守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

弱音を飲み込み、人に頼られるのが得意な長女タイプのあなたへ
ふとしんどさを感じたとき、気軽に愚痴を言える相手のような
自分だけの守護神をさがしてみませんか?

あなたの守護神を見つけましょう!



・たまには愚痴をこぼしたい
・頼りになる存在に甘えてみたい

そんなあなたに、大らかで人間味のある日本の神様はぴったり。
いつもそばで見守り、どんな言葉も受け止めてくださるでしょう。

神道では、人は神様の分霊(わけたま)を持って生まれ、死ねばまた神様に戻ると考えるので、神様と人間はとても近い存在。

取材ライター歴15年、千社以上の神社にお参りし、神話や伝承を読んできた上江洲が、霊感ではなくインタビューで、あなたにぴったりな守護神をさがします。

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今日のラッキー神社

 

私達ライターは、できるだけ文科省の定める仮名遣い、言葉遣いを守るように気を付けています。

むろん、人から間違いを指摘されることは少なくないのですが、できるだけ、できるだけ気を付けています。

 

文科省の指針があるものはそれを参照しますが、ない場合、共同通信社の『記者ハンドブック』にある表記に従うんですが……。

 

新聞などでよ~く見かけるのがタイトル「~するは、~するは」の表記。

さすがに五大新聞では見かけませんが、スポーツ新聞とか……名指しすれば、現代ですね……半年に一度くらいの頻度で見かける(^^ゞ

 

「は」を「わ」と読むこと。

「を」を「お」と読むこと。

これは歴史的仮名遣いのルールです。

 

「現代かなづかい」が公布されたのは1946年のことだそうで、つまり戦後まもなくのことですね。

内閣総理大臣は吉田茂。

 

文化庁のサイトに本文がありますから、興味のある方はこちらを。

 

現代のいわゆる50音とか、拗音にゃ・ゅ・ょを使うこと、促音にっを使うこと、長音はあ・い・う・え・おを添えることなどが定められています。

そして例外として、助詞の「を」は,「を」と書くこと、助詞の「は」は,「は」と書くこと、助詞の「へ」は,「へ」と書くことなどが示されている。

 

つまり、「~するは」の「は」は助詞じゃないので、「~するわ」と書くべきなんですね。

 

「~するは、~するは」の表記を見かけて違和感を持つのは、現代仮名遣いに、いきなり歴史的仮名遣いが紛れ込んでくることにあるんだと思います。

 

でもそうすると、

「じゃあ、『こんにちは』は『こんにちわ』じゃないの?」

ってなりますよね。

 

これがなぜなのか、どこかで答えを読んだ記憶はないのですが、多分「こんにちは」の語源が

「こんにちは良いお日和で」

「こんにちはお加減いかが」

の下半分を省略したものだからだと考えると、すっきりします。

 

そんなしちめんどくさいことを考えるより、この仮名遣いは日本人に染み付いてるから改まらなかったのだと説明する方が話が速いかもですが。

 

まぁ、そういうわけでです。

 

私は常々、新聞や週刊誌の記事のいい加減さに腹をたてていますが……だって勝手な憶測で人の評判を貶めたり平気でしますからね……「~するは、~するは」の表記を平気で掲載している新聞を見たら、信用するのはやめましょうね(笑)

 

 


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今日のラッキー神社

 

 

日本は、どんな悪人も、死んだ後に、人々が神として祀れば神になれる国。
鬼として殺された温羅の首を「予言の神」とする吉備津彦神社の宮司さんから聞いたお話です。

何度も書いていますが、心中した男女を恋愛の神として信仰する日本人を、明治時代にやってきた欧米の人々は、まったく理解できなかったそうです。

日本人以上に日本人を理解し、愛した小泉八雲でさえしっくりとした答えは見つけられず、日本人の友人になぜなのか尋ねたところ、その答えは
「彼らはえらい苦労をしたからです」
だったと。

人々が神として祀れば……その通りなのだけれど、なぜ人は彼を神とするのか。
「えらい苦労をした」人に同情する気持ちはわかるのだけれど、それを神として信仰するのは、少し飛躍がすぎやしないか。

その答えが、刈萱堂にありました。

刈萱堂は、出家した夫の後を追い、高野山へやってきた千里の前が、女人禁制ゆえにそれ以上進むことが叶わず、とどまったとされる場所です。
彼女の息子・石童丸が一人高野山に登り、父、道心と再会するのですが、道心は悟りの道を求めるがゆえに、世俗への執着を断ち切らねば……と父の名乗りをあげません。
石童丸は父と会えずにがっかりしますが、道心に師事し、ともに修行にはげむのでした。

さて、残された千里の前です。
彼女は生家である朽木家から、人魚のミイラを授けられており、それを仏として日々清らかな生活を送り、32歳の若さで亡くなったのだそうです。
そこで、千里の前が最期の日々を送った西光寺には今に至るまで、人魚のミイラが伝えられています。

それにしても、なぜ人魚のミイラが仏なのでしょうか?

お寺の方に声をかければ、誰でも見学させてもらえるのですが、写真撮影は禁止です。

このスケッチはイギリスの新聞、サンデー・ハロルド紙に掲載されたもの。
決してアンデルセンの童話に登場するような姿ではなく、鋭い牙、顔に寄った皴など、むしろ醜いとさえ感じます。


幼い千里の前は、人魚のミイラを見て、
「苦しんでいる」
と感じました。

純粋な子ども心から、
「なんとかしてこの人魚の苦しみを取り去ってあげたい」
と、日々悩み続けます。

そしてその想いが、
「私がその苦しみを引き受けてもいい」
と、自己犠牲の祈りにまで昇華したとき、人魚は成仏……あるいは神上がったのでした。

だからこの人魚は、まさしく仏、あるいは神なのです。

悟りを開き、仏になるためこの世への執着を捨て、我が子を苦しませた刈萱道心と、既にミイラとなった人魚のために苦しみを引き受けたいと願った千里の前の、どちらに仏性が宿っていると思います?

苦しんだ人々を悼み、神とし、仏とし、その前で手を合わせる人たちにはみな、千里の前と同じ仏性が宿っているのではないか。
私はそう、思います。

 

 


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今日のラッキー神社

 

学文路にある苅萱堂を尋ねました。
石童丸の説話で、母の千里の前が留まったとされる場所です。

石童丸の父は刈萱同心と言う筑後のお侍で、特に不自由することなく暮らしていました。

しかしある日、恐ろしい夢を見ます。

妻と妾の髪の毛が蛇に変じ、互いに絡み合わせているのです。

 

「女性の嫉妬とはこれほどまでに恐ろしいものか」

世の無常を感じた同心は、出家し、高野山に入り、僧となりました。

 

石童丸は同心の息子なのですが、母は正妻なのか妾なのか、よくわかりません。

 

父が出家したとき、彼はまだ赤ん坊で、彼は父がどんな人か知りませんでした。

喪失の苦しみを癒すには、失ったものを充てるしかありません。

彼は母とともに父を慕って高野山を訪れます。

 

しかし当時の高野山は女人禁制。

母親の千里の前は高野山に登ることができませんでした。

石童丸は一人高野山に登り、一人の僧侶と出会います。

 

石童丸はなぜか彼に非常に惹かれ、弟子のように慕うのですが、父親は見つかりません。

僧侶に「こんな人を知らないか」と尋ねると、「そんな人は知らない」という。

高野山をよく知る僧侶が知らないということは、父はもう亡くなったのかもしれない……。

絶望した石童丸ですが、それならばと僧侶とともに修行に励み、立派な僧侶となったのでした。

 

千里の前が持仏としていたのが人魚のミイラで、撮影はできませんが、お寺の方に声をかければ拝観できます。

 

鋭い牙、頬の皺、ムンクの絵を彷彿するポーズ。
昔の人々はこの人魚に何を映し見て、何を想い、信仰したのでしょう。
この人魚は、仏というより、石童丸の父が夢に見た蛇に類するように思えます。

 

実は、人魚は本来、仏ではありませんでした。

 

千里の前は朽木家の娘で、この人魚は朽木家の家宝だったそうです。

しかし、彼女はこの人魚の苦しそうな表情を見て、とても心を痛めました。

 

「この人魚の苦しみを癒したい」

その想いはいつか、

「私がこの人魚の苦しみを引き受けてでも、救いたい」

との願いに昇華していきました。

 

そして人魚は、成仏したのです。

 

……なんと美しい話でしょう。

 

可哀想な経験をした人物が、仏や神になるのは、日本では珍しくありません。

 

心中した男女が、恋の神として信仰されるのは、各地で見られます。

 

それがなぜなのか、小泉八雲は

「彼らは大変な思いをしたから」

と、端的に表現しているのですが、実感として、いまいちピンとこなかった。

 

でも、

「その苦しみをなんとかしてあげたい」

という人々の思いが、悲しい思いをした人たちを仏や神に成すというのは、筋が通っている。

 

筋以上に、美しいと思います。

 

良いなぁ、千里の前。

好きな女性が一人増えました(^^)/

 

 


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