平安時代のラノベのこと | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

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今日のラッキー神社

 

蜻蛉日記は半分以上読み終えたんですが、それにしても、読めば読むほど、和泉式部日記とはあまりにも落差があるんです。

 

つまり、蜻蛉日記は面白いんですけど(笑)

 

和歌のやりとり一つにしても、手ごたえもあるし、

「そうくるか、ううむ」

と唸れるんですね。

 

それに比べると……和泉式部日記は本人が書いたものではないという「説がある」とは言うけれども、本当に和泉式部が書いた日記なのだとしたら、彼女は……失礼勘弁……あまり頭の良い女性ではなかったのではないかと……。


相手をハッとさせてやろうという心意気が全然感じられないんですよ。

なぜこれが、長きにわたり読まれ続けてるんだろう……。

 

一つのアイデアは、蜻蛉日記は「夫から存分に思われなかった妻の日記」なのに対し、和泉式部日記は「やんごとなき方から過分に思われた女の日記」だからなのかも、ということです。

古典文学はよくわからないけど。

 

「こんなに愛されてるわ・た・し」

なんて発信は、普通はあまり受けないと思いますが、なんせ相手は親王様ですからね。

さらに許されない恋。

さらにさらに、深く激しく求められる和泉式部なのであります。

 

だからこそ、歌のやりとりはさほど面白くなくても、

「こんな風に愛されたい!!!」

で読まれたのかもしれません。

 

つまり、和泉式部日記って、平安時代のラノベなんじゃないかと(笑)

 

いえ、決してラノベをバカにしてるわけじゃないです。

もしそういう風な書き方になってたらごめんなさい。

 

ストーリーを楽しむ小説は、ストーリーを楽しむのにちょうど良いと思ってます。

 

ただ、時に非常~にご都合主義で非現実的な流れもあり、そういうのを「お約束ごと」と目をつぶらなくてはならないときは、ありますよね?

 

和泉式部日記には、それを感じるです。

 

蜻蛉日記は、妾の心の機微が非常に伝わってくるし、兼家の傲慢さもリアルに憎々しい。

 

兼家は道綱母のことを手放したくないとは思ってるんでしょうね。

でも、大事にはしてない。

でも、いい女だし、歌の才能はあるし、他の男にとられるのはいやだ。

ましてや尼になんぞなられたくない。

 

……つまり、兼家はあんまりよい男じゃないんですけど、それでも、そういう男としては、道綱母はある意味「一番の女」なのかもしれません。

 

もっと若い女に気を移しながらも、そして、若い女は遊ぶだけ遊んだら捨てているのに、道綱母のご機嫌とりだけは欠かさないわけですし。

 

そのあたりがリアルで、この時代の貴族の男の生態((笑))がよくわかるんですけどね……。

 

和泉式部日記は今後も読み継がれるんでしょうかねぇ???

まぁ、「踏まえておくべき知識の一つ」くらいには数えられるかもしれないけど……。

 

国文学的には、どんな風に評されてるんだろう?

 

他の平安女性たちの文章を読めば読むほど、

「なぜこれが???」

と思えてきてしまう今日この頃なのでした。

 

 

 


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