ハンセン病患者の救済に尽力した人物として、関西では明恵がよく知られています。
明恵は夢日記を書いていて、中之島だったかで展覧会があったのですが、なんとはなしに、
「子どものような人だったんだな」
と感じたのを覚えています。
晩年になり、若いころに修行した苅藻島を懐かしんで恋文を書いたという逸話も、なんともなく可愛らしい。
で、明恵の和歌をみてましたら、
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
と詠んでるらしい。
「ああ、月が明るいなぁ」
ってなことなんでしょうが、無邪気に喜んでるのが目に浮かびますね。
でもこれ、何かを思い出しません?
私は田原坊の
松島や ああ松島や 松島や
を思い出しました。
この歌を最初に知ったのは、村上龍の「すべての男は消耗品である」のあとがき(笑)
筋肉少女帯の大槻ケンヂさんの文章だったのですが、
「はらがたつ ああはらがたつ はらがたつ、と、松尾芭蕉のように言いたくなる」
というようなことを書かれていたんです。
で、なんのこっちゃらと調べたら、上記「松島や」だったのでした。
そしてその後、清水義範のパスティーシュ小説を読んでいたら、松尾芭蕉がニュースルポをやってるシーンで、
「わたくしが松島を見て、言葉に詰まって『松島や ああ松島や 松島や』と詠んだなんていうデマが広がっていますが、それはあんまりではないでしょうか」
というものだから、調べてみたら、実際に詠んだのは江戸時代の狂歌師である田原坊だったのでした。
ちなみに芭蕉が実際に詠んだ歌は、
島々や 千々に砕けて 夏の海
つまり、清水義範さんは、「松島や」の歌は「上手な歌ではない」と考えてらっしゃるということですよね。
実際どうなんでしょう?
それで思い出したのが、
ほととぎす ほととぎすとて 明けにけり
でした。
太宰治の小説に加賀千代女の歌として登場したんですよ。
あるとき「ほととぎす」をお題に歌をつくれと言われた千代女は、どうしても良い歌が思い浮かばず、
「ほととぎす、ほととぎす」
と考えているうちに、世が明けてしまい、それを歌に詠んだところ、
「でかした!!」
と言われた……という話でしたが、調べてみたら、どうやら嘘みたいで(笑)
『詳解名句辞典』に、
「時鳥々々とて寝入りけり」が正しい句で、作者は、調和。
とあるようです。
ったく……。
つまり、「言葉が出ないので、それを素直に表現した歌」は、あんまりよい歌とは思ってもらえないようですよ(笑)
確かに。
私も、取材であんまりにもおいしい日本茶をいただいたとき、
「うまい」
しか出て来なかったことがあります。
なんか「ふくよかな香り」とか書くのがいやんなるんですよ。
本当においしいものに出会うと。
……でも当然、「うまい」で終わらせたりはしてません(笑)
伝わりませんもん。
「それくらいおいしいんだ」なんて逃げですもん。
歌だってそうなんでしょうね。
でも、それなのに(笑)
明恵の「あかあかや」は、な~んかいいなぁと思っちゃうのは、贔屓目なんでしょうね(笑)
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