、現地の声がリアルタイムで聞けるわけで、日本人がどれほど恵まれているのか気づかざるを得ないですもんね。
それでもまだ本当に狭い人もいるけど、それはしょうがないんだろうな。
「憲法九条を守ろう」とか言ってる人を見ると、いつも思うんだけど、「憲法九条を守る」より「どうやったら本当に戦争がなくなるのか」を考えた方がずっと建設的じゃないですか?
そもそも憲法九条があれば戦争から永遠に逃げられるなんて思えないし、日本が戦争から免れることばっかり考えるんじゃなく、世界中から戦争がなくなることを目指すべきだと思う。
もちろん、難しいのはわかってるけど、憲法九条にこだわってる人を見ると……ね。
「アメリカに守ってもらえばいい」とか言ってる人は、米兵の前でそれを言ってみろと思うしさ。
フリーランスの組合に入っていたとき、「憲法九条を守ろうデモ」とか、「集団的自衛権を認めるな」とかいうデモに動員されそうになりましたが、言い分がすごく偏ってるんですよ。
「子どもたちを戦争に行かせるな」と言いつつ、「アメリカが守ってくれるんだから」って言ってる人とかね。
米兵のお母さんだって子どもを戦争に行かせたくないと思うよ……。
だから、世界から戦争がなくなることを考えなくちゃいけないんだよね、本当は。
それ以上に、とあるフリーランサーが、
「デモの後、主催者に焼肉を御馳走してもらいました」
と平気で書いてるのを見て、愕然としました。
……なんでそこまで何も考えないんだろう……。
デモをしたって何も儲かるわけはないのに、なんで奢ってもらえるのよ。
薄気味わるいと思わないのが、本当に怖い。
と、ちょっくら話が逸れましたが……世界に平和が訪れたとしたら、その次は、すべての動物が……と発展しないといけないのだと、私は思います。
まぁ、蚊が飛んでたら、反射的に叩き潰しちゃうけどね(^^ゞ
今は。
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