不可侵じゃないけど | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

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今日のラッキー神社

 

学術的な本は面白くない(笑)

だって地味なんですもん。

 

何度か書いていますが、学術的な研究会へ行くと、時々呆気にとられます。

ほんとうに些細な研究でも、発表後に、

「〇〇先生の先行の研究では、こういう事例が紹介されているが、矛盾はしないのか」

とか、

「△△については確認しているのか、していないならそう言い切れないのではないか」

とか、むちゃくちゃ厳しい質問が飛びまわるんですよ。

 

で、結局、発表者は、

「もうちょっと調べ直します」

となることも多いです。

 

去年参加したときは、「瞽女と観音講はもしかしたら関係があるんじゃないか」というテーマの研究発表があったのですが、「もしかしたら関係があるのではないか」と言いたいだけに、A420枚にもわたる事例や証言が発表されておりまして、それでも結論は、

「これからも研究を続けたい」

なわけですよ。

 

だから、些細な証拠から、大胆な「新説」を断言しちゃった「土偶を読む」が考古学者から大ブーイングを喰らうのは当然なんですね。

それは「権威しか認めない」からではなく、「前例主義」だからでもなく、単純に調査不足だからです。

先行のさまざまな研究と矛盾しているからです。

 

発想は面白い。

だから本が売れる。

だけど、論拠があまりにも薄すぎる。

 

著者は考古学者に対して「権威しか認めない奴らだ」みたいなことを書いてらっしゃるようで、だからこそ軽視したんでしょうね。

先行の研究をきちんと調べていれば、いろいろ考えなおすべきところを発見しただろうし、方向性を変えたかもしれません。

だけど、いろいろ先行の研究と突き合せた結果、「一部の土偶は植物の精霊である可能性はまだある」と言えるならば、多分考古学者たちも、「その発想は面白い」となったんじゃないかなと思います。

 

相手に敬意を払わない態度からは、何も生まれないと、つくづく思う。

 

ただ、そういう結論ならば、本は売れなかったろうなぁ(^^ゞ

だから例えば「私が考えたのはこういうこと。だが考古学の先行研究と突き合せるとこういう矛盾が出てくるからここは考え直すしかない。ここもで……」というような内容の本にすれば、面白く読めるうえに、学術的な界隈の協力も得られるんじゃないかと思うんですけど、それじゃあ出版社がOK出さないかな。

 

難しいなぁと思います。

 

ただ、そうやって慎重に研究が重ねられているにも関わらず、たとえば民俗学なら、

「古代の日本人は星への信仰がなかった」

なんていう、実情に沿っていない説が通説になってるんでしょう?

答えはわかりません。

わかりませんよ?!

 

でも多分……民俗学の権威がそう言ったからじゃないかな。

 

たとえば柳田国男とか、折口信夫とか、正直「検証不足やろ」ということを言いきってはるんですけど、それを踏襲されがちなんですよね~……。

 

とはいえ、多くの古説は、最新の研究者たちが検討しなおし、塗り直しているものもたくさんあります。

決して不可侵じゃない。

 

でも全部研究し直されたわけじゃない。

古く、比較的いい加減なのにまかり通っている説が残ってる。

 

「実情に沿ってない通説」は、古いオーソリティの提唱した説だったりすることが多いんじゃないかしらと思う次第です。

 

だってそもそも、柳田国男や折口信夫の「説」って多岐にわたりすぎで、一人の人間がそんなにいろんなこと研究できるとは考えづらいもん。

 

でも、だからこそ柳田国男の本は面白いし、いろんな人が読むんでしょうね。

折口信夫もしかり。

 

「読むに値する本ほど面白くない」って、問題だよねぇ(^^ゞ

 

 

 


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